「―――…落ち着いて下さい。」

低音で制止が掛かったその時。
塗り込めた闇の中、首を握りしめていた色取り取りの爪先はその対象の細さ故に祈る仕種に見えた。
或いは、何かを閉じ込めたいと隠したいと願うような仕種であった。
堪える口許はきつく引き締まり、指に込められた力が伊達でない事を物語る。
対照的に、影に沈む双眸は見開かれ自失しているようだった。

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その夢を切り出したなら、誰もが懐かしい手巻きの自鳴琴を回した時のように聞き惚れただろう。
緩やかな旋律。甘く心に沈殿してゆく声。辛いことなど手放して良いのだと、肯定してくれるやさしい言葉。
終わるともう一度聞きたくてまた手繰る。そうして、繰り返される―――


辻斬と交錯した後の寝苦しい夜に、歌が聞こえる夢を見た。
一座の歌姫が放つ甲高い叫びを聞いたからだろうか。
悪夢を運んだのは記憶の奥底の、甘やかで親密な砂糖菓子の如き歌声。
纏わりついて離れない不可視の膜を無理やり引き剥がした、其処は狭い天幕の中。
一人に与えられたその場所で喘ぐように息をつく。
窄まる天井は見慣れた物で、荒唐無稽な「非日常」はありふれた「過去」よりも既に近しくなっていたが、
その夜は暫く現と幻が交差して戻らなかった。
夜に浮かぶ顔は蒼白で、冷えた汗が服に滲む。
眼裏で明滅する暗い光に強く目を閉じると少し、呼吸が楽になった。


激しく打つ動悸を抑えて漸く目を開けた時、見慣れた部屋に、娘の傍らに何かが居た。気配なく淡く光を放つもの。
瞳の動きだけで輪郭を捉え終えて細部に意識がいった時、一拍を置かずに弾けた。
幼女の形をした白光に上掛けを被せて、その首を、

縊る。

発光して明らかに只人には見えぬ癖に、それは生温く、回した指の下で脈を打っていた。
か細い呼気が触れる皮膚と布を隔てて直に伝わる。もう少し、―――
その手を留めたのは何時から居たのか、知らぬもう1つの人影。
冒頭、行為を制止する声音と共に。


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「誰…。」

気拙さを押し殺した硬い硝子のような声でレミエルは誰何した。
制止を放った青年は長い指を少女の手に添えている。
止めるには非力な仕種だったが、注視を逸らせ手を緩める切っ掛けを作るのには事足りており、
衝動を自覚させ、それにより一抹の躊躇いを引き出すには充分だった。
細く入り込む月影に、滲む面。
何も表情を浮かべてはいないのに仄かに微笑んで見える造作は、
それも又少女に驚きを覚えさせるに相応しく、

「ご気分を害してしまいましたら、申し訳ありません。」

その声も聞きなれた音がした。然しこの世界に居る筈のない人間の姿に少女はぽかんと口を開いた。

「……水際[みぎわ]。」

あまり思い出せない、ということに気付き、ふと首を傾げる。


青年はレミエルの言葉に逃げ道を得たように、安堵した様子で目を逸らした。

そう息巻いて、少女は椅子からぴょんと飛び降り、危なっかしい足取りで天幕の方へ走って行った。

残された青年はやや所在なさげな様子で佇んでいる。