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道端に投げ棄てられ、踏み躙られて泥を被っている赤黒い花弁。
それがどんな見事な薔薇のそれよりも美しく見えて、記憶にずっと焼き付いていた。
そのような"綺麗なもの"がずっと欲しいと思っていた。
けれど、本当に心に残っていたのは――。
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男は、一時間前に自分の元を訪れた怪異の様子を思い返していた。
自分には男の望むものを与える事ができないと気にして、それでも何かを残そうとして。
拒絶される事を何より恐れて、自分の身を顧みない。
……いずれ侵略を果たしてイバラシティでの姿に成り代わってしまえば、それまでの自分は消えてしまうとわかっていて、その恐怖を口にも出さずに。
それからもう一人、男に協力を誓った人間の事を思い返す。
イバラシティの住人でありながら、元の世界に倦んでいると、否定された存在に惹かれたが為に侵略に手を貸すのだと口にして。
……この戦いが終われば結果がどちらに転んでも、彼の手元に残るものなど無いとわかっていて、それでも躊躇わずに。
――彼等の在り方は、男がずっと昔に置き去りにして忘れていた筈の記憶と感情に爪を立てて軋ませるようだった。
そんな風に生きた誰かを、いつかどこかで見た気がして。
その時自分は――何を思ったのだったか。今となっては思い出せないが。
怪異には、あの醜い姿を知られてしまった。
……厳密には異能の影響で感応により知覚したのだと言っていたから、直に姿を見られたわけではないが。
彼はあの姿を見て醜いとは思わず、ただそこにある命の形でしかないと受け止めたようだった。
けれどそれは、彼の心──情操が未発達であるがゆえの事だ。
イバラシティでの姿に成り代わって人の心を得たなら、その時はきっと──。
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こんな説話がある。
"人間が蝶になった夢を見ていたのか、蝶が人間になった夢を見ているのか"
――そんなものはどちらでも良い、と誰かが言った。
いずれをも肯定して受け入れ、それぞれの場で満たされて生きれば良いのだと。
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彩シキと乃井香へCross+Roseで送ったメッセージを思い返して、男は深く溜息を吐き出した。
木染玄鳥らしさの補強くらいにはなるかもしれないが、あそこまで親身な台詞を吐く必要など無かった筈なのに。
自分が思っていた以上にイバラシティでの記憶に影響され、彼等との交流に情が湧いていたというのか。
この戦いが終われば大切な人の隣という居場所を失くしてしまう己の苦悩を、ただ誰かに吐き出したかったのか。
――或いは。
イバラシティでの、乃井香との会話を思い出す。
彼女が木染に打ち明けた悩みは、そして木染が彼女に掛けた言葉は、木染自身にも当てはまるものではなかったか。
誰かの隣に居続けるために、口にすれば離れられてしまうかもしれない事を押し隠す。
それでも良いのだと、ズルい事などしていないのだと、自身が誰かに言って欲しかったのではないか。
そんな風にどこか他人事には思えないから気にしてしまう、などと考えるのは馬鹿げているはずなのに。
イバラシティでの木染玄鳥と乃井香の境遇がどうであれ──本来の記憶と姿のハザマでは何の意味も無いのだから。
例えどれだけ本当の人生のように感じようとも、現実と呼べるものは一つだけなのだ。
イバラシティでの交流も何もかも虚構だったとして、利用価値があるならそれで構わない。
未練などは持ち合わせていない。
そう思っていた筈なのに。
"貴方が過去を取り戻す日がきたときに、例えそれがどのようなものであっても必ず傍に居続けたい"
木染玄鳥が大切な存在に告げた言葉が、頭に残って離れなかった。
イバラシティの住民でありながら咎人に手を貸したその人との約束を、木染玄鳥も自分も果たす事はできない。
その事だけは、棘のように刺さり続けて僅かな痛みを訴える。
戦いの決着を迎えてそれぞれが在るべき場所に収まる頃には、きっとお互い忘れてしまっているのかもしれない。
それはおそらく幸いな事なのだろう。けれど――。
思考を振り切るようにして、男は姿を烏のような異形のそれへと変じて羽ばたいた。
彩シキが残しているという、目印を辿るために。
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芸術作品が好きだった。
――例えば、絵画。
紙や顔料などはそれのみで美しいと言われる事は無いが、
画家によって組合わせられ形を与えられ、絵という形のものへと変わる事によって美的価値を付与される。
――例えば、彫刻。
素材の塊を美しいと言うものはそういないが、
彫刻家によって手を加えられて何らかの形を持つ事でその形が美しいと褒め称えられる。
……いわば芸術作品は、誰かが手を加える事によって成立する、造られた美しさの象徴なのだ。
ありのままの美と手を加えて作られた美の間に優劣があるとした連中の方が、きっと間違っている。
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木染玄鳥が語った理由とは全く違うが、この異形は芸術作品を好んでいた。
故に、向こう側の世界で彼が惹きつけられた絵を目印以上の関心を持って眺めてしまったのも、
仕方のない事だったのかもしれない。
異形の視線の先には、青空の模様が描きこまれた鳥のグラフィティがあった。
イバラシティで木染玄鳥に気に入られている青年が、描いたらその時は教える、と言っていた――果たして、約束通りにその場所を先程告げられた絵だ。
鮮やかな色彩を持って羽ばたく青い鳥たちは、それを眺めて佇む己の黒い羽根との対比を思えば絵の前に居る事を少し気後れさせるものであったが……。
それでも、荒廃しむき出しになったコンクリートと青空などとは程遠い赤黒い空が広がるこの世界で、そこだけがまるで外の世界へと抜けて鮮やかな青空と太陽を覗かせているかのようなその絵は、目を奪われるに十分だった。
……そこでふと、違和感に気づく。絵に、瞳が描きこまれていたのだ。
グラフィティで競う相手のいないこの世界では、挑発などのメッセージを込める必要が無いという事なのだろうか。
まるで生きているかのように描きこまれた瞳に惹き付けられて、もう少し近くで見ようと異形はその趾を踏み出す。
間近で見れば見るほど、それは意思と生命を持っているように見えた。
鉤爪で触れれば、綺麗な球のままに抉り取ってしまえそうで。軽く羽ばたいて壁に描かれた瞳へと趾を伸ばした時――その青い瞳が動き、そこにはっきりと烏のような異形の姿を捉えて映し込んだ。
………………………
………………
………身体が軋む。意識と視界がぐらぐらとする。
頭が痛み、はっきりと繋がりきらない記憶の中で覚えているのは、高い所から落ちた衝撃だ。
状況を確認しようと重たい身体を起こして周囲を眺め……言葉を失った。
そこは、見慣れていた筈の街であってそのものではない。
荒れ果てた景観はどこか見覚えのある風景の面影こそあるものの、痛々しいまでの様変わりをしている。
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「――これは、一体……」 |
数ヶ月ほど前に、悪戯のように耳にした侵略の話。目の前に広がる光景は、それを思い起こさせるのに十分すぎて。
――"木染玄鳥"は愕然として荒廃した街と赤い空を見渡した。
※PLより注釈※
頭を打ったか何かして記憶の混濁により「自分の記憶や性格をイバラシティでの状態寄りに思い込んでいる」状態の演出です。
次回以降の日記と一部チャット用の演出のため、やりたいRPを回収したら落ち着いたとして通常運行に戻します。
そのため、戦闘セリフ及び、一部の方宛を除いたチャットでのやり取りにはこの状態を反映しません。ご留意ください。