娘を奴隷商に売り飛ばして得た札束に火を点けるような気軽さで、呪術師は仲間との取り決めを反故にした。
　元より、仲間にとって、呪術師がふらりと姿を消す事など日常茶飯事であったし、打ち合わせに無い行動を取る事を、一々気に留める者など居なかった。
　例えば、『依頼』に訪れた客を何も言わず見送った事も、『商品』を競り落とした闇市の中から何時の間にか抜け出して居た事も、呪術師にとっては『当たり前』の事だった。

　そうなるように、呪術師は生きてきた。

「……『君』が、『呪い』で良かったよ」
　呪術師は、振り返らない。立ち止まれば『追い付かれる』。
「……その『針』ね、僕の血と人魚の血を混ぜたものを塗ってあるんだ。だから、『君』を逃さない」
　呪術師は、足を早めない。幾ら逃げ惑った所で、『それ』は必ずやって来る。
「……『君』は『真実から一番遠いもの』だからね。その『針』は『嘘』に喰らい付くように『呪って』ある」
　呪術師は、『それ』に語り掛ける。
　『語り掛けられる程に近付いている』。

　呪術師を追い掛けて来る『それ』は、彼自身の『呪い』だ。

　呪術師は、自らに呪われている。
　彼の持つ『呪い』は、既に人がその身一つで抱え切れる域を凌駕している。

　『それ』に追い付かれれば、彼は当たり前のように死ぬ。

「……僕を、憎んでいるかい？」
　しゃなり、しゃなり、と。
　常と変わらぬ歩調で歩きながら、呪術師は『それ』に語り掛ける。
　彼の問いに答えるものは無い。
　きっと『それ』の声は、彼の耳にしか届かないものだろうし、彼の耳にすら、その『声』は幾重もの怨嗟が折り重なって、獣の唸り声のようにしか聞こえまい。
「……ごめんね？　『君達』をそうしたのは、他ならぬ僕だ。僕を許さないで欲しい。僕を、最後の時までそうやって『呪い』続けていて欲しい」
　呪術師は、『忘れる』という事が出来ない。
　彼は、『それを構成するもの』を、一つ残らず忘れられない。
　その顔を、その色を、その声を、その言葉を、その温度を、その家族を、その最期を、その変化を、その表情を、その震えを、その指を、その眼を、呪術師は振り返らなくても記憶の中で確認出来る。

「――そうなってしまった『君』に出来る事なんて、もうそれくらいしかないし、僕が『君』に望む事は、最早それだけだ」

　数日後、呪術師は何食わぬ顔で仲間と合流する。
　誰も、呪術師の変化に気付かなかった。呪術師は『変化』が残されている程にまともではなかった。

「……ねぇ？　今日は、いい天気だね？　今までは、僕は『自分自身』を勘定に入れなくても良かったんだけど、何しろ『絆』が出来てしまったからね」

――少なくとも。

「……だから、『君』には、そう簡単に、『追い付かせて』はあげない」


――――少なくとも、『柊魔異がそれに気付けない』のだ。
　　　　　　　　他の誰が、『それ』が既に『呪術師ではない』と気付けるだろう。