だれもいない部屋に、きい、と大きな音が響きます。

だれも、というのは語弊があるかもしれません。
よく見れば、部屋を大きく縦断する机の隅、そのまた隅に旅人が座っていました。

そう、旅人だけ。

一緒にやってきたはずのドラゴンの姿は、影も形も見当たりません。
話を聞きに集まっていたはずのヒトの姿も見当たりません。
ひとり、笑みをたたえた旅人は、覗き込む、
といっても扉から大きく身を乗り出している少女を手招きします。

少女は不思議そうに首をかしげてぱたぱたと小走りで旅人に駆け寄りました。
彼女の小さな家族が、そのあとに続きます。
旅人が駆け寄ってきた少女の後ろを指さすと、
そこにはちゃんと少女の座る椅子が用意されているのでした。

「勉強はいいのかい？」
「そんなのとっくにおわらせてるの」
「父様からのいいつけは？」
「ふたりともやぶってるのだから、もうひとりぐらいふえてもいいでしょう？」
「そうかい、一理あるね」

ちらと彼女の家族に目を向けて、警戒するように鳴かれてしまい、旅人は苦笑します。

「みんなはどこにいったの？」
「みえないだけさ、ここにいる」
「ほんとう？」
「ほんとう。みつかったらこまるだろう？」
「うん」

くるり、と少女は辺りを見渡します。
しん、と静まり返った館は、自分の知っているものとはまるで別物です。
まるで館が音を食べてしまったかのように、夜よりも静かでした。

「あなたのはなしをききにきたの」
「でもとうさまがだめっていうから」
「でもふたりはさきにいっちゃって」
「わたしはおいてけぼりなのよ」
「ねえ、あなたはだあれ？」

首をかしげる少女に、旅人はにこりと笑います。

「私？私は…そうだねぇ、通りすがりさ」
「それはもうしってるのよ」
「それじゃあ、旅人はどうかな？」
「みればわかるのよ」
「それじゃあ、吟遊詩人は？」
「そうなの？」
「歌えないけどね」
「だめじゃない」

調子はずれな歌を口ずさんでみせる旅人に、少女は首を横に振って否定してみせます。

「けれどいくつもの話は知っているよ」
「どんな？」
「たとえばこの館が一部じゃお化け屋敷として知られていた話とか」
「そう」
「黒猫が住んでいるとか」
「そう」
「不死者が住んでいるとか」
「それはうそよ」
「ずっとわたしたちがくらしてるもの」

旅人はにこにこ笑っています。
少女が再び首を傾げたころ、大きな部屋を黒猫がよこぎっていきました。

「君には見えるかい」
「この部屋や」
「あの黒猫や」
「目の前の私が」

「あたりまえよ」

「そう、それじゃあもう一つ質問いいかい？」
「君は見たものを信じるかい」

ちょっと間をおいて、少女は腰に手を当てて、ぴしっと背を伸ばして、

「みえてるからみえてるわよ」

少し父様風の格好で言いました。

「そうかい、そうだね」

その答えを聞いて旅人は満足したのか、やさしい笑みを少女に向けました。

「本来の話に戻ろうか」
「私は、ここに友人を探しに来たんだ。はぐれてしまってね」
「その途中で色々なところに寄ったのさ」
「時間だけはたっぷりあるけれど、友達にはないかもしれないからね」
「そう」
「それならここではなしていてもいいの？」
「それぐらいなら、友人も許してくれるさ」
「ふーん」

ちょっとよそ見をしていた少女が、ぽんと手をたたきます。

「ねぇ、たびびとさん、おちゃはいかが？」
「わたし、ほめてもらったのよ、うまいって」
「せっきゃくのおてつだいだったら」
「とうさまだってみんなだって、きっとおこらないわ」
「どんなお茶だい？」
「水面草のおちゃなのよ」
「うまくいれられればどんないろだってだせるのよ」
「たびびとさんは、なにいろがおすき？」

「そうだね」
「透き通るような琥珀色を頼むよ」
「うーんと甘いので」

少女が部屋を出ていくと、部屋はすっかり元の様子を取り戻しました。
いつものような、そうでないような、
それにしてもちょっとヒトの多い光景に。

部屋を不思議そうに振り返った少女をよそに、
机の真ん中に座った旅人は、カラン、といただきものの小さな鐘を鳴らして、
隣に座るドラゴンたちに向けちょっと目を細めてみせて、
部屋を飛び交う言葉に再び耳を傾けるのでした。



――　一つ二つと音を紡ぎ、三つ四つと言葉を紡ぐ。　――

　古びた洋館ぽつねんと、森を従えてそこに立つ
　とあるとある日の物語、彼は庭にやってきた
　吟遊詩人はかく語りき、不死者が住んでいると
　黒い影がすっと横切れば、黒猫が、窓枠に飛び乗った

　古びた館ぽつねんと、花を従えてそこに立つ
　とあるとある日の物語、竜が庭へ舞い降りた
　吟遊詩人はかく語りき、見たものを信じよと
　黒い影がすっと横切れば、白猫が、窓枠に飛び乗った

　静寂は語り語り騙り
　夜と昼は変わらずにここに
　移り変わる世界の行く末に
　真実のあらんことを

　いつも館ぽつねんと、空を従えてそこに立つ
　とあるとある日の物語、小鳥が庭に舞い降りた

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