――目が覚めたのは、真夜中。まだ、夜明けには遠い頃。


コトカさんと一緒に、食事を取って、パイを食べて。
調理場の片づけをして、諸々の支度をして。
床についたのは、確かに早かったけれど。こんな時間に目が覚めるなんて思わなかった。
ここは宿屋で、火の番ついでの警戒もしなくていいのに。
癖や、習慣というのは、たまに厄介だと思う。

もう一度、眠ろうと目を瞑っても、眠気が訪れるどころか意識は冴えてしまって。まったく、眠れそうに無かった。
仕方なしに起き上がれば、解いて下ろしたままの髪が首筋に沿って落ちる。
それを背へ退けながら、部屋を見回した。
眠る前と、特に変わった様子はない。耳を澄ましてみたけれど、気になる事もなかった。

イェジは、と探せば、離れた椅子の上で丸くなっていた。
加えて、その背もたれに掛けてあったはずのジャケットを被っていて。
エンブリオの彼でも、肌寒かったのかもしれない。最近は、少し冷えるようになっていたから。


さて、どうしようか、と思って。ふと、窓の方を見た。
今夜は、月が出ているのだろうか。閉めたカーテンの、僅かな隙間から、月明かりが差し込んでいた。
それに惹かれるように、ベッドを降りて、なるべく静かに窓辺へ寄る。素足で触れる床は、冷たい。

カーテンを少し開ければ、ひんやりとした空気が肌に触れる。
長袖でも、さすがに寒くて、軽く腕や肩を擦った。
せめて何かを羽織れば良かったんだろうけど、一番適してるジャケットはイェジが使っていて。
どうせ、この寒さだ。長くはいられないし、少ししたら、またベッドに戻るから。そう思って諦めた。
そう思って、近くに置いてあった、もう一つの椅子を引き寄せて腰掛ける。
そして、外を見た。



雲のない、深い藍色の空に、瞬く星と白く輝く、円い月。
黒く影を落とす木々は、時おり、風に揺られてざわめくように音を立てる。
まだ、夜が明ける気配はなくて。



――とても、静かだった。



こういう時間は、好きだ。
街の賑やかさも、他の人と関わって話したり行動するのも、嫌いじゃないけれど。
誰にも気を使わなくていい時間、というのは、気持ちが落ち着く。
なんと言っていいか分からないけれど、ほっとする、というか。
こんな時間は、一揆に参加して以来、あまりなかったような気がする。

ラルフさんと戦って、一揆に参じることを許されて。
そのあと、王城前でコトカさんと出会ってから、今日まで。
長いようで、短い時間。めまぐるしく、毎日が移り変わっていった。
変化ばかりで、最初の頃は付いていくのもやっとだったし、自分のことでいっぱいいっぱいで。
今も変わらないのかもしれないけれど、前よりは、多少は、マシに……なってると、思いたい。

ただ、思い出すだけでも、いろんな事があった。いろんな人と出会ってきた。

手のひらに視線を落とす。マメが潰れて硬くなって、柔らかさなんかない、手。
何度、この手を出会った人に差し出しただろう。そうして何度、握手を交わしただろう。
自分より大きな手、小さな手。千差万別で、ひとりひとり違っていた。
そこから、言葉を交わして、いろんな話をして。時には、一緒に戦いもして。
彼、または、彼女の姿に学んだことも、たくさんあった。

まだ、自分の中の問題は山積みで、未解決ばかりだけど。
それでも、少しずつなら、向き合っていけるんじゃないだろうか。

そう、素直に思えるようになってきた、気がする。

｢……ったた｣

左肩に走った痛みに、小さく声が出た。考えすぎて、体を冷やしたんだろう。
もう一度、窓の外を見れば、月はさっきよりも西に傾いていた。
立ち上がって、カーテンをきちんと合わせて閉める。
そのまま窓から離れれば、肌に触れていたひやりとした感覚は薄れた。
しくしくと痛む左肩を擦りながら、ベッドに潜り込む。布団の中は、まだ、ほのかに暖かった。
目を閉じれば、急激に睡魔が襲ってきて。


沈んでいく意識の、そのさいごに。



つきり、と走る痛みを感じたのは、夢、だったのだろうか。

この前のように離れて歩いている、というわけでもないが。
それでもやはりルカとはあまり顔を合わせようとはしていない。
まだ、気まずいようだ。

　それでも、二人の距離感がいつもと違う気はする。気まずそうにも、見えて。

　努めて自然に、そう彼女に話しかける。

そう問いかけてから

どうやら、ルカ自身はその意味を理解していないようだが。

なんて言うけれど、詳しいわけではないし、種類なんて殆ど知らない。
続く言には、

このざまだった。おろおろしている。
彼が、イェジが口にする“約束”が何のことかは、ルカには分からない。
分からないが、約束を守るのは良いことだと、思う。
なでなで。

　若干、戸惑った様子でそう返した。

　好きなものを聞けば、ふうんと頷いて。

　と、よく分からないフォローを入れた。

　イヌワシは羽ばたき、杖に括りつけられた常盤色の結晶が、きらりと輝いた。