戦闘を終了させ、一息ついた。
　冷える気候のせいか、それとも傷から流れた血が熱を帯びているためか、戦闘跡の周囲には僅かに湯気が漂い、森の光景に白い靄を作っている。
　視線の先には、先ほど打ち倒したばかりの森の住人たち。すべてが臨時PTの四人により無力化され、転がされていた。

　戦いで乱れた髪を頬から剥がし、アデルは鞭状になった鎖剣を戻す。柄をベルトに当てれば、剣は瞬時に魔術鞘の中へと収納された。

「ギリギリだったわね」
「『……ま、囲まれた時点でこうなるのはわかってたさ』」

　呼吸は少し浮いている。過度な運動というよりは、強烈な一撃を受けて身体機能を乱されたためだ。
　グリズリーの一体に近寄り、赤い花びらを示して見せる。それを口にしてもらった瞬間、力の一端を示すと思われる光が白く半透明な水晶に吸い込まれ、代わりに僅かな脱力感がアデルを襲った。

「……エンブリオの契約って生命力を使うのよね、クロガネはネクターがあっても最初から契約は出来なかったかしら。アデルは大丈夫？　失血死していない？」
「ん、なんとか……」

　白い水晶をしまい、戦いの跡から距離を取る。シニヨン状にしていた髪を解くと、アデルの性格が完全に『切り替わった』。
　息をつき。

「……大丈夫、一時間で回復すると思うわ〜」

　裝備こそ鎧のままだが、口調は女性のそれに戻っている。
　以前にも一度顔合わせをしていたミクネが不思議そうな顔を向けてきたが、苦笑して手を振り、また機会がある時に説明するのだと示した。

「探索と、お荷物の整理だけ終わらせましょうか。幾つか頼みたいお仕事もあるし……それ終わったらお姉ちゃん行かないと」
「わかった、ちょっと待ってくれ、すぐに済ませる」

　ええ、とアデルはマコトの言葉にふんわりと頷いて見せる。

　：：

　暫くの間、時間を荷物の整理に費やした。
　主に食糧の用意であり、多数の料理を任せられたミクネは指示されたレシピにはしゃぎながら料理を進めている。

「ユパックちゃんにも頼みたいものがあったんだけど……ちょうどいい合成師の子が捕まらなくてね？」

　手を合わせて苦笑気味に詫び、次の行き先でも手配がつくかどうかは怪しいかも、と口にする。
　現在、攻城戦で発見されたエリアは14。唯一の森エリアである『護りの森』は比較的一揆参加者が多いが、その分需要も激しく、場合によっては過疎地の方が依頼を取りやすい場合もあって、中々難しい。

「これ、全部攻城戦用なのか？」
「おやつかもよ？　……って、それなら自分で作ってるけど」

　女性口調のアデルは、どうもけむにまいた物言いが多くなる。より正しく表現するのなら、“本当の事を口にしない”という一点だ。
　今回で言えば、警戒してるのは動物的な城の住人より、能動的に動く人間の方にあった。
　人間同士で戦う事なんて聞かせたくなかったし―――アデルは、この少年の大切な人がその人間に襲われた事を知らない。

「もういい？　アデル、そろそろ行かないと着くのが夜になるわよ」
「ええと……ちょっと待って、ミクネちゃん〜〜〜」
「用意出来てるッスよ！」

　呼びかけを受け、大急ぎで品を包むミクネに、有難う、とアデルは微笑んで品を受け取る。

「じゃあね、三人とも。私達はそろそろ行くわ〜」

　別れを口にする面々にアデルは手を振り、ロザリアはその横で詩の一節を口ずさむ。

「Was ki wa aulla dand hymmnos mea
　tek ADDR:0100:0000:0101 => 0001:0001:0100」
（私の詩は扉を開く、女神の園への転送を実行。）

　アデルとクロガネと妖精、三人の姿が掻き消える。
　去り際、妖精は振り向くと、少し憮然とした視線をマコトに向けていた……。

　：：

　女神の園に辿り着き、アデルは魔術具を動作させてテントの再設置を行う。
　内部に入って武装を解き、外した鎧のパーツを鍛冶エリアの工作台へと乗せていった。

　風呂場まで降りて血が滲んだ服を剥がし、駄目になったものとまだ大丈夫なものを分けて置く。
　幸い今回の傷は浅く、服も駄目になってはいない。
　こういった事がしょっちゅうなため、外套こそ飾りを施しても、内側に着るものは完全な実用重視だった。

　誰もいないのをいいことに、アデルはそのまま風呂場で洗浄と手当てまで済ませる。
　出血は既に止まっているが、負傷の痛みはまだ薄く残っている。アデルの《不死》は文字通り死なない程度にしか効力がなく、傷を癒やすにはまた別の手段を取る必要があった。
　クロガネから魔力を回収するか、或いは妖精に治してもらうか。薬の類はほぼ効力を示さないために、ある種厄介な体質とは言えた。
　傷口には血が移らないようにガーゼを当てて、腰で留めただけのバスローブを羽織り、自室へと赴く。

「……お姉ちゃんもうこのまま寝たい」
「いいんじゃない？　手当ては済ませたんでしょ」

　たとえ不死であっても、アデルは自分の事を『どうせ』とだけは口にしない。
　ロザリアも端的な事実しか口にせず、その体質をことさら強調しようとはしなかった。

　『どうせ死にはしない』―――その言葉は、口にするには恐ろしすぎた。
　死なない事でも死ねない事でもなく、命を軽く扱うのがただ憚られた。

「ん……クロガネ、治して」
「……可愛い声で甘えるような事か」

　気持ち程度睫を伏せたクロガネが、ベッドに腰掛けてアデルの横に腕をつく。
　腕の下にアデルの体を置き、魔力の変換と再転送を行い始める。

　体の異変に耐えるアデルが、喉をさらけ出してあえいだ。
　暴れ出さないように、クロガネがアデルの腕をつかむ。位置がずれないように固定して、細心の注意を払って体の再構成を施していく。
　治療魔術ではない。どちらかと言えば、時間操作の類だ。
　光で描かれた時計のエフェクトが逆回りに回転し、光の輪がアデルの体をなぞる事数度。少し熱の浮いた呼吸と、定まらない視線の余韻を残して、魔力の再転送は完了した。

「……結構あっさり終わるのね、見てないけど」
「…………」

　ロザリアの言葉には応えず、ベッドから立ち上がったクロガネの首元では不思議な紋章が赤い光を放っていた。
　アデルの腕にも同じ紋章が光を放ち、アデルが起き上がる頃には両者ともに光を消滅させている。
　それに対して二人が何かコメントする様子はない。起き上がったアデルは乱れた髪を荒っぽく整えると、妖精の方に『そういえば』と低い口調を向けた。

「『珍しく戦闘中にせかしてたが』」
「……あー」

　言いよどむ妖精の仕草は落ち着きがない。少し考えこむ素振りを見せ、『臨時PTだし、あんま詮索するのもなんだけど』って前置きして口を開く。

「男の子の方の能力―――なんだっけ、邪気眼？　ちょっと『嫌な感じ』がしてね」

　本当の事を言えば、『ちょっと』では済まない。精霊詩を歌うロザリアにとって、言うならば“奈落落ち（フォールアウト）”にも等しいおぞましさだ。
　それを受けて、ロザリアは即座に障壁を張った。
　余り長く持つとも思えなかったために、アデルを急かした。

「見るに自覚はないんじゃないかって思うんだけど……いやまぁ最初見た時からすごく『厄介事』の気配がしてたけど」

　ロザリアの性質として、基本的に彼女は慈悲深い。
　呪いを受けてるからって一方的に糾弾する事はないし、理解の前に私怨を先走らせるのも稀だ。

「厄介事になりそう？」
「……うちには飛び火しないと思うけど、向こうはなんとも。別にちゃんと『視た』訳じゃないし」

（どうやら聞き間違いではない名前に引きつりつつも、知った名前が羅列され、その内容に難しい表情で振り返った）

（思案する時間はそう長くなく）

（最後は小さくため息をつきながらも。友人と共に外へ向かう気になったようで、愛用の杖を片手に様子を伺っている）

　矛先を虚空へ向け構えた槍を、
　　袈裟懸けに振り下ろしては、返すように振り上げる。
　　　多数の節から成る柄はその度に撓り、鞭の如き軌跡を描き。
　　　　節が擦れ合う連続した金属音を上げ、最後にはまた槍の形へと戻った。