冷たく気怠い冬を抜け。
　穏やかな春を迎え。
　そして木々の葉は深緑に色付き、夏への備えを始めている。

　竹林の屋敷もそれは同様。風が竹葉を揺らす音がそよぎ、葉の隙間より注ぐ陽光は、竹林の影を縫うように地面へと仄かに照らしている。
　詩人がいれば詩の一つも詠みそうな趣のある風情だ。

　しかしながら残念なことに。今は周囲の風流に心を傾けている暇はない。
　その事を惜しいと思いつつコリトは抜刀の構えを取った。

　息を一気に吐き出す。振り抜かれた氷刀の冷気が竹林を通り抜け、季節外れの霜を降らせる。
　冬の残滓を思わせる凍気の刃は軌跡の上にあった竹の幹をまとめて凍結させた直後。パリンと、氷の割れる音が連鎖。最後に根本を折られた数本の竹が、一斉に倒れる音が周囲をざわめかせた。

　御意に、と短く答えるとコリトとバリオは倒した竹を担ぎ運び出す。
　運搬先は竹林の外ではなく内側方向。つまりは屋敷の側だった。
　二体のエンブリオは程なくして林を抜けると、また新たに二体のエンブリオが待機していた。
　片方は羽根を持った黒い石板の様なパキラ。
　もう片方は金色の甲羅を着た大型のエビのグナト。

　どちらも言葉を扱えないが、パキラはクルクルと旋回し、グナトは両のハサミを振り回してバリオ達を出迎えた。

　バリオの妙な呼び名は未だに健在である。最初から気にも留めていないであろうパキラは楽しげにバリオの周りを飛び回るが、グナトは違うらしい。ハサミをキッと構える姿はおそらく抗議の姿勢なのだろう。

　天然なのかそれともわざとなのか。真偽のほどは不明だが、バリオが正確に名前を覚えない事はきっと竹林の住人全員が承知している。
　バリオに初めてミドリと呼ばれたのは嵐の日であったあったか。もう随分前の事の様にも思える。そんな事をしみじみと思い出しつつコリトはバリオらと共に作業を続行。
　運び出した竹を束ね、グナトがハサミで切り分けた縄で固縛する。さらにパキラが運べるように縄の先端をパキラに括りつける。体こそ小さいがパキラはこの中でも一番の力持ちなのだ。
　

　バリオの音頭に合わせ、それぞれ竹の運搬を開始した。
　皆の姿は一様に張り切っていると言える。それもそうだ。何しろ久しぶりに主から渡された頼みなのだ。



　今回の竹の伐採はゼゼが実施すると言っていた事だった。
　この時期の竹の分布と成長は早い。そこら中でタケノコはニョキニョキと生えて頭を出し、そのまま放置しておけばあっという間に背丈を越えて硬い青竹になってしまう。
　竹林の中に生えたならば竹が一本増えた程度でいいのだが、道の上では通行に少々不都合が出る。
　道でなくとも、竹林から不恰好にせり出した様というのは見栄えは悪い。それに畑の傍に生えたならば養分も奪われるおそれも出てくる。
　この空間は闇が作り出したので、その具合をどうにか出来ないかと尋ねてみたが、当の主は肩を竦めて見せるばかり。
　仕方なくゼゼとその契約エンブリオがその作業に当たる事になった次第である。
　もっとも総動員ではない。体が小さくこの手の仕事に不向きオウラスや、「ただの貧乏くじじゃない」と不満を漏らしたプレソは参加せず、有志のみでの作業となっている。
　しかし現在となっては全員で作業に当たらなかった事を、ゼゼは後悔始めていた。


　――非効率だな。

　内心で手際の悪さを嘆きつつ、ゼゼは今日何本目かになるタケノコに体重をかけ、踏み折った。
　若いタケノコはとても脆い。頭が少し出ている程度ならば足で軽く踏んでやるだけで簡単に折ることが可能で、そのまま放置してもすぐに腐るため撤去の手間も少なくて済む。
　しかしある程度育ったタケノコは放置する訳にもいかない。邪魔にならない場所まで運ぶ必要がある。だが持ち運べる本数にもやはり限度がある。
　それに加え屋敷の敷地全面に一人で目を配らなければならないという問題もあった。背の低いタケノコは簡単に草の影に隠れてしまう。さすがにそこまで徹底的にやる必要は少ないと思えたが、買って出た以上手抜きは出来ないという責任感が勝る。プレソに言わせればそれこそが貧乏くじの原因なのであるが。
　だがそれでも、改めてプレソらに頼もうという選択肢は存在しなかった。

　独りごちて。とにかく数を減らそうと思い新たなタケノコを探そうとした時だ。

　背中へとかけらる間延びした翁の声。後ろへと目を向けると、そこには冗談のような姿がある。
　
　全身のほとんどを真っ黒な外套ですっぽりと覆い、頭に乗っているのは煤けて薄汚れたカボチャの頭。そのさらに天辺には蝋燭を思わせる火が昼の日差しの中チロチロと揺れている。
　一言で表すならば出来の悪い仮装だ。そういった催しに参加しても失笑を買う事だろう。それがゼゼとほぼ同じたっぱをしているのだから目立つ事この上ない。
　怪しい風貌の来訪に、ゼゼは少し驚いた様子で相手とその周囲を見た。

　鷹揚に頷いてみせるスピルは種類で言えばジャックオーランタンのエンブリオ。火を扱うことに長けた種だ。
　当人は心配無用とは言うが、ここで一つ小火があっただけでも目の当てられない事態になる。

　黒い外套の中から現れた、枯木の様に細い手。それがひょいと放った物をゼゼは受け止める。
　手の中に納まったそれは青竹で出来た水筒だった。

　そう言ったスピルに短く礼を言い、ゼゼはその場に腰掛け早速差し入れられた水筒の栓を引き抜く。
　丁度体が水分を欲していた。だがゼゼが口を付けたのは少量。元より乾燥した地域に適した体であるため、一気に呷りはしない。また水の豊かな生活に慣れ過ぎないようにするための自戒でもある。

その場に立ったままでスピルは言った。

　ああ、とゼゼは頷く。同時にここに来るまでにタケノコの群生具合を見ていたのだなと感心した。

　どういう意味だ？　ゼゼが問う。本当に何を言っているか分からない。そんな様子をゼゼの顔から読み取ると、スピルはカボチャの頭を少し俯けながら言う。

　ゼゼは言い返せなかった。わざとそう言う言い方をした事をスピルは察しているのだろう。

　強く言い切るその声には、苛立ちが混じり始めている。
　短気なものじゃ。そうと知りつつもスピルはあえて言葉を続けた。

　怒りを露骨に出すのは早かった。苦々しく吐き捨てるゼゼの脳裏には、また兵舎での出来事が過る。
　散々息巻いていたというのに何もできず、やった事と言えばエンブリオたちと衝突しただけ。さらには己の信念の揺らぎさえも指摘された。
　
　余りにも無様な結果だった。その件での心の整理がまだついていない。
　あの後。取り繕う様に話したのは一度きり。戦闘時だけはどうにか意思疎通はどうにかなっているが、今の様に距離を置こうとする事は多い。
　そして。時に苛立ちを八つ当たりにぶつけてしまっているのが現状だった。みっともない以外に言いようがない。

　この時点では間違いなく本音であり、それが最良と考えていた。
　だが返ってきたスピルの言葉はそれを一蹴するものだった。

　今のゼゼには最も心に来る一言であった。

　唐突に切り出された話に繋がりが見いだせない。だがスピルは特に催促もせず黙っている。まるでゼゼの言葉待っているかのように。

　本当に見たままの印象であるが、それが全てだった。

　頭の火を揺らして笑い、スピルはゼゼと向かい合うように腰掛けた。

　要は考え方次第じゃよ。軽く口にするスピルだったが、その声には年を経た者が持つ彫り深い憂愁が滲んでいた。

　言った通りスピルにはこの世とあの世を彷徨った記憶は存在しない。
　だが誰も彼もが迷う様はあまり見ていたくはない。
　それは年の功というよりも、己の冠したランタンの名の性とでも言えるだろう。

　感情の読めない声は、その場しのぎの回答を返す。すぐに心が変わるはずもない、というのは既にスピルの念頭には入っている。

　すっと立ち上がるとスピルはゼゼの腕を取り引き上げる。枯れ木のような腕に反して、その力は強くゼゼの腕を掴んでいる。

若もんは時間がいくらでもあると思ってすぐに先延ばしにするからの。その癖何でも省略したがる

ほれ。つべこべ言わずに行くぞ

拒むゼゼをスピルは問答無用に引きずっていく。

（ガーン）

一度お会いしたい、という言葉には少し考え込んで。

彼女の世界の竜は、心底退屈しきっているらしい。

決意を新たにした模様。
竜の風習についてゼゼがコメントすれば、笑って。

どんどん萎んでいく自信。
商品プロデュースについてゼゼが首を捻れば、こちらもうーん、と考え込んで。

そこまで言ってから、まあ、と前置きして。

何頭も妹は居るが、今回が一番面倒かもしれない。
そんな事を思いつつぼやく青年である。

小さく笑いつつ、問いには口を開く。

繁殖可能かとかそういうのも絡んでくるんだがね、と補足する。
そして差し出されたランプに目をぱちくりと。

出てきたナイトスピリットと視線があった。
何とも微妙な顔で頭を軽く下げて見せつつ、そうポツリと。
住むことに問題はないが、術式を刻む間ちょっとお留守にしてもらわないと行けないのだが。
そんな言葉を続ける。
もっとも、その作業時間は小一時間程度ですむわけだが。