[ 自動書記文箭の記録より ]

森の奥に、似合いのような不釣合いなような建物があった。
緑に覆われたその建物は、いつからあったのか。壁に伝う蔦を見ると結構古い建物なのかと思うが、実際はそうでもないかもしれない。この世界の植物は、己達の世界のものとは違うかもしれないのだ。大体、この森の緑は濃くていけない。

建物に近付くと、男女が言い合いをしていた。
このような辺鄙な場所で言い合いとは、平和なのかそうではないのか。
もっとも、上記と照らせば、彼らと建物は釣り合う。
辺りを憚らずに大声でやりあうが、そのやり取りは漫才よろしくおかしなものだった。

「アホなのかしら」

二人を呆れて見ていたら、アイリが呟いた。まったく同感である。
と思っていると、男が急にくるりとこちらを見て、一瞬、にたりと笑った――気がした。

「おい大変だぁ！！一揆の連中がここまで来たぜえぇぇッ！！？」
「なんですってぇぇえ！！？通しません！！通しませんったらあぁぁッ！！」
「えっ」

既に武器を構えているエルザとアイリ。
きょとんとしている野良。と、己。
ファルマという女性がこちらを向いた隙に、アヴィドと名乗ったは、するりと研究所へと走って行く。
その背を見送るはめになった己らであったが、それも刹那の出来事。すぐと目の前に大きな悪魔が現れた。

「ここは通しませんったら！！」

叫ぶように、背に悪魔を従えるファルマ。仕方なく、己もトランクケースを木の根元に置いた。
彼女はあの研究所の者らしい。悪魔を使役する研究所など、絶対に怪しいと思うのだが、どうだろう。
啓、御前は屹度喜ぶのだろうな。「いやいや絶対怪しいって！ていうかその女、中ボスだろ？」などと言いそうである。
帰ったらどう言うか、まずは反応を見てみたいところだ。

アイリが己の後ろに下がったのを確認して、エルザがバックステップで間合いを取った。間合いを先に取る事で、牽制も兼ねている。
野良もそれに合わせた。野良の方が若干前方に出ている。彼女は可愛い顔をして、敵を殴り倒す猛者である。

「文ちゃん？」

くるりとこちら――後ろを向いた野良が、声を出した。
己は首を傾げた。

「野良さん、どうしました？」
「……ううん、何でもないなー。後で言うな？」

珍しく苦笑を残して、彼女は悪魔に視線を移した。

「じゃあ、教ちゃん、よろしく頼むなー！」

それだと別の意味になる。
教という名の本が、彼女の腕をぐるりと包帯のように巻きついた。

「あれ？よ、よろしく頼む……んだなー？」

あの大きな悪魔にも動じず、いつもの通りの野良を見て、己は初めて気がついた。
それは、彼女が“いつも通り”だったからこそ気がついた事である。



彼女が紅葉を拾った一昨日、己は彼女に見せてもらった大きな紅葉を見て、どのような顔をしていた？
それから、少しとはいえ呆とする事が何度あった？
実際に、考え事ばかりしていたではないか。

野良は己の顔色を気にしていたのだ。
エルザとアイリは、このような事にいちいち気にしているような人ではない。
けれども、野良ばかりは、いいや紅葉を見せたのが野良だったからだ。それで余計に彼女は己を見るようになっていたのだ。
なんと悪い事をしてしまったのだろうか。
己は、笑顔が似合う彼女に、苦笑などという表情を浮かべさせたのだ。



記録を内に貯める事は、時として毒になる。
己の内にある紅葉はいつから黒くなってしまったのだろうか。
体を蝕む毒が記憶を、記録を、塗り潰してしまったのではないか。

いけない。これではまた野良に辛い顔をさせてしまう。
今は自分と闘うのではなく、現実と戦わねばならないのだ。



ひらりと、紅葉がどこからか舞い落ちた。――それが合図だった。

撫でられた背中が、軽く震えながら跳ねる。

決して穏やかならぬ息遣いで、しゃがみ込み丸くなる。