契約した《ドール》というエンブリオが、強固な輪郭として、己の中に何かを為していた。

　自分と契約した誰もが、一度はそこへ行った、そうだ。
　けれど、そこに居続けるのは、ユニコーンとスレイプニルだけ。
　そしてどうやら《ドール》は、その空間を作る為の輪郭として、空間そのものとして存在しているらしい。

　悪魔はそこで呪いを確実に食むことを覚えた。
　鳥は、そこにある樹は、止まり木には向かないとだけ感じた。
　狼は、夢を覚える前から、そことこちらを行き来している。
　霊は、人の内では姿を留められないと、早々にそのあり方を定めた。
　蛇は、最初のいくらかはそこで過ごしたようだが、そことこちらを繋ぐ風の中を泳ぐか、外に出ていることのほうが楽であると知った。
　海神の欠片は、純粋なる元素として傍にあることを好んだ。

　白虎は、透明な目で、それをただ理解した。
　そして一度も、ドールの内側には戻らない。戻らずとも、それがそこにあることを忘れない。

　そこには黒い樹があるらしい。
　墨色の、しかし枯れてはいない、異質な樹が、強く強く根を張っている。
　根を張られた足元は、ネクターとよく似たくすんだ赤だ。

　それがそのように見えることが、ドールの為したことであったという。

　かつて一度だけ、水面のように揺れた後、ただただあり続けるだけだった呪いは、そうして輪郭を得た。
　かたちあるものはいつか滅びる。
　故にドールは、呪いにもうひとつのかたちを与えた、という。

（メルンテーゼに来ることがなければ、きっと）

　こうはならなかったろう、と思う。
　得がたい出会いがあり、恵みがあり、思い出があり、記憶がある。
　歩くべき道は続き、それは恐らく、無限よりはまだ短い程度の、長い長い寿命の、ほんのはじまりに過ぎないとしても。


　かつて、メルンテーゼの話が出た時。一度だけ『あの人』は言った。

　――ここ以外の何処か。ここ以上に、君が『特別ではない場所』へ行ってみることも、選択肢かもしれないね。

　即答はしなかった。間違ってはいない。だからこそ、慎重に考えるべきだと思った。
　だが、やはり、何処かで誘惑にかられてはいたのかもしれない。
　特別ではない場所。あるいは、『普通の人間』と同じように、生と死が正しく日常としてあるかもしれないということ。

　そして。そして、あの瞬間を、振り返る。

　普段ならまずしないようなミスを――門があるような、不安定な場所の近くで、つまずいて転んだのは。転んだとき、受身を取りそこねたのは。はたして偶然であったのか、どうか――