思い返せば契約を行う前にほんの一瞬だけあいつの事を想った気がする。


そもそもの前提が間違っていた。

たとえ別世界に来たとしても、俺は俺のままだ。

精霊魔術が使えなくなろうとも、魔術の行使法則が変わろうとも、俺の性質が変化した訳では無い。


一揆参加者の噂だと、初めに契約したエンブリオはその者の内面を映すものであると囁かれていた。

だから俺がこの世界に来て初めてネクター契約を行った時に現れたエンブリオ、あいつが俺の内面を示していたと？

・・・・・そんな事はありえねぇ。


実を言うと俺は精霊にあまり好かれてはいない。

ごく一部の物好きな精霊達だけが勝手について来て、好き勝手に力を貸して貰っているだけだ。

だから何となくだが、俺自身の心の内側の形状というものを少しは理解出来ている。


あんな風に吹けば飛ばされる様な姿をした風精が、俺の性質を表しているはずが無い。

だが噂話が本当だとしたら、もしかするとあの風の精霊は・・・・・



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・・・・・・・ああ、随分と間が空いてしまっていたようだな。

どこまで話していたっけな・・・・・

・・・そうか、あいつと出会った所からだったか。

では、話を続けようか。


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あいつは俺に向けて柔らかな笑顔を見せただけだった。

だが、ただそれだけの事で俺は足を止めて呆然と笑顔に見入っていた。

思えばその瞬間から俺はあいつに心奪われていたらしい。


『初めまして旅のお方・・・・・如何かなさいましたか？』

あいつは固まって自分の事を見つめている俺を訝しんで、少し首を傾げながら尋ねて来た。

「・・・っ、ぁ、っ！」

何とも情けない事に俺は碌に言葉も紡げず口を開閉させて呻く事しか出来なかった。

そんな状態の俺を見かねてか、あいつは優しく微笑んで名乗った。

『私はシルフィーゼ、風の精霊です』

「ぉ・・・っ、お、俺は、ドゥーロだ」


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・・・おい、可笑しいのは分かったから横を向いて震えているんじゃねぇ！

あの時は俺も若かった・・・・・仕方ねぇだろうが。

ともかく、風の高位精霊シルフィーゼの事は知っているな？

そうだ、俺達の一族を守護する風の精霊だな。

あいつもその中の一人・・・いや、最初の一人になるのか。

ああ、あいつがその座に就いてからの慣わしだな。


ん？この事はお前に伝わっていなかったのか・・・・・

シルフィーゼの名はその時からの名跡になっているぞ。


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獣道のすぐ傍にあった倒木に腰掛け、俺はあいつと話をしていた。

お互いに名乗ってから何度か言葉を交わす内に、俺の吃りもましになってきた。

からからに乾き切ってひび割れていた俺の喉が次第に潤ってくるようだった。

「シルフィーゼは、どうして此処にいたんだ？」

『私は風の精、微風吹き抜ける所全てに私はいます』

「なるほど・・・それじゃあ如何して俺の前に？」

『あら？ドゥーロさんが私を見つけて下さったのではないのですか？』

「いや？俺はただ歩いていただけだ」

「それより、俺の事が怖くは無いのか？俺はあまり精霊に好かれてはいないんだが・・・」

『そうなのですか？私には必死に何かを探し求めている求道者の様にしか見えませんでした』

「俺は・・・そんなに高尚な奴じゃあ無い」

『私は微風の精霊です、姿は薄く、魔力は少なく、儚い存在です』

『そんな私ですから・・・誰の前にでも現れるという訳ではありません』

「・・・・・それじゃあ、ますます分からなくなったな」

俺は乾き切った心で宛所も無く彷徨い歩いていただけだ。

「俺は何かを探して歩いていた、それが何なのかも分からず、意志も目的も無く彷徨っていただけだ」

「俺を見かねて現れた・・・という訳では無さそうだ」

『はい、それは確かにそうなのですが・・・・・』

やや口ごもった様な言葉。

「何か理由があるのか、教えてくれないか？」

尋ねてみてもあいつは少し困った様な表情を浮かべて口を濁すだけだった。

『えっと・・・そのぅ・・・・・』

「口に出すのも憚られる様な事だったらそれでいい」

『いえっ、そういった事では無いのですが・・・』

初対面の男に易々と話せるような内容では無いのは何となくだが感じ取れた。

「そうか・・・分かった」

恐らくこれ以上話を続けても埒が明かないのだろう。


俺は話を打ち切るのが少し心残りだったが、立ち上がって意を決し言葉を発した。

「ありがとうシルフィーゼ、俺は貴女と話せて良かったと思っている」

『・・・・・・・』

あいつも立ち上がり俺の方を向いて言葉を聞いている。

「俺は・・・貴女と会えて救われた、乾き切った俺の心体を癒してくれた」

俺はいったい何を口走っているのか分からなくなったが、続けた。

「本当にそれだけでも感謝しきれない程に嬉しかった、楽しかった」

「しかし、内に秘めた言葉を聞けなかったのは残念だった、だから・・・」

あいつの方に向き直って告げる。

「・・・また、貴女に会えるだろうか？」

『・・・はい、微風が吹く所、この空の下に私はいます』

『ですから・・・・・』

あいつは悪戯っぽい笑顔を浮かべて俺に言った。

『また、私を見つけて下さいね？』

「ああ・・・必ず見つけてみせる」

そうして笑い合った後で俺達は別れた。

これが俺とあいつが見初め合ったであろう初めての出会いの話だ。


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・・・・・何をにやついているんだ、おい。

俺にもそんな時があったんだ、それでいいじゃねぇか。

それからか？

ああ、数年掛かっちまったがまたあいつに会う事が出来た。

・・・続きを聞きたいのか？

ならばそれ相応の姿勢を見せろ、話はそれからだ。


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あいつと別れてから数年が経っていた。

その間、俺はもう一度会う為に何度も初めて出会った草原に足を運んだ。

だが、再び出会う事は出来なかった。


あいつは『見つけて』くれと言っていた。

如何やら出会う為には何か条件がある様子だった。

似た様な条件の草原、似た様な風の吹く所、似た様な天候の青空・・・・・

様々な条件を試してみたが、全て徒労に終わっただけだった。


俺は意気消沈して再び渇きを覚える様になった。

目に映る世界から色が無くなり始め、匂いや音が遠ざかる様に薄れ、味や食感がおぼろげになっていった。

この渇きは一体何なのだろうか。

試しに精霊魔術を起動させてみたが問題無く行使可能だった。

肉体の不調では無い、だとしたら心に・・・魂に変調をきたしているのか。


俺は夜の山道を明かりも点けずに歩いていた。

月は雲に掛からず星も瞬いていたので前は見えていた―――空の色は黒では無く灰色に染まって見えてはいたが・・・・・

しかし足元は覚束なく、俺は不意に露出した石に足を取られて地面に倒れ込んだ。

痛みも地面の冷たさも感じず、起き上がる気力も萎えていた。

寝返りをうつ様に仰向けになると俺の視界に大きな月が飛び込んできた。

俺はそれを掴もうと手を伸ばすが、月に届くはずも無く空を切った。

暫くの間、月を掴めなかった掌を見つめ、固く握り締めて、地面に叩き付けた。

俺は声にならない叫びを上げていた。

目頭が熱くなり、止めどなく涙が流れているのに気付いた。

胸が締め付けられる様に痛く、息をするのさえも苦しい。

ただ、もう一度会いたい。

それすら俺には許されていないのか、俺はこのまま灰色の世界で生きなければならないのか。

声無き叫びは慟哭となり、何時しか言葉となって溢れ出していた。


言葉を交わしたい、一言紡ぐ毎に世界に色が戻り、草木の匂いが蘇り、風を感じ、心が満たされていった。

俺の世界に光を照らしてくれた。

貴女の柔らかな笑顔を見たい、その笑顔が素敵だった、一目惚れだったと。


地面に倒れている俺の上を微風が吹き抜けた。

俺は一しきり泣き叫んだ後、のろのろと立ち上がり歩き出した。

胸に手を当てて鼓動の温かさを感じる、俺はまだ以前の様に絶望しきってはいない。

前を向き一歩一歩確実に歩みを進める。

俺が今出来る唯一の行動だ。

俺の視界に広がる灰色の世界の中で、唯一つだけ失っていないもの。

何を信じるでも無い、ただ諦めない事。

すうっと、肩の力が抜ける様に意識が遠のく。

足を前に出し、地面を踏み締め、それを振り払う。

ここで倒れたらもう二度と辿り着けない。

あの場所にもう一度行く為に・・・俺は歩き続けた。



夜空の色がぼんやりと変わってゆく。

夜が明ける。

目の前の空が灰色から紺色へ、そしてゆっくりと紫色に移り変わり、深い青の色が広がってゆく。

・・・・・如何して空の色が分かる！？

俺はふと、背後に気配を感じた。

振り返らなくても分かる、今そこにあいつが居るのだと。

『・・・・・・・・・・』

恐らく俺達は背中合わせで立っている。

ああ、微風が吹き抜けた時に何故気付かなかったのだろう。

あいつはずっと待っていたのに。

俺が＜それ＞に気付くのを待ち望んでいたのに。

俺は眼を閉じて言葉を待った。

それは数瞬の間だったかもしれないが、俺にはとても長い時間の様に感じた。


あいつが息を飲む音が聞こえ、静かな口調で声が。

『・・・・・貴方に一つ、問い掛けをします』


『私が姿を現せなかった理由、＜それ＞をお答え出来ますか？』


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俺は今になって、ようやく理解した。

何故、俺が契約対象も無しにエンブリオ契約が出来たのか。

何故、俺の契約したエンブリオはこの様な風の精霊だったのか。

何故、俺は風精に『ルミア』と名付けたのか。



柔らかな風が吹き抜け、実体無き薄緑色の光球を形どった微風の精霊が現れた。

俺は目を瞑り、心の底に溜まっていた想いを吐き出した。

謝罪と、感謝と、喜びを、ありったけの心で想う。

言葉では無く、想いで伝える。

突如、光球が激しく震えると眩いばかりに輝き、強烈な風が巻き起こった。

光球が粒状になって溶け出し、薄緑色に明滅する光の奔流が渦を巻く。

乱れ咲く風の花が集い散り人型を形作ってゆく―――


―――猛烈な光と風が収まった後には純白のローブを着た女性の姿があった。

柔らかな笑みを湛え彼女は言った。

俺を責めているのでは無いと、ただその一言を求めているのだと。


俺は口の端を緩める様にしてあいつの名を呼んだ。

花が綻ぶ様な満面の笑みで言葉が返ってきた。

ダイス勝負でこちらが勝ってしまったので、かけっこでこっちが勝っちゃうロールでお返ししますよー

スタートダッシュから後のこと考えずに猛スピードでかけだしたユーノさん。・・・・だが、しかし！　ドゥーロさんもかなり早い・・・！　

なんということか、加速が3倍くらいになって、ドゥーロさんを追い抜きながら、ゴールの大きな木まで突っ込む形ですっ転んだ！

ドゥーロの問いに僅か首を傾げたが、すぐに真顔になった。

全身黒ずくめの男は言い放った。

やや同情したような口振りだった。