ふと、気配を感じて"神"は背後を振り返る。
視線の先には、赤髪の少女。魔王フィーグルが静かに立つ。
どこか疲れ切ったような表情の中で、瞳だけが爛々と燃え盛り、異様な熱を湛えていた。

「…ああ、そうでした。人類殲滅を達成したらこちらに呼ぶ約束でしたね。お疲れ様でした」

魔王は答えない。
それに気分を害した様子もなく"神"は続ける。

「詳細は見ていたので言わずとも分かります。お見事でしたよ。
　さて、それでは次の世界ですが。どういうものにしたいですか？
　……ああ、毎度聞いてるんですよ。人類を滅ぼした魔王に。
　二つ前は技術が高度に発達した文明。前回が技術が程々に発展し不可思議な力を持った文明…。
　どちらも、二度とこんな事態を起こしたくないと考えての事だったみたいですが」

「…………そうね。その考えは、私も同じよ」

此処に来て初めて、フィーグルは口を開く。しかも"神"の発言に対する肯定の意。
それを服従の証と受け取った"神"はにやりと口元に笑みを浮かべる。

「なるほど、なるほど。ではどういう世界にするかは考えていますか？
　ああ、思えば確かに。貴女はずっと何か考えているご様子でした。
　結論は出たんですか？」

「…ええ。出たわ」

魔王が一歩、前へ踏み出す。"神"は動かない。
言葉の奥に秘められた意味を感じ取っても、笑みを微塵も崩さない。

「では、どういった世界に？」

鏡写しのように、魔王もまたにやり、と口元を歪める。

「アンタがいない世界よッ！！」

魔王の圧倒的な魔力を使って形成された、恒星程の大きさはあろうかという魔力の弾丸。
エネルギーにおいても単純な質量においても桁外れの一撃が、光の速度で"神"へと迫る。
しかし"神"はやはりそこから一歩も動く事がないままに、ただ悠然と立つ。
弾丸はその身体に触れる薄皮一枚手前で、時が止まったかのように停止する。
弾丸はその強大なエネルギーを一点に絞り込みながらも"神"に触れる事は叶わず、霧散する。
"神"は自分のすぐ目前まで迫っていた光景を、他人事のように見つめながら

「そんな仕掛けがあったのですか」

やはり他人事のように呟く。
魔王はさして残念そうな様子もなく、呪文を詠唱する。
"神"はやはり笑みを崩さないままに告げた。

「無駄ですよ。この障壁は破れません。神の権能たる無限に循環する永久障壁。
　いくら壊そうとしても、壊した瞬間に再生する」

「――――」

「悔しいのは分かりますけれどね、お互いのためになりませんよ。
　それより前向きに考えましょう？　次の世界はもっと上手くやればいいじゃないですか。
　私の干渉が及ばない様。私がどうしようもない程に。
　何、私は過干渉は好みではありませんから、あなたがどんなにしても文句は言いませんよ」

「――――」

それでも詠唱を止める気配のない魔王に"神"は心中溜息をついた。
まあ、無理もない。自分がまったく届かないと、やっている事が無駄な事だと気付くのには、誰とて時間がかかるものだ。
次のが渾身の一撃の様だし、それを凌げばいくらか頭も冷えるだろう――

そう考えて"神"は障壁に流れる力を強める。
先程の小細工は少しヒヤッとした念の為、彼女に渡した力の3倍ほどのエネルギーを流しておこう、と。

「――滅びろ」

宣言と同時に、魔王の掌から放たれたのは指先大の黒い光球。
魔王が持つ膨大な魔力のほぼ全てを一点に凝縮した破滅の光。
"神"はほくそ笑む。これは全てを賭けた一撃に違いない。ならば、これを防げば彼女も諦める事だろうと。

「――お断りしますよ」

魔王の渾身と"神"の手加減が、衝突した。

　シ・ドゥは背を向けたまま答える。

　立ち去ろうとするシ・ドゥの背後であたふたしている。
　彼女は去ってほしくないと思っているのだろう。

戦って示せば、という言葉にはぶんぶん首を横に振る。

もはや伝説の傭兵でもなんでもない

ばしんと叩かれて少し傾く。

しかし表情は穏やかで。

この世界にもあったんだな、と少しおかしげに肩を竦め。

　と、傍らのイヌワシは、満更でもない様子で翼を広げている。

　静かに、しかしはっきりと、明確な想いを持って返された言葉。
　目を瞠る。
　続く言葉に、静かに目を閉じた。

長刃を振り、血を拭った。