「…………？　アデル、ロザリア？」

　再びメルンテーゼに訪れ、アデルとロザリアのテントに踏み込んだリティリアは、入り口をくぐるなり疑問の声を上げた。
　廊下と私室に灯りはついているが、音もせずに鎮まり返っている。
　休息中というよりは留守の印象に近く、果たしてテントを畳まずに出かける事があるのかと、リティリアは疑問に思いながら私室へと歩みを進める。

　後ろからは、同じようにコーデルとリオがテントをくぐって入ってきていた。
　周囲を見渡したコーデルは魔力を宿した目でざっとテント内を見渡し、一言だけ『ロザリアは居るようですね』と呟く。

「そうか。……ロザリア？」

　コーデルが言った通り、私室にアデルの姿はなく、代わりにテーブルに置かれた籠の中にロザリアの姿があった。
　瞳に光はなく、籠のふちにもたれかかって座っている。

「……ロザリア？」
「休憩中ですか？」
「……いや、ロザリアは眠らない、休んでても意識はあるはず、なんだが……」
「ロザリアまでおかしくなったのではないといいのですが……」

　どうしたものかと暫く首をかしげていると、ふとした瞬間、ロザリアの瞳が光を取り戻した。
　少し伸びをして、体をほぐす。

「ごめん、来てたのは気づいてたんだけど、移動する隙がなくて」
「……移動？　何をしてた？　……アデルはどうした？」
「別世界の領地に戻って夜会という名のお勤め、私も付き添いで向こうに行ってたわ。
　ここの結界も維持する必要があったから、端末（アバター）二つ使っててね」
「よくわからんが、体二つ使ってたのか」
「そ、一つしか動かせないからこっち放置しちゃってた。
　……アデルはもうちょっとしたら戻ってくるんじゃないかしら、映像でも見る？」

　まぁ戻ってくるまで暇ですし、というコーデルのコメントの元、囲炉に移動した面々は暖を取りながらロザリアが虚空に写した映像を眺めることになった。
　幾ら仲間でも、流石に私室に居座るというのは余り心象が宜しくない。
　コーデルが腰掛けたベンチの横にリオが座る、コーデルは黙って身を寄せ、リオの指が髪を梳く感触に「ん」と声を漏らした。
　ロザリアの籠はリティリアが抱えている、ロザリアが向こうに戻れば、こっち側の体は再び動かなくなるらしい。

「Ma paks ra viss ciel hymmnos mea」
（少しだけいけない事をしましょう？　私の詩は世界を映す）

　詩を呟き、ロザリアは手元に一つの四角く発光する物体を生み出した。
　厚みはなく半透明で、まるで覗き窓のように此処とは全く関係のない場所の映像を映し出している。
　それを全員が見れるように拡大し、固定したあとにロザリアは再び動かなくなった。……向こうに戻ったのだろう。

　：：

　窓の中に映るアデルは、薄いシャンパン色のドレスを身にまとい、飾り立てられた姿で周辺に笑みを振りまいていた。
　場所はどこかの屋敷としかわからなかったが、恐らくはアデルが所有する領主邸なのだろう。

　ドレスは襟のないオフショルダータイプ、胸前で結んだボレロは首元が大きく開けられ、セクシーさを強調する代わりにアデルの戦士として隠しようのない二の腕を覆っている。腕は細身な形こそ崩していないが筋肉質で、隠されていなかった場合、白蛇のような周囲の貴婦人と比べられて否にも目立ったに違いない。
　スレンダーラインのスカートは足元を完全に覆い隠し、腰の後ろでは華やかだがボリュームを絞ったトレーンが寄せられている。髪は黒の髪飾りでまとめられ、全体の華やかさを抑えていた。

　代わる代わる、アデルの所を人が訪れ、或いは挨拶のように気軽に、もしくは少し真面目な色を入れて言葉を交わす。
　何を話しているのか、まではコーデル達には聞こえなかった。他愛ない言葉ならちゃんと聞き取れるので、恐らくはロザリアが検閲してるのだろう。

「……おい、あそこにいるの、オルフェじゃないのか」
「ああ、オルフェとチコリーも行ってるわよ、見物したいとかなんとかで」

　こっち側の声も聞こえているのか、隙間を縫ってロザリアが返事をよこした。
　リティリアの指摘通り、夜会の中にはリティリア達にとっても見覚えのある姿がいる。
　男装姿のオルフェ、そして幼い容姿ながらも、貴族らしく堂々とした振る舞いをするチコリーだった。

「……ご機嫌麗しく、領主名代殿。良ければ一つ、僕たちの飛び入りを許して頂けないだろうか？」

　本来冒険者を生業とする二人だったが、流石にいつもよりは格段にグレードを上げてきた礼服姿だった。
　オルフェのコートは落ち着いた夜空の紺色に銀のボタンが輝き、袖には繊細な刺繍が施されている。日頃よりドレス姿のチコリーもミントグリーンを基調とした、エンブレスラインの夜会仕様にチェンジしていた。身長差が結構あるために、殆ど腕を上げるようにしてオルフェにエスコートされている、日頃の饒舌さは引っ込めてるのか、アデルと目が合うとただスカートを摘んで一礼を行う。

「遠路はるばるようこそいらっしゃいました。主の貴重な友人です、喜んでおもてなししましょう」

　知人の乱入に動じる様子もなく、アデルは笑顔を崩さない。
　社交辞令の流麗さはまるで示し合わせていたかのようだった。

「アデル、多分腹の底でどう切り返すのが面白いか考えてたと思うけど」
「……領主名代？」
「あいつワケありだから名代ってことになってるの、領主は病弱で社交場には出れないとかなんとかで。時々身代わり立ててるみたい。領主の証である指輪とブローチはアデルが持ってるんだけどね」

　二人が通されたホールでは、とっくに来ていた客達が各自歓談を行っていた。
　とは言え、二人はそちらとの交友を深めに来た訳ではない、邪魔にならない位置を取り、案内のアデルにそのまま声をかける。

「アデルも結構真面目に仕事してたんだね、領地放ったらかしかもって思ってた」
「『……どこぞの家出娘には言われたくないな、そろそろ家に帰ったらどうだ』」
「……やだよ僕、帰ったら違う婚約者あてがわれそうで」

　その辺お互い痛いところでしょ、とオルフェがすねたようにそっぽを向いて見せる。
　流麗な物腰に高い身長、物憂げな顔立ちは大人びていて、一見線の細い青年だがオルフェは女性だ。
　反論したい内容はあったが、アデルはそれをしなかった。不毛な話をする意味はない、行き着く先は結局『伴侶を決める気などない』になるとわかっていたからだ。
　だから、アデルは話を一個前の話題に戻す。

「『理由は色々ある、面倒だし時間もかかるし疲れるが、私はまだ一度も投げ出してない』」

　給仕を呼び止め、アデルは二人に飲み物を振る舞う。
　この手の夜会は慣れたものなのか、二人も特に慌てる様子もなく、それぞれもらったワイングラスを傾ける。

　オルフェの言う通り、我ながら何を好き好んで、とアデルは思う。
　戦場に身をやつし、刺激を求めるままに剣を振るえばどれほど楽な事か。
　好戦的で刺激が好きな癖に、自分は退屈極まりない領主の仕事なんかをやっている。矛盾しているとは自覚していたが、それを糾す気はなかった。
　少しだけ理由があれば、今はそれを大切にしようと思えたからだ。些細な理由を捨て置くほど、人生に飽いている訳ではない。

「『時間が経って、最初のきっかけを作った人が死んで、誰もそいつの事を覚えてなくなったら私もそれがどうでも良くなるかもしれない。でもそれは遠い未来の話だ、今の私は違う』」

　姿形こそ柔らかな女性だが、冷たく烟る眼差しも、クロガネ譲りの淡々とした物言いも、気高く剣呑な君主のものだった。

「『時間と運命を少しだけいじってくれる妖精がいるから、今に限って私は好き勝手出来る。代償としてクロガネは抜けなくなったが、あれは私の所有物だ、手放す気もなければ腑抜けた気もない』」
「魔剣を抜く資格を失った、って考えた事は？」

　目を細め、笑み気味に切り返してきたオルフェに、アデルは少し瞳を見開くと「まさか」と言葉を呟いた。
　肘の先に刻まれた赤い印を示す、日頃こそ表に出ていないが、条件を満たせば浮き出す紋章はアデルとクロガネの契約印だ。

「『……馬鹿な事を言うな、と言いたい所だが。微妙に耳が痛いっていうのもなんともな……』」
「……オルフェに悪魔の囁きが出来るようになってたなんて驚きだわ、でも安心していいわよ、運命は止められない、あの妖精を以ってしても。その時になったらクロガネは再び貴女の手に戻る」
「『チコリーが私をフォローしてくれるってのも驚きだよ』」
「私、もっと可愛い子が好みなの、可愛い子がもがくのを見るのは好きだけど、アデルがそうなっても私にとっては手間のかかる仲間が一人増えるだけだし」

　可愛くなくて悪かったな、とアデルは苦笑して、それでも安堵混じりの息をついた。
　有難う、と唇の形だけで告げ、切り替えて話を続ける。

「『……まぁ、そのうち気が変わる事もあるかもしれない、うちの盗賊嬢だって、一度の事件でその辺を全部崩壊させた』」
「はは……あれ、僕たちも一緒に引っ越したんだよね。コーデルは一人で抜ける気だったみたいだけど、一人でほっとく訳ないでしょ」
「『あいつ、あれ以降宿を複数掛け持ちしてるんだよな、で、元凶になった親父とは殆ど話をしない』」
「エルフって繊細だからねぇ」

　当の失態を話題に出されたコーデルは、思いっきり映像から視線を背けて後ろを見ていた。
　自分に構うなという意思表示らしいが、それに構わずリオがコーデルをいいこいいこしている。

「大丈夫よコーデル、私も笑えない冗談って嫌いだから」
「私は仲間が受けた屈辱は忘れない」

　ロザリアが澄ました口調でフォローを入れ、リティリアが「気にするな」を口ぶりにだけ込めて告げる。

「『まぁ、今はこういう生き方をしたいというだけだ。そのためにも年末である今は戻ってくる必要があった、貯まってる報告を聞くいい機会だからな』」

　夜会側でアデルが言葉を続けた。
　いちいち自分の判断を仰ぐような無能な部下は持っていないが、検閲を怠ると腐敗の温床になる。

「そうか、話が聞けて楽しかったけど、余り仕事の邪魔しちゃ悪いかな」
「―――言ってなかったけど、あっち側でコーデル達がクリスマスケーキ持ってきてるわよ」
「『……悪い、もう少し待たせるって言っておいてくれ』」

　アデルの後ろで、夜会側の体を控えさせていたロザリアが小さく耳打ちする。オルフェは小さく笑いかけて見せ、じゃあそろそろお暇するよ、と柔らかく告げた。
　時間は夜半、談笑も一段落を迎え、後はホストがいなくても使用人が応対を行い、各自解散なりするだろう。
　アデルの残り仕事は、片付けと明日に対しての指示。受け取った報告書は向こうで読んでも構わないだろう、アクシデントさえなければ一時間ほどか、と頭の中で予定を組み立てる。

　今日くらいは本邸で寝たい気もしたが、仲間が待ち受けてるというのならそうも行かない。
　嫌ならすっぽかすし、嫌じゃないから行く、それだけの事だ。

　部屋に戻り、使用人に着替えを手伝わせ、日頃の服装に戻すと妖精の手を握ってメルンテーゼに転送してもらった。
　向こうでは3日ほど滞在していたが、時空のずれによって此処では数時間しか経っていない。こっち側の準備をする時間もあるだろうと内心で思いながら、テントをくぐると仲間が出迎えてくれた。

「お疲れ様ですアデル、貴女の仕事に労りを」

　仲間に気負った様子はなく、待たされた事に対する不満も見えない。
　嫌だったら待っていない―――彼らも自分と対等で、同じだ。

「―――有難う皆、それじゃあ休んでお話して、その後ケーキを食べましょう？」

　だからアデルも、『いつも通り』のように告げる。

ふと、何かを思い返した様子で