今世紀最大の一大事だ。
びっくりする出来事が起こるたび、自分はそんなことを思っているのではないだろうか。いや、父が亡くなった頃はそんな風に思える状態ではなかったか。
運送業者だった千崎の父は、高速道路の玉突き事故に巻き込まれて亡くなった。千崎がまだ小学生の頃だ。
事故の原因が亡父の運転だったのではという疑惑が持ち上がり、いろいろと酷い目にもあったのだが、亡父が勤めていた会社の顧問弁護士だという人が親身になってくれて、亡父の疑いは晴れたし、遺族である千崎たち母子の生活も穏やかになった。
千崎は一人っ子なので、このまま母子二人で慎ましく暮らしていくのかなとぼんやりと思っていた。亡父のぶんまで母さんを守るとか、いい大学を出て母さんに楽をさせてやるんだとか、そんなことを考えていたような気がする。ませた子供だったのだ。
千崎の母は――息子の千崎が言うのもおかしな話だが――綺麗な人だった。若い頃に水商売の経験があったため、世慣れてもいた。人受け……特に男性受けする行動を熟知していた。千崎というコブつきだったにも関わらず、未亡人となった千崎の母は非常にモテた。それに奢って男を取っ替え引っ替えし、千崎を蔑ろにしたというなら酷い話なのだが、華やかな世界を裏の裏まで知り抜き、加えて夫を亡くした千崎の母は、若く美しいと同時に強くしたたかだった。限りある自分の若さに寄ってくるような浮ついた男になど、見向きもしなかった。
千崎はそれを、母が自分の愛する人は亡父一人と思い定めているからだと思っていたのだが、実際にはそんなことはなかった。彼女にそんなセンチメンタルな貞操観念などなく、心許ない自分の将来を預けるに足る男性をじっくりと検分していただけだったのだ。
だから、千崎は母が再婚すると聞いてびっくりしたし、相手が亡父の弁護をしてくれた件の顧問弁護士だと聞いて二度びっくりした。確か既婚者で子供もいたはずだと思ったが、妻の浮気が原因で離婚したのだそうだ。失意の底で千崎の母と偶々再会し、親しく付き合ううちに再婚を考える仲になったのだという。
千崎は、弁護士の彼のことをよく覚えていた。理不尽な事故で突然に父を亡くし、加えて酷い目に遭わされていた小さな千崎にも、弁護士はとても良くしてくれた。千崎もまた「新井のおっちゃん」と彼を慕っていた。
その新井のおっちゃんと、母が、再婚する。
「お母ちゃんの好きにしたらええんちゃう? 新井のおっちゃんやったら悪いことなんもあらへんやん。ウチも好きやし。お父ちゃん死んでかなり経つしな」
息子の言葉に、母は明らかに安堵したようで。その表情を見た時、今までずっと綺麗だと思っていた母の顔が、なぜだが急に醜く思えてしまったのだ。
そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ。
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「……」 |
長くて短い夢から覚める。
目の前には大きな時計台と、一人の女の姿があった。
確か、エディアンとかいう名前の。白銀の髪には、朱色がとてもとても似合いそう。
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「おやまあ、夢やったんかいな」 |
自分の名は血咲。千崎ではない。
古い思い出も。あの街での出来事も。すべては泡沫。儚い幻。
それを悲しいとも、切ないとも思わない。
あの賑やかな騒乱の街は遠い出来事。けれど、手が届かないほど遠くはない。
侵略が成功すれば、あの街は自分達のものだ。
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「嬉しいわあ……」 |
あの街で出会ったたくさんの人を思い出す。たくさんの顔を思い出す。
話した人も、ただすれ違っただけの人たちも。
数え切れないくらいの人々の花が咲いたら、それはどれだけの素晴らしい眺めだろう?
自分は血咲。今はまだアンジニティの住人。
イバラシティに大輪の赤い花を咲かせるべく、彼女は敵へと対峙した。