――カ ラ ン 。
右手から滑り落ちたステンレス製のスプーンが床に落ちて、高い音が鳴る。
そこで、少女の世界は一変する。
◆◆
開いた口は虚しく空を食む。
「……え?」
舌に伝わるはずだった甘味は遠くへ消え去り、代わりに、木製の椅子ではない冷たさが臀部から伝わってきた。訳も分からず呆然とする。
「……どこ? ここ……」
制服姿のままの少女。尻餅を付いた体勢のまま、彼女は楊梅色がかった焦げ茶の瞳を見開いて、周囲を見回した。
見たことのあるような、ないような景色。
少女は先ほどまで、鈍色の雲が垂れ込み、夜の帳が下り始めた街に降り出した雨を窓から眺めていた――はずだった。
「
――!」
・・・・・・・・
目前に聳える影に気付いて顔を上げれば、巨大な時計台――見覚えのない――と、見覚えのある人影。いつかの夕暮れと同じ、現実離れした禍々しい空色。
夢か現か。確かめる暇も与えられないうちに、目の前のスーツ姿の男は、半信半疑であった“他世界からの侵略”について勝手に説明を始めている。
ハザマ。舞台。ルール。お相手。情報。
―――胡散臭い。
普段は楽観的かつ善心的な思考をする少女だったが、今回ばかりはその感情が優った。
ついでにムズカシイことを一気に言われても、頭が追い付かない。
これは、夢?
だって、アンジニティの侵略は。あの話はきっと、性質の悪いユカイハン……っていう、悪い人の仕業、なんでしょ?
こんなところに呼び出されるなんて、何かの、間違いじゃないのかな。
今は相良伊橋高校の、テスト期間中で。折り返し地点に来たから。
私はついさっきまで、お気に入りの喫茶店で、冬季限定のストロベリーキャラメルパフェを食べようとしていたのに。
早く、目覚めよう。元の世界に戻ろう。
スカートの汚れを手で軽く払い落としながら。意を決して立ち上がり、頬を抓る――痛い。
あれ。おかしいな。夢なら頬を抓っても痛くない、とよく聞いたことがあるのに。
それともこれは、痛みを伴う夢なのかな。そういう夢を見たことは、全くないわけじゃないけど。
“メイセキム”とか“ハクチュウム”って類の夢なのかなあ。
“実験台”という趣味の悪そうな言葉が、遠く少女の耳に届く。
ぐちゃ、と耳障りな粘着音に振り向けば―――
血の色をした気味の悪い液体状の“何か”が、すぐ傍まで迫っていた。
The Evening.1