「タンポポ荘が？！」

「管理人が二人揃って倒れたらしい、……詳しい話は聞けていない」

　同じ、タンポポ荘に住む者達から聞いた話だ。
憶測が飛び交うような、まだよく分かっていない状態であることは確かだが、決して良い知らせではない。

「……ポポロさん達、大丈夫、かな」

「大丈夫じゃねぇから、今大変なことになってるんだろ」

　自分達が心配したところで、何がどうなるわけでもない。
彼女達の為に何が出来ることがあるとするなら、下手に騒がず、詳細を待つべきなのだろう。
　それでも。

「ルカ、出る支度をしろ。 街で、今日から宿に泊まる」

「っえ、…………お、オレ達にも何か、出来るかも知れねーじゃんか、」

「あったとして、俺はこれ以上、この場所に関わるつもり無ぇよ」

「ッ、なんで──」

「一大事に、面倒に手を貸す暇があるなら、俺は少しでも早く、元の世界に帰りたい」

　その一言に、ルカが目を丸くした。
　思い出したように、ハタ、として、少しばかり、俯いて。
　それに、と、シズが口を開く。

「早く帰りたいのは、お前より、俺よりもアリシアだからな」

　この空飛ぶ家に住むことが出来たから、自分達は何とかやって来られたのだと思う。
　だからこそだ。 出来ることがあるのなら、もし、自分達が力になれるのならと、そう、ルカは。

「アリシアに話してくるから、お前は荷物まとめて先に下りてろ。
　前に、毛布貸してくれた宿屋があったの覚えてるな？ そこに行って、予約して来てくれ」

「わ、分かった」

　部屋に戻ってすぐ、シズが伝えに来たことだ。　
　タンポポ荘の一大事と聞いて、此処を出て街の宿に泊まることを、きっと、シズは迷わなかった。
　迷うことの、躊躇うことのない選択が出来るのは、シズの強さだ。
　自分やアリシアが俯いたり辺りを見回したりとする間、シズは一人、前だけを見て。

「……おせわに、なりました」

　誰に言うでもなく、ルカは一人、部屋で。



＊

＊

＊



　──伝えることだけを伝えて、手短に話を済ませるつもりで、アリシアの部屋の扉をノックする。
　控えめに開かれた扉から顔を覗かせたアリシアは、シズを見上げて小さく首を傾いだ。

「……シズ、どうか、した？」

　長話をするつもりなんて無かったのに、入っていいよと扉が広く、開かれる。
　そうされてしまえば断る方が不自然で、結果として、彼女の部屋の中。
　長居する必要は、無い筈だ。
　必要なことだけを話して、伝えて、それで終わりだ。

「明日のことで、話がある」




　ルカに話したように、アリシアにもタンポポ荘の異変について、まず話した。

「宿の予約は、ルカが取りに行ってる。 戻って来るまでに荷物をまとめて出る支度をしてくれ」

「うん、分かった。 ……管理人さん達に、お礼とか言えない、よね」

「状況が状況だからな」

「……そう、だよね」

　アリシアもルカと同じようなことを言う。
　やさしいからだ。 割り切ることが出来ても、どこかで抑え込むような、そういう、やさしさだ。
　言いやしないが、どうしてそのやさしさを、自分自身に向けることが出来ないのかと思う。

「……アリシア、」

「？」

「お前のエンブリオ達、何処に行った？」

「今はお散歩。 すぐ戻るって、言ってたけど」

　なら良かった、とは、言わなかったが。
　エティエンヌ辺りには訊きたいことも沢山、たくさんあるから、居れば居たで構わなかったのだが、居なければ居ないで、それはそれで。
　どうかしたのか、と言うアリシアに、シズは緩く首を横に振った。
　そうして、
　
「帰る方法が見付かった」

　と、事も無げに告げる。
　レーヴ（と、アンテ）の話は、今までルカとシズの間でするばかりで、アリシアに伝えることを、あまりしていなかった分、話そうとすれば長くなるだろうし、急にこんなことを告げても、信じるのは少し、難しい。

「── ……ほ、……ほんと……？」

「アリシア相手に、こんな嘘吐くかよ」

　シズが思った通りで、菫色の双眸を見開いて驚きこそすれ、アリシアはすぐにそれを鵜呑みには、しなかった。
　けれど、驚きに入り混じるのは確かな喜びで、頬は少し、紅潮している。

「俺が契約している“アンテ”、……ゴレムのエンブリオの契約者を、ルカに変える。
　ルカの契約している“レーヴ”とアンテは元々、一つのエンブリオで、それを元の姿に戻す」

「そう、すると……戻れるの……？」

「俺達を元の世界に帰すことが出来るくらいの力を取り戻せる、ってことなんだろうな」

「そ、っか……帰れる、んだ……私達……」

　レーヴとアンテは、元々一つのエンブリオだった。
　青白く、ウサギの影のような形をした姿は本来レーヴではなくアンテのものであり、実体を持たないレーヴをアンテが取り込み、一つの器に二つの精神を宿し、共存していたらしい。
　ところがネクターが不足したことによって共存することが難しくなり、アンテは全てをレーヴに託し、分離。
　その直後、シズのブレスレットに宿り、彼が眠っている間に生命力を奪うようにして、何とか消滅を免れていたという。
　この時点では契約していたワケではない為、シズも先日、聞かされてから知ったことだったが。

　一方のレーヴは消滅こそ免れたものの、元々、実体を持たない為か夢の中にしか存在出来なかった。
　どうにかルカの夢の中に入り込んだ後も、夢の中から出ることが出来ず、実体を持つ為の力を得るべく、ルカに力を貸し、ルカの力を借りることにする。
　レーヴが、アンテの存在に気付いたのはルカとシズの会話の記憶を通じて知ったからだ。
　そうでなければ、知る術も無く、気付くこともなかったろうけれど。

「問題が無いことはない。 けど、宿に長居しないうちに帰れると思う」

　アンテはすぐに、レーヴに気付けた。
　同じように、ルカとシズの会話を聞くことで知った為、レーヴがアンテに気付くよりもずっと早く。
　当時、アンテがシズに対し生命力を求めなかったのは、契約する前からシズに寄生していたからだ。
　契約者さえ居ればネクターの枯渇や生命力の不足に対する心配は無くなる筈だが、それでもアンテは、レーヴと再び一つになることを拒んだ。
　
　そもそも、一つの器に二つの精神が宿ること自体が、器に対して負荷が大き過ぎるからだ。
　力を得れば器が大きくなるかも知れないと期待して、けれど、レーヴの姿は少しも変わらない。
　その上、ルカ達はメルンテーゼに住む人間ではなかった。
　元の世界に帰るという話になれば、契約者を失い、また、ネクターや生命力が不足することが目に見えている。
　それならいっそ、と、考えた。
　どのみち、あの小さな器に対し、レーヴやアンテが今まで蓄えたその力は大き過ぎる。
　器はいずれ、その大きさに、重さに耐えかねて壊れ、どちらも消滅するだろうことが目に見えている。

　それでもレーヴは、一つになることを望んだ。


「……問題、って？」

「お前のエンブリオだ、アリシア」

「── っ、え？」

　シズの答えに、アリシアはまた、菫色を丸くする。
　今この場には居ない、彼女が契約したエンブリオ達。

「エティエンヌを追い掛けて、この世界に来たんだ。
　……そのエティエンヌが、元の世界に帰る方法を知らない筈が無いし、アイツ、お前のことを知ってた」

　まるで知らない世界に迷い込んで、それなのに、彼女のことを知っていたエンブリオ。
　エティエンヌだけではなく、それは後に契約したピユ達にも言えることだ、とシズが言い足す。

「知っていて言わないのは、都合が悪いからだ。
　言えない理由があったとして、知られるとマズいから言わなかったんだとしたら、それは全部、何の為だ？」

　訊けず終いだった。
　それが気掛かりで仕方無くて、そればかりが今も尚、帰る方法が見付かっても、引っ掛かったままだった。
　アリシアの表情が、曇る。

「……エティは、……」

「アリシアを、──俺達を、元の世界に帰さない為、だろ」

　そんなことをする理由はと考えて、そこから先が、真っ白いままだ。
　けれど、ひどく、嫌な予感がする。
　脳裏に、危険を知らせる警鐘が鳴り響く。 けたたましく、けたたましく。

「…………」

「……、……」

　言わなければ良かったかも知れないなんて、そんな後悔の芽を、踏み散らす。
　告げたことで彼女を傷付けたかも知れないという不安を、飲み込む。

（　どの口が言うんだ、　）

　笑ってほしい筈なのに、自分の言葉は彼女の表情を、菫色を、曇らせるばかり。

（　守りたい、なんて、　）

　想いはルカより自分の方が、ずっと強くて大きくて、（重いって）、その自覚すら、あるのに。

（　好きだなんて。　）


「……悪い、長居し過ぎた」

　ルカが帰って来るのにも、そう時間は掛からないだろう。
し、彼女の傍に、こうして自分が居ることが、そもそも間違いなのだろうなと改めて考えた。
　守ってやりたいだなんて、おこがましいにも程があるのだ。
　少しは頼れだなんて、言える筈が無かったのだ。
　自分にはそれが出来ないで、出来る力を持つルカを羨んで、彼女の笑顔に手が届かないことを知る。
　それでも。
　手が届かないと分かっていて、それでも、手を伸ばしたくなるのだから、大馬鹿者もいいところだ。
　それくらい、自分は。アリシアを。

「ま、──待って、シズ、」

　部屋に踏み入りすぐのそこで、踵を返し、部屋を後にしようとしたシズの背を、アリシアが引き留める。
　アリシアの手がシズの腕を掴み、そうして振り返ったシズを、菫色が見上げて。

「……、…………っ……〜〜……」

　何か、言おうとした筈だった。
　小さく、少し震えるようにして言葉を紡ごうとした筈の声は声にならず、アリシアが俯く。
　シズは軽く目を瞠り、俯いて、それでも放そうとしない彼女の手を見、ひっそり息を吐いた。

　名前を呼ぶことが出来るだけで十分だと、そう思えたならどんなにと。
　何度目かなんて分からない、芽吹いたそれを、また、摘み取る。

「アリシア、」

　呼べば、ぱ、っと弾かれたようにアリシアが顔を上げる。
　もう一方の手で、その艶やかな髪を、触れれば柔らかな黒を、そっと、そっと撫でて。


「────大丈夫だから」


　なかせないようにと、つとめて。

　こわがらせないようにと、つとめて。


　力を失ったように、するりと腕を掴んでいた手が放れるのと同時に、扉を潜る。
後ろ手に扉を閉め、シズは徐に、手首のブレスレットに目を遣った。
　淡く青白い光を帯びたブレスレットを撫で、そうして、ふらふらと壁に凭れ、座り込む。


「……くそったれ、」


頭が痛い。

顔が熱い。


くるしい。
　

転移の方法はですね、と一つ間をおいてから鍵を取り出した。
それから背を向ける。するとジャケットの下、ベルトに括られている古びた錠前がかしゃんと音を鳴らす。

どこまでも行けるドアがこう、と手ぶりで長方形を作ってジャスチャーする。

頼りになる子達が彼らで良かった。

それがあなた方の為に為せることだもの。
律儀に、というよりは常識あるシズの会釈には軽く頭を垂れて見送った。
残った彼はというと、こちらに手を差し出してきて言ってきた。

無邪気さに少し心が揺れる。一瞬だけ手を引っ込めようとぐらついたけれど、骨色の肌を彼の手においては握手を返した。

いつかお前にも紹介できたらなあ、と小さく呟く

それこそ、コボルトにだって勝てないくらい

ちら、とコトカを見やって、心配そうに。

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