――オブドルスク領、首都ネネツ。

長い冬を有し、日も当たらず一日の寒暖の差が激しい。
国土の半分以上が高地であり、大規模な農地も展開できない。
そもそも人の住める地が少なく、エンブリオの生息数の方が多い。
オブドルスク領は、そんな貧しい領土である。

領主イヴァンは、この地に生まれた者として舵取りに追われていた。
他の領主が華々しくメルンテーゼ史を飾る中、
この小さな領土が独立を維持している現状を考えれば、
目立ちはしないが名君の類に数えてもいいだろう。

このメルンテーゼにおいて、
一年を通して寒冷なこの地に、本格的な冬が訪れるのはもうすぐだった。
雪がちらほら舞う寒い日に、とある客人を迎える事になる。

最初はアポイントメントが無いので断ろうとしたが、
『一揆代表と名乗る、赤毛の農夫風の恰好をした女性』
という報告を聞いて、イヴァンの顔色が急変した。

「応接室にお通ししろ、粗相のないように丁重にだ。」

彼は側近にそう申し付け、早急に応接室に向かった。

◇◇

イヴァンは人払いを申し付けた後、厳重に応接室の扉を閉めた。

「御領主様におかれましては、お気遣いありがとうございます。」
「敬語は止めて頂けませんか、ルリアンナ様。」

多少疲れたようなイヴァンの声に、ルリアンナは満足げに微笑んだ。

「それにしても中々上手く治めているようじゃないの、イヴァン。
　流石はサレハルド家の血筋といった所かしら。」

そう言って上座のソファーに腰を下ろして脚を組む。

「そちらも中々派手にご活躍されているようですが……。
　自ら足を運んで頂くとは、何か火急の要件がございますか？
　強制型エンブリオの件につきましては、
　まだ研究の段階から脱してはおりませんし。」

オブドルスク領には、
他の領地では見かけないエンブリオも多数存在する。
エンブリオに関してだけは、豊富な人材を有していた。

「ええ、そっちも気になるんだけど今回は違うのよ。
　ちょっと確認したい事があってね、
　『干渉者契約』って確か、貴方の親の代に禁止してたわよね？」

懐かしい言葉を聞いて、イヴァンは少し首をかしげた。

「『干渉者契約』ですか……ええ、確かに。
　あれは術式の人道上の問題が、他領に取りだたされて大変だったらしいです。
　私達もいつまでも引きこもるわけにもいきませんし、
　今の時代には流行りませんよ。」
「そう……やっぱりね。」

ルリアンナは溜めていた息をその場に吐く。

「イヴァン、その『干渉者契約』している子がうちの一揆に居るんだけど。」
「……え？」

イヴァンは我が耳を疑った。
『干渉者契約』はオブドルスク領に昔から伝わる伝統召喚術で、
もともと余所に伝える事を固く禁じている為、
領民以外が召喚術を使うとは考えられなかった。

術式に関する資料は父の代に全て回収し、
まとめて資料庫に収めているはずだった。閲覧できるのは限られた人間のみ。
一般の民の目に触れることはまずありえない。

ならば、『干渉者契約』を禁術と知りながら
知識を盗み、行った者が居るという事になる。

「13歳の男の子でね、到底何か知っているようでは無かったわ。」
「……子供に何も知らせず、『干渉者契約』を行わせたというのですか……！？」

ルリアンナは、静かにこちらを見据えていた。
穏やかに繕うようでいて、視線は刃のように鋭い。

対してイヴァンは大きく動揺していた。
領民の子供を兵器として扱ったとなると、世間の目は厳しい。
オブドルスク領はそうでなくても粗野であると偏見を持たれている。

「どこから情報が洩れてるかは知らないけど、
　そろそろ手を打った方がいいんじゃないかと思って。
　ただね、その子は返さないわ。貴重な人材資源なんだから。」
「……ありがとうございます……。」

情報漏えいの手を打てるだけ有難いと考えるべきか。
この姫を相手に、対等以上の取引が出来るとは思えなかった。

「要件は以上だから、そろそろ帰るわね。
　こう見えて政治組織の運営は難しいのよ？」

くすりと笑ってウインクひとつ。

「御足労頂きありがとうございます。早急に対応致します。」
「まぁね、期待値高そうな人間には手間を惜しまない主義なのよ。」

外にいる側近に扉を開けさせ、ルリアンナは悠々と去って行った。
廊下の先に見えなくなるまで見送った後、急いで政務官を呼ぶ。

「資料庫の往来記録に記された人間を洗い出せ。今すぐだ！」

領主の指示は、瞬く間に広まっていった。


◇◇◇



――首都から遠く離れた、名もなき村。

村の中心から外れた湖沿いの別宅で、男は焦っていた。
男の手には一枚の紙があった。領主からの出頭命令である。
内容は、資料庫の資料を故意に持ち出した容疑で中央に出てこいとのこと。

男はそこそこ名のある貴族だった。
普通ならいきなり立ち入られる所だが一応の温情はあったのだろう。
だが、出て行けば確実に捕まる事は分かっていた。
彼の別宅には、『干渉者契約』に関する資料が沢山あるのだから。

出頭命令には領主の名前が記されている。
彼はもともと領主とは折り合いが悪く、また人脈も乏しかった。
潰されるのは時間の問題である。

「……卿、お呼びでしょうか……？」

応接間で酒をあおっていると、小太りの男がやってきた。
彼も『加害者』の一人である。

「神父よ、領主の奴が俺達に感づいたらしいぞ。」

そう言って、手に持つ出頭命令書をひらひらさせる。

「領主に……！？私達、捕まるのですか！？」
「俺が捕まればそうなる。」

男は暗に一蓮托生であると言葉に含める。
それを聞いて、少しだけ神父の口が曲がった。

――どうせ主犯はお前なのだから、全て罪を被って沈めばいいのに。

神父は心底そう思った。

「そう怪訝になるなよ。俺に考えがある。
　どうやら領主は一揆側と繋がっているらしい、
　ならば王政側に情報と戦力を売って逃げ込めばいい。」
「そんな、国王にツテなどあるのですか？」
「一揆が予想以上に王政側を侵食しているとの噂だ。
　混乱している今ならば、ツテなどなくても受け入れられるだろうよ。」

そんな上手い話などあるものか。
これは詐欺師の論法であると、神父は感じていた。

「勿論手土産は用意する。もうひとつ『干渉者』を呼べばいい。」

『干渉者契約』は、
自分が元手を払う事なく兵力を生み出せる打出の小槌である。
何故それを躊躇う必要などあるのか。

「そうだ、『干渉者』同士をぶつけるといい。
　一揆側の『干渉者』を潰せば実績にもなるだろうし。」

男の酔いが適度に回ってきたところで、神父が口をはさむ。

「……そういえば。
　私が深夜、礼拝している時に
　『無貌の蒼頭』からお告げが来た事があります。
　あの『干渉者』が、小坊主に入れ知恵をしていると。
　私達を疑うように、吹き込んでいるのかもしれません。」

またあの女と深夜で礼拝とはご苦労なことだ、
そう言いかかった言葉を男は飲み込んだ。
今はこれ以上面倒事など抱えたくはない。

『無貌の蒼頭』が独自にコンタクトを取ってきた自体が眉唾物だが、
『干渉者』に憑くエンブリオと資料に書いてあったので、
あながち間違いとも言い難い。

「ならば決まりだ。
　誰を駒に仕立てるかは俺に考えがある。
　どうせなら見世物として格調高く演出した方がよかろう。」
「逃げられるなら私も異存はありません。
　戦果があげられるよう、人選は慎重になさいませ。」

新しい支配者になれぬのなら、
既存の支配者にまず食い込めばいい。
喉を食い破る機会はまだ、沢山ある。

酒に酔う頭で男は、
昔から自尊心を刺激するあの領主を断頭台に送る絵図を夢見ていた。


◇◇◇



――名もなき村、教会へ続く道。

雪が一時期止んだ、寒露の夜のこと。
重要な話があると神父に言われて、少女は我が家を抜け出していた。

重要な話は、恐らく恋人のことだ。そう彼女は確信していた。
恋人が世界を改革する戦いに向かってから数か月経つ。
彼は今、どうしているだろう。

一般の人間には、一揆に参加しているとは中々言いづらい。
国王に従っている領主に知られれば、
必ずや処刑されてしまうだろうと考えられるからだ。

そんな彼の安否は、
彼自身からの手紙と神父の言葉でしか確かめられなかった。
その神父からの重要な話だ、
最悪の事態が自分を待っているかもしれない。

彼は教養があり、穏やかで、優しかった。
大好きだった。彼以上の人間など、いないに決まってる。
もし失ってしまったら、この先自分はどうやって生きたらいいのか。

いいや、そんな事を考えるのはやめよう。
自分が信じてあげなければ、彼が可哀そうだ。

――ずっと待ってあげられるのは、私だけ。

その言葉を胸に、少女は教会の扉を開く。
中に佇んでいたのは、見慣れた神父ともう一人。

「神父様。私に重要な用事って、何でしょう？」

恐る恐る、少女は口を開く。
始めて会う細身の男は、猛禽類のような目でこちらを見ていた。

「こんな遅くに良く来てくれたね。」

穏やかな口調で、神父は続ける。


「イネッサ、ミハイルの代わりに召喚者になってはくれないか？」


天窓の月明かりに照らされて、床に描かれた魔法陣が浮かび出る。
少女の中で、幸せが滑り落ちる音がした。



To Be Continued......



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※今回はNPCのルリアンナさんを多めにお借りしております。