銀のインゴットの鈍色を輝かせるほどの明かりもない。月光のエンブリオに闇を見通す力を得てから、敢えて火を灯す機会はずいぶんと減った。契約のあいだ限りの力能といえ、味方してある以上、使うにこしたことはない。しばらく使われておらず、掃除の手も行き届いていないように見える室内は、三階廊下にいくつも並ぶ脇部屋のうちのひとつだった。城らしい気の利いた調度や装飾を申し訳のように手配した一部屋は上級兵士のものか召使いのものか知れないが、少しは文化的な雑務をなす者の私室であったらしい。武骨な樫の書見台が主のないままに佇んでいた。銀のインゴットは、何に隠されるでもなく、本来は居場所のないものが仮宿として運び込まれたかのように、固められて部屋の隅に積み上げられていた。たしかに良質のそれは銀塊だった……けれど何のための。

かつての住人たちはあるいはなにかと戦おうとしたのだろうか、と、廊下のところどころにやはり詰まれた角材やなにかの魔法物質と思しき粘着質の金を考え合わせて、空想しないこともない。銀は並の武器に傷つかない不死者たちと戦う武器になる。これまでの二階部屋のそこここで念のため銀の食器やカトラリーをくすねてはきたが、これほどに大きな塊が手に入るなら無用の配慮ではあったのかも知れない。いや、それはどの道わからなかった。超常の力のあるとはいえ、なにが良手であるのかを、未来を見通す力を持たない私のエンブリオとともにあるのなら、そのたびごとにどうしても余剰の悪手はできる。仕方ない。

廊下の先は変わらない、けれどたしかに異なり続ける夜風と沈黙が横たわっている。この先にもおそらく階段はあるだろう。二階や三階で最奥に辿り着けるほどの城攻めであるなら易いものだ。あとひと息で喰いつくと夢想した喉笛の、期待を裏切り逃げてひらひらと嗤う、その運命のやり口には慣れている、そして馴らされはしない。天を衝く虚飾の栄華の高みには、（おお、高み、オルガ・オルガノールの叛逆を突き立てるべき永遠の敵）討つべき敵が確かにいる。この世界の救援を模しながらどこまでも世界のためとは言い難い我執に支えられた私の誅王に義はない、理もない、是非もない、突き詰めれば獣のような欲望が衝動を肯定する。この世界の住人の手による革命であるなら、もう少しは未来について語る必要があったろう。いや、革命者は本来、そうして革命の介添人としての立場にのみ甘んじなくてはならなかった。革命後の世界に生活し、経済し、喜怒哀楽するのは畢竟その世界の住人であるからだ。革命者は旅人、世界の変革にのみ関わり、世界を運営するメソッドを持たない。私もまたそれは変わらない。私の王殺しには未来がない。断崖の無法と闇が口を開けている。私の見たいのはその闇で果たして人の選び取るひとつの行為、その燃えるように明るい一択だ。ああ。

どれだけの高みに王がいるのか。王。吐き気を催す言葉だ。それでも、レルヴォヴェールの革命者は、みな殺すべき王を持たざるを得ない。持たない生き様を選べない。……

ダルシャナの事典亭。
連れられるままにその一角に腰を下し。

緊張か手持ち無沙汰か、机の木目を指でつとなぞりながら。

『眉間をほぐしたほうが良い』。
そう言われたのを思い出して、中指と薬指でぐりぐりと自身の眉間を押して。
ワインが運ばれてくるのなら、恐る恐るそのグラスを手に取りつつ。

やや俯きながら腕を組み、うーん…と唸った後、男は口を開いた