――カスミ区のとある通りには、『未来の自分の姿』が見える鏡があるという。
http://lisge.com/ib/talk.php?dt_p=595&dt_s=116&dt_sno=17064003&dt_jn=1&dt_kz=12
***
俺の両親は海で死んだ。
フィールドワーク中の海難事故。遺体は上がってこなかったため、行方不明というのが正確なところだが、恐らく死んでいるのだろう。
いい親だったとは思う。研究で忙しく家を空けがちな両親だったが、帰った時には珍しい標本や沢山の本を与えてくれた。世間一般で言うところの「よい家庭」とは恐らく違うのだろうが、俺は両親に感謝している。
それでも何故か、二人が海に沈んだと聞かされた時、悲しみという感情はなかった。
三年経っても両親は見つからず、祖父は二人が死んだものと決めつけた。葬式で二つ並んだ空の棺を前にしても、悲しみは湧いてこなかった。
ただ羨ましかった。
波に抱かれて海に消えた二人が。
今も、光も届かぬような深く昏い海の底で眠っているだろう彼等が。
「海の底は、きっと美しいんだろう」
いつか命が終わる時には、俺も海の底で眠りたい。
両親の死以来、俺は強くそう願っている。
だからこそ、カスミ区の鏡を見にも行った。
そこで俺は、いつか迎える自分自身の最期を見た。
***
あちらでの記憶。
『ワールドスワップ』によって用意された仮初の姿の記憶。
よくできている、と感心すると同時に、流れ込んできた記憶にはうんざりする思いだった。
そもそも俺は人を喰う怪異で、その俺が人の体に押し込められていたこと自体が腹立たしい。人の暮らしは煩雑で無駄が多い。記憶と同時に得た知識で知ることはできたものの、理解することすら億劫だ。
しかし、こちら側で敵対することになる"本来のあちら側の住人"達に対する時には、あちらの記憶を積極的に利用していくべきだろう。人の細分化された感情というやつは、うまく使えば弱点になる。わざわざ弱点を広げるような進化を遂げている人という生物はやはり理解しがたいが、それがこちらに有利に働くならばいい。
そう考えると、どうやら交友範囲があまり広くないらしい"あちら側の俺"にますます腹が立ってくる。使えないにも程がある。
――"海の怪異の実在を生物学的に証明したい"?
笑わせる。
おまえの縋る学問という手段は、科学という拠りどころは。
かつて俺のいた世界で、俺達の存在を消し去った光そのものだ。
それでもひとつだけ。
言うなれば"皮"でしかないそいつに対して思うところがあるとすれば。
海に帰りたい、その願いだけだ。
あの鏡に映ったのはこちら側の俺の姿だが、俺にはあちら側を覗いた記憶などない。こちら側からあちら側に干渉する手段など、恐らくない。
だからあれは、蜃気楼のようなものなのだろう。
あの鏡も怪異の一種なのか、何かの絡繰りがあるのかは知らないが。映ったものが海の中の自分自身だったことは、そしてそれを"自分の死んだ姿"だと解釈したことは評価してやろうと思う。
――今の自分が仮初でしかないことを、よくわかっているじゃないか。
懐かしい海。口惜しくも引き離された海。
この侵略を扇動した者の意図はわからない。知らない。どうでもいい。
しかしこれは千載一遇の好機。
海へ帰ろう。
元の世界とは違えど、あちら側の海は十分広く、美しい。
あの海を手に入れるために。
せいぜいあちら側とは仲良くしておこう。
おまえ
そうだろう? あちら側の"俺"。