ウィルの家は、形そのままに残っていた。
暖かな生活の記憶が蘇る。
綺麗に手入れされた跡。水道も電気も健在だった。
研究所の仕業だろう。復讐を恐れて、腫れ物のように扱っているのかもしれない。
それでも、すぐに生活が始められるのは有難いことだな、と思った。
彼女の心は深い傷を受けてはいたが、まだ、立ち直るだけの余地があった。

一人で暮らすには、やや広い部屋。大きなダブルベッドに一人、横たわる。
……これからは、自分で死ななきゃならないのか。
そう思いながら、深い眠りに包まれていった。



ウィルの、新しい生活。
隣に夫の居ない、ひとりきりの生活。
もともと30年の軟禁からの新生活だ。親しい人間との繋がりも薄れていた。

彼女は毎日一回、風呂を浴びるときに自らの喉を貫いた。
その日々を続け、1年もした頃には、あまり苦しまずに自分を殺せるようになっていた。

月日は流れ、周囲の人間は歳をとってゆく。
彼女の身体の秘密を知るものも少しずつこの世を去ってゆき、注目を面倒に思ったウィルは
山奥へと居住を変えた。

70年が過ぎた。

山奥の錬金術士は、一人で細々と研究を続けた。
たまに食材や専門書の買い出しに街へ出ては、店主にいつまでも若いねなどと口説かれる。
しかし、錬金術の研究はすれどすれども、学ぶことは尽きなかった。
自分が停滞していることには、とうに気づいていた。
それでも彼女は錬金術が好きだった。
錬金術を学び続けてさらに20年。その20年に自分が何も成せていない事に気づいた頃には、店主は他界していた。

錬金術士をやめようかと思った。
何か、全く別なことに手を出そうと思った。

趣味でやっていたピアノを、本気で学び始める。
10年が経過した。
それなりに上達し、やがてプロのスカウトが来た。

貯蓄も尽き、金が必要だった。
ピアノで生計を立てようかと思ったときに、問題に直面する。

自分の身元が証明できなかった。
自分の経歴も身分もはっきりしてはいたが、その頃には彼女の年齢は150歳。
已む無く事情を説明し、自分の首を人前で切ってみせた。

もはやピアニストどころではなくなってしまった。
突然、世界中の注目を浴びる存在になり、混乱が収まるまでに1年以上の期間を要した。
結局、自分の身元はそのまま使えることになり、その後、ようやく念願のピアニストとしてのデビューを果たすことができた。

金には困らなかった。山奥で暮らす日々が、人々に囲まれる日々へと変わった。
自分が有名人になったことで、有名人の色んな友人ができた。
その中には成功した実業家や、全国民に愛されるアイドルなどもいた。
その生活で、自分の150歳という年齢には、なんら精神年齢が伴ってないことを実感した。

生活は、長くは続かなかった。
3年もした頃には、世界の興味からは離れていき、テレビの前でインタビューに答える日々は、
手術台の上で研究に応える日々に変わっていった。

ピアノは大成しなかったが、熱心に続けた。数十年ほど続いたところで、やはり壁にぶち当たった。
上達しないどころか、だんだんと衰退してゆく。
そして彼女は、ピアノの表舞台を降りることになった。

交流が増えたことで、仲間の死に立ち会うことが増えた。
人と仲良くなる事への恐れは、やがて彼女の心の壁へと形を変えた。

ウィルが200歳になった頃には、彼女はふたたび隠居の生活に戻っていた。
とはいえ、世界に認知された不死者だ。知名度はそれなりに健在でもあった。
その間も、ずっと彼女は欠かさず毎日、自らの喉に刃を突き立て続けた。

時は流れ、時代は流れ。

自分を口説いていた店主の孫も、今や皺の刻まれた老人だ。
彼がおむつを履いていた頃を、よく覚えている。それなりに情の移った可愛い子だ。
彼が老衰で死んでゆくところは、あまり見たくない。

数年前、その彼にも孫ができた。
孫が生まれたと知った時に、まるで子供のように大はしゃぎした彼。
その姿は彼の祖父そっくりで。歴史を繰り返しているかのような不思議な既視感を覚えたものだ。

孫もやがてすくすくと育ち、10歳になったときに、プロポーズされた。
俺が守ってやるとか、一人にはさせないとか、歯の浮くような台詞を聞かされたものだ。

彼は一途にウィルに想いを伝え続けた。
その真っ直ぐな熱い心は、ウィルの壁を少しずつ溶かしていった。
中学生になった彼に、毎日のように勉強を教えた。
高校になって、祖父が他界した。二人で夜通し泣き続けた。
彼は立派に成長し、それなりに美少年に育ったが、ガールフレンドとの浮いた話は一切なく、彼は頑なにウィルに想いを伝えていった。
やがて彼は店を継ぐ。20歳になった頃、彼と正式に付き合う事になった。

ウィル、当時230歳。
不死者を始め、不老の悩みに苦悩し、人を避け、
やがて自らの幸せのために人を再び受け入れ始める歳の出来事。

人通りも絶えた真夜中の路地裏にて。
通り風のような、ぞくりと背筋を抜ける悪寒と共に、人間とは明らかに異質な気配を感じます。
街燈はもちろんのこと、星明りすら届かないような路地の奥のさらに奥に、真っ白な少女が立っていました。
闇の中に白々と浮かぶ髪と肌、その胸のあたりには文様のような刺青が刻まれており、
腰より下は、まるで闇に溶けているかのように目には映りません。

白い少女はまるで、さっきまでのあなたの痴態を全て見ていましたと言わんばかりの、
妙に癪に障る含み笑いを浮かべています。

近くを歩いていた少年はその姿に少し驚いた後、
そういう文化の人なのかなと納得して通り過ぎようとする。

――が、何か興味を持ったのか、あなたの方に近づき話しかけてくる。

とりあえず変わった格好の人は大体一揆参加者だろうと思っているようだ。

年の近そうな同類を見つけたのが嬉しいらしく、だいぶはしゃいでいるようだ

赤い髪の鬼は、そう言うと肩の傷から流れ出る血を手で塞いだ。
どうやら魔女との戦いで負った傷のようだ。