
灯月緋墨にとって、雪凪璃珠は守りたい大切な幼馴染だ。
そこに恋愛感情と呼べるものはない、あるのは義務感めいた感情だ。
自分の何を犠牲にしてでも、何があったとしても。
必ず彼女だけは守りきらなくてはならないと、心の底からそう思っている。
彼にとって、雪凪璃珠は幼馴染であり守らなくてはならないものであり。
自分が犯した罪の象徴で、形を持った呪いだった。
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幼い頃から一人を好み、大勢と一緒に遊ぶことが不得意だった彼にとって、ある日近所に越してきた璃珠は貴重な友人だった。
物静かな性格をしていた璃珠は、同じように物静かな性格をしていた緋墨と波長が合う相手だった。
似た者同士の二人は少しずつ仲良くなり、気がついたときには互いの家に遊びに行ったりするのはもちろん、泊まっていったりするようになっていた。
その緩やかで静かな日々が壊れたのは、ある夜のことだった。
あの日の夜、緋墨は両親の仕事の都合で璃珠の家に預けられていた。
それだけならよかった、そこまでで終わっていたなら平和な記憶で終わっていた。
しかし、運が悪いことに当時世間を騒がせていた異能犯罪者に彼女の家はターゲットとして選ばれてしまった。
平和な時間は一瞬のうちに血で塗り替えられた。
襲撃してきた犯人は幼かった緋墨と璃珠を真っ先に狙い、咄嗟に庇ってくれた璃珠の両親が負傷した。
目の前で二人の血が散って、嗅ぎなれない鉄の匂いが鼻を刺激したのを今でもはっきりと覚えている。
犯人は異能力を使い、次に呆然として動けずにいる璃珠を切り裂こうと刃を向けた。
『璃珠――!!』
守らなくてはならない。
彼女だけは、絶対に守らなくてはならない。
強いその思いが身体を動かし、緋墨は彼女の両親がしてくれたように、咄嗟に彼女を庇おうとした。
その瞬間。ばぢりと何かが弾けるような音がして、犯人が放った異能力がおかしな方向へ湾曲した。
それが璃珠が持つ異能力だと知ったのは、全てが終わったあとだった。
璃珠が捻じ曲げた攻撃は、周囲にあるものを切り裂いた。
部屋の中にあるものを。犯人を。緋墨の片目を。
そして、深手を負って動けずにいた彼女の両親を。
当時、璃珠が大事に思っていたもの全てを深く深く切り裂いた。
何が起こったかわからなかった。
片目が焼けるように痛みを放ち、血が流れていることだけは、はっきりと認識していた。
その血が火傷しそうなくらいに熱かったことで、自分の中に眠る力に気付いたけれど。
散った血は傍にいた璃珠にもかかり、彼女の頬や首に今も残る火傷痕を残してしまった。
守りたかったものを守れなかった。
守りたいと思っていたものを自分の力で傷つけてしまった。
あの日の夜の出来事は、緋墨の中に深く深く焼き付く苦い記憶となった。
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雪凪璃珠が緋墨の傍から姿を消したのは、その事件から数日後のことだった。
異変に気付いた近所の人が通報してくれたため、犯人は無事に捕まり、緋墨たちも病院へ搬送された。
璃珠の異能の影響で傷ついた片目は、少々変わった治癒能力を持つ人物の手によって治療された。
その結果、片目の色が変わってしまったが些細なことだった。
璃珠の両親は死亡することはなかったが昏睡状態に陥り、病院で入院することが決定した。
そのことを聞かされたとき、両親に璃珠の面倒を見てほしいと言えばよかったのかもしれない。
両親が昏睡状態になった璃珠は、イバラシティの外にいる親戚のところへ行くことが決定した。
彼女が引っ越す手続きはあれよあれよという間に進み、遠い海の向こうへと連れられていった。
そこで彼女が一体どんな時間を過ごしたのか、全てを知っているわけではない――だが、ろくな時間ではなかったことははっきりしている。
『――ひーちゃん?』
ちょっとした用事で島の外へ向かったとき、運良く彼女と再会できたときは嬉しかった。
だが、久々に出会った璃珠を見て、緋墨はまた彼女を守れなかったことを強く思い知った。
久々に出会った璃珠は、親戚に深く傷つけられて無気力な状態になっていた。
自分が異能を持っていることを忘れて無能力者と思い込み、両親が昏睡状態になったことも忘れていた。
自分はずっと大事な幼馴染のことを守れずにいる現実が、深く深く心を抉った。
そこからどうしたのかは、あまりよく覚えていない。
だが、とにかく璃珠を今の環境から助け出さないとと思ったことは覚えている。
けれど、早急に彼女を助けるためには間違った方法を選ぶしかなくて――とある異能力者に声をかけ、彼と“兄弟”という名の契約を交わして彼女を助け出した。
その結果、彼女は緩やかに笑顔を取り戻したけれど、相変わらず記憶の一部は欠けたままだった。
あの瞬間から。
灯月緋墨にとって、雪凪璃珠は“過去に彼女を守れなかった”という罪の象徴であり、“自分が間違ったとしても守らなくてはならない”呪いと化した。
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「――……」
深く息を吸って、吐き出す。
繋がれた手が続く先には、全てを思い出した幼馴染がいる。
ハザマに来た衝撃で全てを思い出してしまったのは望まない結果だったが、仮に彼女が何も思い出さなかったとしてもやることは同じだ。
今度こそは守らないといけない。
璃珠のことも、面倒を見ている鈴咲のことも――ハザマで共に戦っている仲間のことも。
たとえ、この戦いの中で友人と戦わなくてはならなくなったとしても。
「……今度こそ、守ると決めたんだ」
自分に力を貸してくれた恩人のように、身につけているパーカーのフードを深くかぶる。
――緋墨の耳で、契約の証であるイヤーカフが鈍い光を放っていた。