シュガーはいつのまにやら薄暗い唐風の廊下を歩いていた。廊下には深みのある青い光が差し込み、廊下の窓からのぞく瑠璃色の空の太陽はゆらゆら揺れて、廊下の床も列柱も何もかもが青みがかって見えた。

ここには何度か来たことがある、と、シュガーは思い出す。ここはシュガーの夢の中であり、平家の怨霊たちが住まう海の底の竜宮であった。かつて一揆の戦況を安徳天皇に報告する際にシュガーは夢の中で訪れたことがある。

シュガーの横をアニマが歩いている。アニマは数冊の本を抱えていた。それらは安徳天皇の霊に借りた平家物語関連の本である。シュガーの平家物語の語り弾きを聞いて以来、アニマは平家のことに興味を持ったらしい。安徳帝の霊に平家関係の本を色々と借りて勉強中なのだ。

メルンテーゼに住まうアニマが日本の古典文学を読み下すには少々基礎学力が足りないのだが、そこはシュガーや平家の怨霊達がアニマの周りにはいるわけで、平家の怨霊達は元々高級官僚でもあり、学問にも長じている者が多く、アニマはたくさんの先生に囲まれてうーとかむーとか唸りながらどうにかこうにか本を読み進めているのだった。

当初は何のやる気のなかったアニマが進んで歴史の勉強している。色んな人（この場合は怨霊だけど）との出会いによって人（というかエンブリオか）は変われるものだな、と、シュガーはちょっぴり感慨に浸っていた。

夢から覚めてしまえば、いつものてきとーなアニマに戻ってしまうかもしれないし、そうでないかもしれない。アニマとは魂を表し、また、その意味の派生として人間の深層心理を表す言葉でもある。人の夢を介して友達の怨霊と本の貸し借りをするぐらいはやってのけるかもしれないのだ。

そうこうしている間に廊下の先の扉にたどりつく。扉の前には、白い狩衣を着た精悍な顔つきの若者が立っていた。その笑みは猟犬のそれを思わせる。平教経の霊であった。平氏の中でも並ぶ者のない屈強を誇る彼はいつでも平家にとって一番大事な所を門番として守ってきた。

シュガーが部屋の中に入ると、安徳帝の霊がテーブルで本を呼んでいた。背表紙を見るところによるとどうもギリシア神話関係の本のようだった。安徳帝の霊の後ろには、平家の総帥である宗盛の霊、平家随一の知将である知盛の霊、さらには牡丹のごとき男前こと重衝の霊が控えていた。さらには、彼らの母であり、安徳帝の祖母でもある、二位尼が控えている。平家の怨霊の中枢がそろい踏みというわけだ。

なるほど、とシュガーは頷く。一揆が始まって25日が過ぎた。一揆衆の進行は城内二回廊下にまで及んでいると聞く。また、研究棟や兵舎といった重要拠点の制圧も進行中だ。一揆は折り返し地点を迎えており、今後、終盤戦へと移行していくと見てよいだろう。安徳帝はシュガーの一揆がどこまで到達できるのかを知りたがっているのだ。

シュガーは安徳帝の対面に座り、「では陛下には我がパーティの進行計画についてお教えしましょう」と伝える。安徳帝はうむと満足げに頷いた。そしてアニマも同様にテーブルに座り、いつもの様子で安徳帝の霊に借りていた本を差し出し、にこりと笑みを浮かべてお礼を述べる。

安徳帝は一瞬あっけにとられてはいたものの、こちらに対してもうむうむ祝着じゃな、と、満足げに頷いた。アニマが諸々の空気を読まないのはいつものことであるし、会話が噛み合ないのもいつものことである。

アニマは平家物語の結末についてぷんすか怒り始めた。アニマは平家物語のバッドエンドはお気に召さないご様子で、アニマの舌鋒は入水して果てた維盛への非難から始まり、先帝身投げの段についても「なんでもっとがんばって生き延びようとしないの！」とか「生きてればいいことあったはずよ！」と怒りのオブジェションが続くのだった。

入水の当事者である二位尼と安徳天皇を前にしてアニマはお冠であった。命を粗末にする人はアニマはなんだか許せないとかどーとか。最後には「宗盛さんはえらいと思うの、最後の最後まで希望を捨てようとしないもの」と、命を大事にする男・宗盛を褒めそやす。

思わず呟いてしまったシュガーに二位尼は鋭い眼光を向けた。二位尼の瞳がみるみる黄色く禍々しく輝き始めるのと対照的にシュガーはみるみる青ざめる。こないだからアニマは安徳の御簾の中に入ったりと色々とやりたい放題なので、二位尼はあまりアニマのことを快く思っていないようだ。そして、その怒りの矛先は、アニマの保護者であるシュガーにも向けられてしまう。とばっちりではないのでシュガーとしては何もいえない。これには安徳帝の霊も苦笑いであった。

そう言って安徳帝はギリシア関係の本を抱えてひょいとテーブルを立つ。安徳帝の霊は別室でアニマと話を続けるのだという。いいのかよ？とシュガーが目配せすると安徳帝の霊はよいよいと頷く。

シュガーの面子をたてるためなのか、それとも少なからずそう思っているのか、安徳帝はアニマを賓客扱いで遇するよう述べ伝える。安徳帝の霊は女房を呼んで別室に茶と菓子を用意させ、二位尼はこれが神霊かと不満げではあったが、安徳帝の霊にそう断じられては逆らうわけにもいかない。

お菓子ときいてアニマははしゃいでいた。先日アイスクリームを食べて以来、アニマはお菓子にも興味を持ったようで「栄養とか度外視でおいしさだけを追求した食べ物」としてファンタジーを感じているらしいのだ。安徳帝の霊とアニマは部屋から出て行ってしまい、二位尼はアニマを見張るためなのか安徳天皇の霊に付き従い、ついでに宗盛の霊もどこかへ行ってしまったため、部屋に残っているのは知盛の霊と重衝の霊だけになった。

重衡の霊は続けて語る。戦の話よりは、同い年の友達と妖怪や神霊の話をしていたほうがよほど楽しい。知盛の霊もそれに頷いて返す。一揆の進行などという俗世の話は、我ら臣下の役目である。主上はこのメルテーゼの文物に触れて己の心のままに遊ばれておればよいのだ、と。

シュガーは今後の進行計画について説明を始めた。大廊下にはフロラとダイゴという強力なペアが待ち構えている。大廊下を進行した他の参戦者の情報によると、フロラとダイゴの突破には射程のある武装と多段攻撃術が必要であるとのことであった。そのための装備計画を立案し、準備を進めている。

シュガーの声のトーンは低く落ち込む。パーティ内の厭戦感は日増しに高まるばかりなのだ。この傾向は他のパーティでも同様らしく、今日昨日で何人かの参戦者が進んで農場行きを選んだとも聞き及んでいる。シュガーも己のパーティから早晩脱落者が出るような気がしてならなかった。

暗い気分を振り払うようにシュガーは説明を続けた。フロラとダイゴも重要だが、シュガーがさらに考慮しなければならないのは、シュガーを阻む謎のシスターの動向であった。大廊下に威力偵察を行い、進路上にこのシスターがいないかを探る必要があった。

シスターはエンブリオを保持してはいないようだが、別系統の魔術を行使してこれまでもシュガー達を妨害してきた。シスターはシュガーと同様に人間霊を召還する闘法の使い手であり、シュガーのエンブリオを砕く事はできないが、シュガーの怨霊を砕く霊的権能の持ち主である。

重衡はくくくと笑うが、シュガーには全然笑えない。シスターが率いるトロイア勢は、総勢５万とも言われており、その軍勢には神々の加護を受けた一騎当千の英雄達も含まれている。シュガーが召還する平家の怨霊達と正面からぶつかれば敗北は必至なのだ。

出し抜いて迂回するしかない。しかしどうやって？　シュガーも怨霊達も思案するがすぐさま煮詰まってしまう。そうして、シュガーが夢の中で疲れを感じ始めた頃に、今日も今日とて冥府からの声が届くのであった。声は春先の小鳥の声のごとく軽やかであった。

呟きつつも、シュガーは自問する。己の一揆はどこまで到達できるのか？　そして、宙空に問う。王に到達できないとすると己の進行にどんな意味があるのか？、と。怨霊も冥府の声はそれに答えず、問いだけがシュガーの夢の中をこだまする。

アンジェとの話の後に出たアニマ達との会話を聞いていたらしく、どこからとも無く首を突っ込んでくるクーパ。

クーパの頭めがけてアンジェの掌が振り下ろされ、スパーンと小気味の良い音が辺りに響いた。

そう言ってにこやかに会釈し、クーパを引きずりながら去っていくアンジェであった・・・。

シュガーは怨霊と会話をしているようです

ハチェットのカバーを外す。硝子の青い目が揺れた。

シュガーは怨霊と会話をしているようです…