――そうして俺は、やっと止まれた。
アイツの号令を受けて、罠やら誘導やらで森中に散らした魔物達が再び固まり始める。
そいつ等の対処をしている間に、アイツが目の前に現れて、気付いたら腹に大穴が開いた。

アイツが投げた氷の槍が腹にブッ刺さったという事に気がついたのは、地面に倒れてからだ。

……夜の森は、変わらず煩かった。
虫達が鳴き喚き、木々は泣き叫ぶように風に揺れて、生物達の荒い息遣いが耳につく。
と、躊躇ったような気配の後に、アイツの声が聞こえた。

「……グリフ。あなたはどんな死に方をしたい？」

物騒な物言いに、思わず苦笑して、ぼやける世界ではっきりとそいつを捉える。
小さな魔法使い……魔王か。ともかくそいつは、有り得ない位に堂々と立って俺を見ている。
俺も負けじと顔があると思わしき方向をへ、視線を向ける。顔は、よく見えなかった。

「……もう少し遠回しに聞けよ。相変わらず物騒だな」

「……よろしいので？　お仲間では…」

憎まれ口を叩きながら思い出す。
ああそうだ、コイツはホントに昔から変わらない。
短気で、直情的で、物騒で、お節介焼きで、料理が下手で、小さい事を気にしていて


「仲間よ。今までも、これからも」


優しくて、そのくせガキみたいに甘ったれで。
そして――

「でも、私は止まれないし。グリフもきっと、そうだから。
　どちらかが生きてる限り、きっとあなたは私を殺そうとする。
　…そうでしょう？」

「……エルフの誇りに賭けた誓いは、この世の何よりも重い」

あの夜した誓いを思い出す。
ヴィルムからは物騒だなんて怒られたけど。俺は真剣だった。
お前がいなくなることなんて考えられない、耐えられない。少なくとも、今はまだ。
いつかお前が年老いて、ゆっくり眠りに付く頃までには耐えられるかな、なんて。
そんな叶うかどうかも分からない夢を夢見ていた。

…いや、一生なんて大それたものじゃなくてもいい。
ほんの近い先。ほんの少しの未来に待ってる幸せを夢見てた。
今度はここに行きたいとか。これを食べてみたいとか。そんな夢でよかった。
俺が守るのは、そんな小さな夢でよかったのに。


「……ヴィルムを殺したからな、お前は」


殺したのは――少なくとも殺意をもって殺したわけではないと自分でも分かっていたのに、そうやって自分を騙さずにはいられなかった。
ヴィルムが殺されたというのに、しかもそれを恨み、復讐する相手がいなくなったら――もう俺に出来ることが何一つ無いという事実に、俺はきっと耐え切れない。
そこにエルフの誇りなんて高尚なものは欠片も無い。

あるのは、狂おしいほどに愛した女を失った生き汚さだけだ。

「そうね。
　……私が、殺した」

それをアイツは、今にも泣きそうな声で肯定する。
死ぬ直前になって、生に執着する必要がなった今になってようやく、俺はアイツに対して申し訳ない気持ちを持つ事ができた。

「…悪かったな。悪党なんてガラじゃないだろうに」

「……何の事かしらね？」

謝罪を拒むかの様に、声は冷たい。
だというのに俺は、思わず吹き出しそうになった。
ああ、そうだ。お前は本当に優しくて、甘ったれで――

「……オマエ、本当に顔に出るよな」

霞む視界でも分かるくらい、アイツは葉を食い縛って、大泣きする一歩手前の子供みたいな顔をしていた。
……泣いたって別に良いだろうに。お節介め。まあ…

「…いいや」

頭で考えていたはずなのだが、言葉が知らず口に出ていたたらしい。
…どうやら俺はもう間もないようだ。

「俺ももう動けないし。仇討ちはここで終わりだ。
……あーくそ。ヴィルムにする言い訳考えとかなきゃなぁ…」

いやに身体が冷えて寒い。
よほど「炎で焼いてくれ」と頼もうと思ったが、森の民がそんなのを頼むのも気が引けたし、カッコ悪いので我慢する。
魔王がどれぐらい生きるかは知らないが、伝説に残るくらいだし多分俺達よりは長いだろう。
どうせならカッコ良い俺を記憶の中に留めておいてもらいたい。

「…ああ、そうだ。殺し方……だっけか。仮にもエルフだからな。
　できればこのまま放っておいてくれ。
　…このまま、ここで森の一つになりたいんだ」

いつか俺が死ぬ時の為に取っておいたとっておきのセリフを言う。
その俺の近くに、がしゃん、と音がした。
花束にしちゃ音が重々しいが、なんて思いながら驚くほど動きの悪い首を動かして視界に収める。

――木の棺。

まさか。
そう思いながらも、俺は近寄らずにはいられなかった。
愛するものの名を叫びながら、俺は少しずつそれに近づく。口からごぶりと血が流れたが、あまり気にならなかった。

棺の蓋はいやに重く、苦労しながらずらすようにしてそれを開ける。

俺の待ち望んでいたものが、そこにあった。

「……あ、ああ…」

ヴィルム。
俺の、大切な――――

少しでも傍に近づきたくて、そのまま身体を棺の中に入れた。
少し血で汚れてしまった事に申し訳なさを感じるが、それよりも再び出会えた喜びが勝る。

「ごめん…な……」

本当はこんな事、絶対に望んでいないと分かっていたのに。
俺とコイツが殺し合う事なんて、絶対に悲しむと分かっていたのに。

「俺…耐えられなかった、よ…」

俺はどうやら、お前が信じてくれるよりも、ずっと弱い男だったようだ――。

「――――。――」

棺の外から、誰かの声が聞こえて。それから立ち去る気配がする。
首を動かしてそちらの方を見ようとしたが、身体はぴくりとも動かなかった。
俺は、あの声の主に、何か大切な事を言わなくちゃいけない。そんな気がする。

何を、何を言おう。
考えようにも頭は恐ろしく動きが鈍い。寝起きだってもうちょっとシャキッとしているだろう。
結局俺は考える事を放棄して、思ったままの事を口にする事にした。

「あり…がとう……」

返事は聞こえなかったが、俺は不思議と許されたような気になっていた。
そのまま、俺はゆっくりと瞼を閉じる。
身体の震えはもう無い。肌に感じる温もりが、とても、暖かかった。

と、勿体つけた彼女は

などと、ものすごくどうでもいいことを真面目な顔で言った。

咎めるような目を、少々訝しげに受け止めて。少しの間の後に、何かに納得したような様子。

何、と、
問いを掛けられて、喉の奥に押し留めた何かが、ごぼり、と揺れる。

それを吐き出すべきかが分からない。
吐き出していいのか判断がつかない。

声は、渇く。

ああ、だが、それでは。
慨嘆に声が掠れる。

それは嫌だな。
取り残された稚児のように、ただ純粋に、恐れていた。

見た目は関係ない。そう慰めるように、ぐっと親指を立ててみせた。

ことりことりと首を傾げ。急かすこともなく待ち続けて。