
―――第3話「耳尻尾のルーツ」
練習試合の戦闘の合間、移動の隙間時間を見繕って鈴は得物の手入れをしていた。
己自身ともいえる大妖刀「大神成」、それと同時に振るう銘の無い他の五刀。
厳密にいえば手入れが必要なのは無銘の五刀。汚れを拭い、打粉で拭い研ぎ、錆止めの油を塗る。
今となっては極稀だが、欠けが大きければ砥石で研磨する。
僅かな鞘走りの差が勝敗を分けることもあるし、代わりの得物が手に入るかもわからない今は長持ちするよう丁寧に扱うべきだ。
しばしの後、5本の手入れを終えて愛刀の手入れに取り掛かる。
手入れといっても多少拭うだけだ。
神刀と化したこの刀は己の本体であり、生半可なことでは傷も入らない。
そう、刀身を拭うこれは、人でいうシャワーを浴びるようなものだ。
なんとなくすっきりした気分になって眼前に刃を立てる。
透き通るような清冽な輝きを宿すその刀身は、朝焼けの光を受けてきらりと瞬いた。
目を閉じ、己のうちに思いを馳せる。
イバラシティに生きる鈴とアンジニティを放浪した鈴、そしてこの神刀とうちに封じられたモノ。
全てが混じったこの身体に私が意識を残しているのは奇跡なのかもしれない。
一度目の異変は、徒党を組んだならず者共を追い払った時だった。
あの時は、まだ私は甘かったし、人を斬ることに慣れていなかった。
全身を打たれ斬られながらも戦い続け、最後に立っていたのは私だけだった。
全身が傷だらけだし、左腕はちぎれかけ。失血して頭が働かなくて、動けなくなったときは「あ、ここで死ぬのか。」そう思った。
よしんば助かったとしてももう戦えないのだろうな。みんな、もう守れなくてごめんね。遠く暗くなっていく視界の中、謝りながらふっつりと意識は途切れた
けれど―――死ななかった。起きた時はもうほとんどの傷が治っていて。
その時はどうして治ってるのかわからなくて、通りすがりの誰かが治してくれたのだろうか、なんてありもしないことを考えていた。
―――それが、私の愛刀「大神成」のおかげだということが分かったのは4度目の異変からしばらく経った後だった。
そう、あれから3度私は死んだ。正しくは、死に掛けて気づけば治っていた。
それもこれもこの刀のおかげで助かっていて、この刀が無ければ私は死んでいたはずだ。
私の扱える力が強くなっている。身体能力も、刀が持っているらしい雷を操る力も、素直に扱える。
刀もいつも以上に手に馴染む。武器の扱いに習熟した達人が到達するような身体と一体となって手の延長となったような感覚。それが以前とは比べ物にならないほど強くなっていた。
それはそうだ。当たり前のこと。私と刀は文字通り混然一体となり始めていたのだから。
夢を見た。
それは獣の夢。
山に住むその獣は、生まれた時から雷を起こす権能を持っていた。
念ずれば身から稲妻が迸り、高らかに遠吠えをすればたちまち空に暗雲が立ち込め雷が降り落ちた。
意のままに降り注ぐ落雷は害獣や侵略者を打ち倒し、畑には豊穣をもたらした。
そんな、獣はいつしか近隣の人里で“神狼”として祀られるようになった。
神狼は供えられた食べ物で腹を満たし、信仰で力を得た。そのお礼に、雷を程よく呼び、害獣や化生の類が現れればそれを退治することに一層励んだ。
それでも、神狼にどうにもできないことはあった。病だ。
周辺の村落で病が流行った。流行りに流行ったその病にかかった人間は、床に臥せってたちまち死んでしまう。
数か月のうちにほとんどの人間が死んでしまった。運良く生き延びた人間はこんな有り様では生活出来ぬとどこか遠くへ行ってしまった。
神狼は置いて行かれた。病が理解できない神狼は捨てられた。と理解した。
それでも、死んだ人間は己を捨てなかった人間である。その程度は理解できた。
撃ち捨てられた人里に転がる己を崇めていた人間だったものを一口食べては順番に埋葬し、いつしかその身には死臭が染みついた。
裏切られたと思った神狼は、恨みを募らせ遠く高らかに吠え上げた。
それは完全に八つ当たりであったが、報復とばかりに付近を通りかかる人間を噛み殺し、人の味を覚えた。
いつしかその山の周辺は魔狼の棲む山として方々に恐れられた。
そして当然、人を喰らう魔物として名の知れた獣は、退治される。
獣を調伏するためだけに打たれた神刀によって斬られたのだ。
ただ、一時は神狼とされた格の高い獣である。斬られるだけでは死ななかった。
その神刀のうちに封じられたのだった。
そこからの獣の記憶はない。
これが愛刀のルーツ。そして、今の私のルーツの一つ。
肉体を失い、神刀の中で長い年月をかけて封じられた神狼は、いまや純全たる“力”としてある。
はっきりとした意識はなく、刀として使い手を選ぶだけであった。
あの日、蔵を探検して吸い込まれるようにこの刀を発掘して手にした私。
刀に呼ばれたのか。お互いに引き合ったのか。
神狼と刀は今や力と記憶のみなっているから、真実はわからない。
ただ一つ言えることは……私とこの刀が、正確に言えばこの刀のうちに封じられた神狼と異常に相性が良かったということだけだ。
記憶を辿っても、この刀を手にした幾人もの剣士の誰も、耳や尻尾が生えた試しはない。
刀が持ち手以外を強く拒絶したこともないし、常に携えていなければならなかったこともない。
そう、私だけだった。
今度こそアンジニティの侵攻を、ワールドスワップを……止める。
使えるものは使う。いつまでも戦えるこの身はある意味で好都合ではある。
阻止が出来るなら私はもう死んでいるのだし、いつでもこの身を投げ捨てよう。
いつか、それが必要になるならば。
ふぅーーーー。
大きく息をついて閉じていた目を開く。
愛刀を鞘に納め、立ち上がる。
休憩は終わり。次は東の方へ行くと聞く。
昇った朝日の中で、仲間の影が白む景色に目を細めた。
――――――先へ進もう。