その日、いつもは閑散としているイベントホールは賑わいを見せていた。
身なりを整えた女性たちが、講壇にいる男の言葉に耳を傾けている。

「……このように、結婚詐欺は貴女の心を深く傷つける許しがたい犯罪です。
　皆さんも詐欺師に騙されないよう、気を付けてください。」

男の声はホールに響き、女性達からは大きな拍手があがる。

「一番大事なのは、信頼できる友人などに相談する事です。
　自分ひとりで抱え込まずに、まずは声を聞かせてください。
　この『結婚詐欺撲滅フォーラム』が、皆さんの力になれる事を僕は信じています。」

男の背後には、『結婚詐欺撲滅フォーラム』と書かれた大きな看板がある。
司会の女性の進行で、男の話が終わった後に学生との握手会へと移っていった。
この席には妙齢の女性達だけではなく、
ミッション系の中学に通う女子学生も教師の引率の元、講演を聞きに来ていた。

「近衛先生！ファンです、握手してください！」

肩で髪を切り揃えた女子中学生が、目を輝かせて手を差し出す。
男は柔和に微笑み、相手の手を握り返した。

「ありがとう、君も勉強熱心だね。」
「この前の学校の講演を聞いて感動しました！私、近衛先生には頑張って欲しい！」
「何か困った事があったら何でも相談するといい、連絡先は名刺に書いてあるからね。」

そう言って、女子学生に自分の名刺を渡す。
そのまま握手会が終わると水を飲むために部屋の端まで向かった。
手書きで携帯の番号が書いてある名刺を見て、女子学生は驚いていた。

「近衛君、お疲れ様。疲れているでしょ、休憩したら？」

20代前半と思われる女性が、タンブラーに水を注いだ。
落ち着いた雰囲気のある美人だった。
女性は水を注ぎながら、若干浮かれたように口を開く。

「ねぇ、やっと父が私達の交際を認めてくれそう。
　近衛君、父に婚約者だって紹介したいんだけど、週末時間ある？」
「……今は仕事中じゃないか。」
「どうして？今は休憩時間じゃない？」
「みちよ、君がいろいろ僕に協力してくれるのは嬉しいが、
　今はプライベートの話を進める時じゃないよ。
　なんとか選挙は終わったけど、まだまだやるべき事は沢山あるしね。」
「……そう、近衛君忙しいのにごめんなさいね……。」

みちよと呼ばれた女性は、申し訳なさそうに頭を垂れる。
一方的な気まずい雰囲気の中、コツコツとヒールで床を叩く音が聞こえた。

「あ、あれスポンサーの方かな？私はちょっと外すね。」

女性はそれだけ言って部屋を出ていく。
代わりに近づいてきた女は、スーツで着飾った40代半ばに見える女だった。

「これはこれは永田社長、ご足労頂きありがとうございます。」
「東も大変ねぇ……小嶋百貨店のお嬢様が相手となると下手な事話せないでしょ。」

みちよが出ていった扉を見ながら、永田は冷ややかに言い放つ。

「別に僕は迷惑だなんて一言も言っていませんよ？」
「顔に出てるのよ、私を騙そうって思っても駄目。
　選挙あったからあんな融通の利かない子相手にしてるんだって、
　早く気づいたらいいのに。見てるこっちが可哀そうになるわ。」

永田は男との距離を詰めていく。
男は眉をしかめたが、永田を咎めるそぶりは見せなかった。

「ちゃーんと出世払いしてよね、
　一介の人権派弁護士から参議院議員にまで育てたのは、この私なんだから。」

至近距離で言われて、男は持っていた名刺入れを手からこぼす。
『参議院議員　近衛　東』と書かれた名刺が、床に散らばった。
それと同時に、胸ポケットからヴヴヴと機械の振動音がする。

「申し訳ありません、ちょっと電話に。」
「あらタイミング悪いわね、私はここで待ってるから。」

助かったとばかりに、男は早足でその場を離れる。
非常階段に向かいながら、携帯電話を取り出した。

「……ああ、植垣先生でしたか。助かりました、女は本当に馬鹿が多くて。」

電話の相手は、面倒を見てもらっている政党の幹部だった。

◆◆

全ては無理だったが、とっさに拾った名刺を確認してみる。
『参議院議員　近衛　東』、これが今の自分の身分だ。
そう思うと、笑みを作らずにはいられない。

『今夜例の勉強会があるのだが、一応君の予定も聞いておこうと思ってな。』
「忙しい中ありがとうございます、勿論参加させてもらいます。」
『君も飯の種とはいえ、毎日豚の世話は大変だろう。
　早く出世して、汚れ仕事は部下に任せられるようにならんとな。』
「全くです。」

心から同意しつつ、東は相槌をうつ。
みちよも永田も、いつ自分が一番だと錯覚していたのか。
そんな事よりも、話しておかなければならない事がある。

「例の勉強会といえば、楠木外務大臣はどう動きますかね？
　こちらも大分人数は集めましたけど。」
『マスメディアはこちらが握っているので問題はないが、
　風説だけで倒れるならばそもそもこんな苦労はしない。
　あらゆる手段で揺さぶってはいるのだが、楠木は本当にふてぶてしいな。』

苦い口調がこちらにまで伝わってくる。
新興国との軍事同盟を着実に結んでくるこの相手を野放しにする訳にはいかない。
自分達が倒そうとしているのは、そういう相手だった。

「植垣先生、こんな時期によろしかったのでしょうか？」
『うん？何だろう？』
「楠木外務大臣の娘との縁談の話ですが。」
『ああ、見合いの話か。いっこうに構わんよ、寧ろ内側から崩れたらラッキーだ。
　乗っ取りまでは無理でも、こちらには利が沢山ある。』

縁談を希望したのは自分の方だった。
てっとり早く自分の地盤を固めるには、今も昔も血縁を利用するのが効果が高い。
実際、この業界は広い意味では親戚だらけだ。

楠木の一員となれば、電話の向こうの相手など事実上一蹴できる発言力を持つ。
今までやりたかった事、自分の理想へと大きく前進するのだ。
誰に頭を下げる事もない、皆が自分に媚びるようになる。

『若くて美人の小嶋百貨店のお嬢さんを射止められる君に、
　自分の価値が落ちているのも知らずに軍人などやっている
　三十路もとうに過ぎた女と結婚しろとは酷な話ではあるがね。』

自分の思い通りに出来るなら、産廃と寝るくらい何だ。

『しかし、愛人を置いてしまえば解決する話でもあるか。君なら上手くやれそうだし。』

電話の向こうで卑俗な笑い声が聞こえる。
でもそんな事はどうでもいい、栄光はこの手に転がりつつあるのだから。
楠木の人間になってしまえば、こいつも切り捨ててしまえばいい。

ふと、頬が緩んでいる事に気が付いた。
受話器の先の相手に悟られないように、東は気を引き締める。
その時だっただろうか。

黒い帯状のようなものに、全身を縛られたのは。

何が起こったのか分からなかった。
声を上げようとしても、黒いものが口の中に入ってくる。

『悪いがちょっと駒になってもらうぞ、こちらにも事情があるんでな。』

あきらかに幹部とは違う、若い男の声が聞こえた気がした。
苦しくてもう駄目かと思った所で、東の意識は途切れる。

主のいなくなった携帯電話から、高年の男の怒号がかすかに聞こえていた。


◆◆◆


目を開けると、そこは何かの中だった。

あまり動けない狭い空間である所からして、
箱のような物に入っているのだろう。何故かは知らないが。
あたりの空気はあまりに冷たく、体の震えが止まらなかった。

とりあえず何が起こったのかは分からないが、
このままでは助けを呼ぶこともできない。
そう考えた東は、この箱から外へ出る事にした。

箱から出たその先は、古びた教会のような場所だった。
月明かりを頼りに辺りを見回すと、黄金色の髪の少女と目があう。

「素晴らしい！この召喚術は完璧だ！！」

少女とは別の場所から、男の声が聞こえる。
言葉通りの意味ならなんとなく分かったが、
召喚術という単語が何を意味するのかはさっぱり理解できなかった。

「……汝は、英雄なりや？」

少女は恐る恐る尋ねる。
この少女の表情からして、冗談の類ではなさそうだ。
英雄という単語が何を意味しているのかも分からないが、
かすかに見える服装を確認するに、遅れた文明の場所なのかもしれない。
下手に怒らせると殺される場合もあるので、言葉は慎重に選ぶことにする。

「ここが何処かは分からないが、
　恐らく僕は、君が望んだ者なんじゃないかな。」

当たり障りのない事を言っておく。
まず相手を落ち着かせるためにも、情報は引き出しておきたい。

少女はまじまじとこちらを見つめていた。
この娘は自分に羨望の眼差しを向けているのではないか、東にはそう感じられた。
好意を持たれているのならば御しやすい。

「まだ分からない事が沢山あるから、いろいろ教えて欲しい。
　可能なら守らせてくれないか、君の事を。」

少女の好きそうな単語を並ながら様子を見る。
人によっては嫌われる言い回しだが、
初対面の男に見惚れる程度の女ならば効果的な可能性が高い。

「……はい！宜しくお願いします！」

少女はうっとりと微笑む。
東もまた、初対面を切り抜けたと安堵していた。


◆◆◆


少女が落ち着いた所で、東はいろいろ話を聞きだした。

少女の名前はイネッサというらしい。
メルンテーゼという世界で知人を助けるために自分を召喚したと言っていた。
普通ならば向かう所は王城ではなく、精神病棟であろう。

だが教会の外へ出ていろんな人と話した結果、
東はとても少女の妄想とは思えなくなってきた。
総じて文明レベルが低く、エンブリオなどという不可解なものを利用する。
とても自分の所属する世界とは思えない。

――もしかして本当に、別の世界から召喚されたのか？

そんな馬鹿な。
常識の範疇だとそれしか答えはないが、
これがどんな事情であれ、まずは生きていかねばならない。
その為にはこの少女を利用していくのが最善だと、東は判断した。

幸いなことに、少し優しくしただけで簡単に絆されてくれる。
可哀そうな女だなと思ったが、馬鹿の方が扱いやすい。

「そんなに無理をしたら君の身体が心配だ、
　僕に出来る事があったら何でも言って欲しい。」

図々しくなってきたら、その時に突き放すまでだ。
どうせ別れたら二度と出会う事はないのだから。

恐らくここは夢か空想の世界だろう、
そう東は考えつつ、少女の言う兵士とやらに会いに行くことにした。


To Be Continued......