
巨体が崩れ落ちる。
洞窟の天井が落ちてきたと錯覚するほどの音をたてて、最後の関門である巨大な蛇が倒れ落ちた。
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ニレリア 「やっぱり単なるふるい落としの試験にあっていいものじゃないよ。明らかにレベル違いってやつだね」 |
異能のある世界では、敵もまた異能を持つ。
無限に再生する巨大な蛇の化物なんてものも、当然のように存在するわけだ。
もっとも、場合によっては、子供二人で化物を細切れにすることだってできる。
異能にはそれぞれリスクや代償というものがあって、失うものが大きいほどその力は大きい傾向がある。
ニレリアの異能は捧げた代償の分だけ威力が増していくものだから、
代償さえ準備することができれば、何だって倒すことができた。
不死鳥の聖杯とは、とても相性がいい。
とはいえ、全員がそれほどの力を持つわけではないようだ。
これだけの力を個人で有することができながら、この国の規模は昔から変わらないのだから。
何百年も昔から、この国はずっと昔のままでいる。
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ニレリア 「流石に来るのが早すぎたかな。今度はもっとレベルを上げてからくることにしよう」 |
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ハイネ 「次があるものなのか」 |
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ニレリア 「また挑む者達に向けたメッセージということでひとつ」 |
巨大な蛇を倒して、洞窟を踏破した先にあったのは古い神殿だった。
その建物は数階層にもわたる洞窟の奥底とは思えないほど美しく、明らかに人為的な、
それでいて定期的な清掃が行われていることが見て取れた。
その周囲には青白く光る湖が広がっていて、
水辺には同じく青い花が生い茂り空には金色の光が舞っていた。
きらきらと輝く光の粒が、次々に水面に落ちては消えていく。
あれはアマノヒホタルだ。
この国の洞窟に固有の種であり、明け方に飛ぶことから朝を告げる光と言われる。
宙を埋め尽くす光景はまるで星が降るかのようで、日が登る前触れと言われればそう見えなくもない。
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ニレリア 「ハイネ、カエル捕まえた!」 |
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カエル 「モシャモシャ」 |
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ハイネ 「返してきなさい」 |
それが今しがたニレリアが両手に抱えこんだカエルに丸呑みにされるのを見ながら、
なんだかなとため息をついた。
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ハイネ 「……」 |
もう一度辺りを見渡してみる。
綺麗さの代わりに神秘さを感じないのは、ここが神々を祀る古代の神殿や異端の隠れ家などではなく、
元々儀式を行うために造られたもので今も国の手により管理されているからだろうか。
いくつか足跡もあり、既にこの洞窟を踏破したものの存在や、管理する人間の気配がほうぼうに感じられた。
苦労して抜けてきた身としては、少し悲しくなる光景だが、ニレリアの言うようにこれは単なる篩い分け。
そういうものだと気を立て直す。
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ニレリア 「あれ、どうやらゴールテープを持ってくれている人がいるみたいだよ。いつのまに」 |
カエルを抱えたままのニレリアと一緒に神殿に足を踏み入れてみれば、
待っていたのは笑顔で手を差し伸べる現国王とメイド達、資格者を記録する役割を持った偉い神官様、
それに、ニレリアの姉の姿だった。
暇なのだろうか。それともこれも仕事なのだろうか。
娯楽として見に来たとしか思えないその様子に、ため息がまたひどくなった。
二人にとっては血まみれの体とぼろぼろの服で這いずる死にものぐるいの冒険譚も、
大人達にとってみれば子供の成長を見守るためのイベントみたいなものだったというわけだ。
王の資格が欲しくて日々挑んでいると言っていたあたり、本来ここはもっと気軽に挑戦できる場所なのだろう。
もっともニレリアの言うようにやけにレベルが高すぎる気がしないわけではなかったが、
それでも、これはいつも通りの日常の一コマでしかない。
ため息を落とす中、ふと顔をあげるとニレリアの姉がこっちを見ていた。
あまりにも明るくて、ニレリアを数倍濃くしたような、眩しく輝く太陽のような女性だ。
ニレリアの唯一の家族であることもあり小さい頃からよく知っている。
"おはようハイネ君!今日も元気にしてたかな?"
"クッキー焼いたけど食べない?今ならチョコチップもサービスしておくよ"
"えっ、足りない!?……むむむ、しかたない。お姉さんのとっておきをあげよう"
"チョコアイスというものがあってだね、これをクッキーに乗せると絶品なのさ!"
ころころ変わる表情と声が浮かぶ。振り付けまで浮かぶ。
ニレリアのことを心から愛していて、驚くほど甘い。
お祝い事には山のような料理を作るのが習わしだったから、よく分けてもらった。
あまりにも美味しいので、レシピをいくつか教えてもらったほどだ。
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ハイネ 「……?」 |
なるほど、最近やる気がなくなったようだとは聞いていたが、やる気がないというよりは目が死んでいる。
元々顔立ちが整っていると評判ではあったが、今はまるで人形のようだ。
踏破を祝い、輪になって踊る隣のメイド達や年甲斐もなくはしゃぐ現国王と比べるとあまりにも浮いて見える。
踏破者を置いておいてどんどん盛り上がる現国王に白けたと言うならば理解もできるというものだが。
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ハイネ 「……」 |
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ハイネ 「……なぁ」 |
友達の姉や兄に話しかける時、どう呼んでいいのかわからない時がある。今がそれだ。
だけれど、それでもそれなりに長い付き合いだから、こう話しかけた時に次にどうくるかはよく分かっている。
こういう風に呼ぶと、笑顔で頭に手を載せてくる。
くすくすと笑い、髪の毛をわしゃわしゃとして、
“もー……なぁじゃないよハイネ君。私の名前は―――”
そんな風に笑顔で怒ってくるのだ。
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ハイネ 「ふ……」 |
想像しただけで釣られて笑いそうになる。しかし仕方がない。
ニレリアを数倍濃くしたような存在に、釣られないわけがないのだ――
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「はい」 |
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ハイネ 「……」 |
帰ってきたのは、驚くほど平坦な声だった。
たった二言でわかるほど、抑揚が感じられない。
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ハイネ 「……もしかして体調が悪いのか。悪いところがあるのなら、何でも治すぞ」 |
記憶とのあまりの落差に、体調不良を疑ってしまう。
それどころか、別人ではないかと疑いたくなるほどだ。
やる気がないというのも確かにうなずけるのだが、何かそれ以上の原因があるように思えた。
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ハイネ 「はい、体調は悪くありません」 |
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ハイネ 「……」 |
自分勝手な話だが、違和感を感じていた。
少なくとも、ニレリアよりも落ち着いていることなどありえないのだ。例え、大人になって落ち着いたとしても。
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ハイネ 「あー……そういうのは似合わないと思うけど」 |
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ハイネ 「えーっと」 |
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ハイネ 「……もしかして、からかっているのか?」 |
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ハイネ 「からかっていません」 |
そうか、と一呼吸をあける。
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ハイネ 「……なぜ喜んでやらない?」 |
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「私はとても喜んでいます」 |
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ハイネ 「……」 |
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ハイネ 「なぁ、ニレリア」 |
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「はい、私はニレリアです」 |
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ハイネ 「違う、黙っていてくれ」 |
いくつかの質問にも反応は同じだった。
あらゆる質問に返事をする。しかしそれ以外のことはしない。
これをやる気がないと解釈すればそうだろう。
だが、明らかに普通ではないように思えた。
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ニレリア 「どうしたのハイネ。こっちはだいたい終わったよ。詳しいことはまた後日だってさ」 |
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ハイネ 「あれは、どうしたんだ」 |
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ニレリア 「あれ?あぁ、姉さんのこと」 |
駆け寄ってきたニレリアに質問を浴びせる。
何が、という風な反応に、わずかに不安が増した。
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ニレリア 「言ったじゃないか。やる気がなくなったみたいだって」 |
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ハイネ 「あれはやる気とかそういうものじゃないだろう、もっと何か――」 |
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ニレリア 「そうかな」 |
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ハイネ 「そうだろう」 |
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ニレリア 「……」 |
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ニレリア 「……」 |
ニレリアが首を傾げた。
どうやらおかしいとは思っていなかったようで、何がおかしいのか悩んでいる様子だ。
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ハイネ 「あれは、いつからだ」 |
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ニレリア 「……」 |
ニレリアが動きを止めた。
なんだそれが知りたかったのか、と言いたげに笑顔で口を開いた。
何故かその笑顔に、不安が増していく。
いつもは元気をくれるその顔に、何か自分がどこかで道を踏み外したような、そんな不安がついてくる。
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ニレリア 「あぁ、そういうこと。それはさっき言ったとおりだよ。ハイネ」 |
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ニレリア 「全部ハイネが治してくれたんじゃないか」 |
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ニレリア 「起きてからずっとあんな感じ。助けてもらった、あの日からね」 |