
『これは……?』
俊彦が呟いた声は驚きと戸惑いに僅かに震えている。
あたり一面の炎。
真っ赤に染まる視界の中に揺らめく影で、どうやら家の中だということが辛うじてわかる。
炎が燃え広がる中にぽつん、と一人。何故こ
んな所に放り込まれたのかもわからぬままに
出口を探して歩くけれども、見つからない。そうしているうちに、焼け朽ちた柱が倒れてきて――
燃え盛る部屋に一人でいる夢なんて洒落にもならない。そんなことを思いながらゆっくりと体を起こした。
「なんであんな夢見たんだろう……」
呟きながら、考えを巡らせる。夢は、何かを伝えるなんて言葉があった気がして、だとしたら、これは何かの警告だったりするのだろうか。
「異能の使いすぎ……?」
俊彦にとって思い当たる部分と言えばその程度だ。じっと、両手を見つめる。
(……この力が使えたのはいつからだったかな)
俊彦が小学校四年生の時だ。なんの拍子で出たのかまでは忘れてしまったけど、突然指先に火が点った事で異能に気付いた。
両親はすぐに、異能の扱い教わりなさい、と異能専門のスクールに俊彦を通わせた。
人並みかそれよりは少し苦手だと評価されたが一年くらいで、もうスクールに通わなくて大丈夫と言われた。
(とはいえ、火を出す力なんてそうそう使う機会もないんだよな……それに、)
『じゃあ、このろうそく! 火つけれる?』
無邪気に笑う兄にかっこいいところが見せたかった。スクール卒業を喜ぶ兄からの課題をこなそうと、俊彦はろうそくに手を掲げた――
「……あれは、ひどかったよな」
結果を言ってしまえばそれに失敗して、兄は軽い火傷をおった。今は跡も無いくらいに完治しており、笑い話のひとつになってはいるのだが。
俊彦の中ではあまり笑える話ではない。この力は、容易に人を傷付ける力で、自分の大切な、守りたい人を確かに傷付けたという事実だけが胸の中に残り続けた。
この件もあって、俊彦は異能を使うことが殆んどなくなった。変に絡まれた時に脅しに使う程度はあったが、直接何かに向けて使うことは無かった。
「……」
ベッド脇にある目覚まし時計を見れば、まだ真夜中だった。けれども、すぐに寝直す気にもなれなくて静かにベッドをおりて、部屋を出るとキッチンへと向かう。
家族は眠っているので極力音を立てないように気を付けながら、コップに水を汲んで飲み干した。
静かな夜は少しだけ不安になる。もしかしたら、音もなく侵略者が近付いているのかもしれない。
夢なのか現実なのかもわからない“侵略者がやって来る”というあの言葉。冗談だと笑う者もいると理解したうえで、俊彦にはどうしてもそれを冗談で済ませる事は出来ない。
じっと、両手を見る。
自分には、守る力がある筈なのだ。この力は、誰かを傷付けるけれども、誰かを傷付けることで守れる事もある筈だと。
兄を傷付けた日から、向き合うことをやめていた異能と再び向き合った。今度はもっと、真剣に、本気で、この力で誰かを守るのだという強い気持ちで――
―――
――
―
「っ、……くそ、」
フェデルタは頭を軽くおさえながら、流れ込んできた吉野俊彦の記憶に悪態をついた。
煙草に手を伸ばしながら辺りを見る。この記憶の流入で足を止めてしまったので他のメンバーとは少し距離が空いていたが、追い付く範囲だ。咥えた煙草に火を付けながら、歩き始めた。
ゆっくりと肺に煙を吸い込んでから、細く長く吐きだせば、少しだけ気が紛れる。
吉野俊彦が見ていた夢には覚えがある。あれは、間違いなく自分の記憶だ。
あの少年と自分がやはり同じ存在であることを認めざるを得ない。そして、あのに焼かれた記憶がいつまで経っても消えることはない、魂にすら焼き付いているという事実も。
「しかし、参ったな……」
フェデルタは、煙と共に言葉を吐き出す。
最初に流れてきた大量の、吉野俊彦を形成するために生まれたあらゆる架空の記憶の奔流に比べれば、たかだか半月と少し程度の記憶は強く自我を保てば流されないが、これが一時間置きにくるというのは、ある種の拷問だ。
今は問題なくても疲弊すればまた、自分が何者か倒錯する可能性は捨てきれない。
何かしらの対策をしなければならないのだろうが、そうそうすぐ思い付く筈もなかった。
はあ、と重いため息を吐き出せば咥えていた煙草が一気に灰になって流れてしまった。
チッ、と大きく舌打ちをすれば新しいのを咥える。
力の調節が上手くいかない時が増えた。そもそも、魔法や異能力といったものへの適正が無く、この力が炎でなければとっくの昔に力に食われている、と言われたことがある。
唯一、そこそこ適正があったのが炎であったというだけで、ここまで自分を保てていたのだ。
この身体を切り刻んで溢れるのは血じゃなくて、煮えたぎる炎でかもしれない。
(あと、もう少しなんだ)
乾いた地面を踏み締める。まだ、人としての形を保っていることを確かめる。
吉野俊彦に流されるわけにも、身の内の炎に喰われる訳にもいけない。
その為に何か、そう、何か自分が自分である証拠でも残せたら……。
「……」
フェデルタはハッとした瞬間にすっかり火をつけ忘れていた煙草を地面に落としてしまった。それを拾うこともせず、思案する。
動いていた足がもう一度止まった。
単純な思い付きだと思うが、試してみる価値はあるかもしれない。
咲良乃スズヒコのように、自らを書き記す事を。
今、自分の中に彼の一部があることはわかっている。彼に喰われてから生き返る時に、一部を取り込んだものが、ずっとある。
そこを意識して、取り出すことが出来ればあるいは。
「……」
軽く意識をした程度でそこに辿り着ける気配は無い。小さく息を吐いて、止まっていた歩を進める。時間は多く無いがゼロではない。今は、合流を優先した方がいいだろう。小走りに先へと進む。
地面に取り残された煙草が、風でころころとどこかへと転がって行った。