
──────狭間時間2:00
『あぁ、先生?その節はありがとう。向こうの私は意固地すぎて嫌ね』
血に飢えた化け物になるのは嫌だ、と。
怪物の定義とは何なのだろう。
得体の知れないもの?不気味なもの?正体のわからないもの?
彼女や彼が血に飢えて人を襲ったところで、
私はきっとそれを化け物と呼ぶことはないのだろう。
私には全部、ただの生き物でしかない。
血を飲まなければ容易く渇きで死ぬ生物。
自らが怪物となることを恐れる彼女の方が、よっぽど私より人間らしい。
少なくともその精神性は、間違いなく。
Side:IBARACITY
自室。
掌の上には折り鶴。
翼のところには殴り書きのメモ。
叔父の筆跡だ。何度も見ているから間違えようはない。
きっと急いで書いたんだろうな、と思うと自然と口角が上がる。
「……【再生】」
羽根に記された合言葉を呟けば、まるで生きているかのように羽ばたき始める。
異能で作られた伝書鳩のようなものだ。
くるり、と私の周りを一周してから、目線の高さに留まった。
そうして懐かしい低い声でメッセージを告げる。
『シュリ、俺だ。聞いてるよな。
お前また定期検診サボってるって?病院から連絡が来たぞ。
お前に連絡しても一向に来ねえからってよ。いつものことだけどな。
忙しいのは知ってるけどな、病院行けないほどじゃないだろ。
自分の身体のことなんだから自分で面倒見ろ。
薬はちゃんとあるのか?発作は?
死んだって連絡は来ないから死んでねえんだろうけどよ、とにかく検診は行け。
行かないならアイツに引き摺ってでも連れてくように言うからな。
俺はお前んとこの家族全員の葬式やるなんてごめんだからな。
……じゃあな。飯は食えよ。しっかり寝ろよ。
何かあったら、いつでも連絡よこせ』
吹き込まれたメッセージを再生し終えると、折り紙は動きを止めて、床に落ちた。
久しぶりに声を聞いた。
内容は予想していた通りだったが。
何かの折に合言葉に反応して動いてしまうかもしれないから、
すぐ捨ててしまうべきなのだけれど。
なんだか惜しい気がして。
結局、くしゃくしゃに丸めたそれはコートのポケットに収まった。
***
────1月29日。
「最近、身体に負担をかけ過ぎていないかい」
よくわからない検査結果を見ながら医師が訊ねてくる。
医師も先生と呼ぶのはどうしてなんだろう。どうでもいいことを考えた。
病院の匂いは苦手だ。
「いつも通りの、筈ですけど」
本当のことを答えたが眉をひそめられた。
信用がない。
働きすぎだとはよく言われる。
でもそれが普通で生きてきて今まで何ともないのだから、
『いつも通り』なのは本当だ。
「それにしては検査の数値が悪い」
専門用語と数値が羅列されている用紙をひらり、と揺らしながら。
問いただすような雰囲気すらある。
「本当に、心当たりはないです」
もう一度同じ答えを返した。
居心地が悪い。
早く終わってくれないかな、とマフラーをいじりながら思った。
そんな考えが伝わったのか、溜め息をひとつついた。
短くはない付き合いだから、
これ以上聞いても無駄だと判ってくれたらしい。
「強引には聞かないけどね。
……君は
生まれつき心臓が悪いのだから、気を付けないと。
いくら異能のおかげで症状が改善されたからといって、無茶が許されるわけではない。
生命維持にリソースを割いて負担をかければ確実に君の寿命は縮まっていく。」
何度も聞かされた言葉を、念を押すように。
聞き飽きたなあ、と思う。
それが仕事だから仕方ないのだろうけど。
「……善処します」
何度も言った言葉を、同じように返した。
「お話は終わりですか?失礼します」
一方的に会話を切って立ち上がり、踵を返す。
これ以上は小言を繰り返されるだけだ。
「君の元々の異能と、血を操る異能の相性が良いのは理解している。
でもね、お姉さんは、君に無理をしてほしくてその
異能を託したわけじゃない筈だ」
背中にかけられた言葉は、聞こえないふりをした。
***
待合室に戻ると、友人が「やっと終わったか」という顔で出迎えた。
私を病院に連行した張本人だ。
「……で?結果は」
隠したところで意味もない。
正直に内容を伝えながら結果の紙を手渡すと、大げさに溜め息をつかれた。
さっきも同じようなことがあったばかりだ。
「経過観察……。
定期検診すっぽかしてる奴を引き摺ってきたらこれか…。
叔父さんからも再三連絡来てただろ。
それでも行かないからってこっちに連絡回ってきたんだぞ」
確かに叔父からも連絡は来ていた。
わざわざ異能を使ってまで連絡を取りにくるとは思っていなかったが。
連絡と言えば、温室であの紙の内容を見られなくて助かった。
知られていたら、きっとあの子にも検診に行けと言われただろう。
余計なことを考えていると、先程同様にまた呆れたような顔をされた。
結局それ以上は何も言われずに帰ることになった。
強くは言わない友人の性格に、甘えてるなと思う。
『生きてほしい』、と。
あれは呪いだったのか。それとも祝福だったのか。
どちらでもきっと、大差はない。
鼓動が止まない限り、血の巡る限り、私は誰かの為に『在る』だけだ。