ポ ー シ ョ ン
　男はそれを聞いた時、思わず手に持っていた疲労回復剤を取り落としてしまった。
「おいおい、冗談だろう？」
　半ば祈るように放たれた、男の問いかけ。

《冗談でも嘘でも有りません》
　通信機の向こう側より聞こえる、か細い少女の声が、男の希望を打ち砕いた。
　続けざまに、《ミラルカ・ハウダニットの同行者は、この三名で間違いない。そう言ったのですよ、エヴォル》と駄目押しを食らったものだから、エヴォルと呼ばれた男は目眩を覚えるようだった。
「……はぁ」
　思わず溜息を漏らし、自身の髪をくしゃりと掻くエヴォル。栗毛色の毛髪が揺れ、ぶかぶかの白衣がはためいた。

「ボク達の計画、誰かに気取られているね」
　そう言ったエヴォルは、キーボードを軽快に（しかし重々しい表情で）叩いた。


第二次報告書
　目を疑った。
　ミラルカ・ハウダニットの同行者は、我々の計画とは無関係ではない者達ばかりだ。

　《ヌーヴォ=ヴェネツィアの狗》ネロスフィーネ・アバド。
　《運命の真祖》と親しい仲にある竜人、風斬東。
　《純血種》であるレーネフィア・ディ・ステラ。

　偶然とは思えない。何らかの意図が働いているのか？
　計画の漏洩を疑わざるを得ない。今後ますますの警戒を必要とす。


　　　　†
　こぽこぽと、フラスコの中で泡立つ緑の液体。エヴォルはそれをひょいと手に取ると、また別の緑色をした液体に混ぜ合わせる。
「ふふ」
　まるでこれでは魔女の館だ、と脳内で自嘲する。自分も、それらしい格好をすれば"魔女"でも装えるのだろうか？
「不可能じゃないだろうけれど、ね？」
　フラスコを火にかけると、エヴォルは鏡の前に立ち、くるりと回転した。
　――整った顔立ちに、栗毛色の癖毛から覗く銀色の瞳。
　彼が少女と見紛うほどの"美少年"であることに、異論がある者などそう多くはあるまい。
「……おっと」
　午後8時を示す時計を見ると、エヴォルは慌てて注射器を手にし――針を自身の腕に突き立てる。注射器のラベルには、「人工体組織維持薬」と記してあった。

　
　通信機から鳴り響く、コール音。
　エヴォルは眉を顰め息を吐くと、渋々と言った様子で通信機を取った。
《死体が出ました》
　前置きも挨拶も、主語すらも抜け落ちた言葉だった。
「そんなのは、いつもの事だろう？」
　普段通りのトーンでそう答えたエヴォルだったが、その目からは先程までのような不機嫌さは抜けており、爛々と輝いていた。
《余裕ですね。先日――ミラルカの同行者を聞いた時は、あんなに焦っていたというのに》
　少女のその言葉は、正確ではなかった。
　正確には、今も焦っているのだ。
「……、仕方ないだろう。対象――ミラルカの同行者が、揃いも揃って吸血鬼の関係者だって言うんだ。焦りもする」
《吸血鬼といっても、“彼女”以外は別の分割世界における存在のようですが》
「そんな事は問題じゃあない。あの中には、始祖の血族までいると来た。……分かるだろ？」

《内通者、ですか》
　そう、内通者。
　あの後セキュリティ関係を再度、計画の始めから終わりまで洗い直してみたが。外部に情報を不用意に漏らすような体たらくは、見せていなかった。
「ああ。この件、どうやら一筋縄では行きそうにないね――っと。話が横道に逸れたね」
《逸らしたのです。……死体が出ました》
「二度言う程に、大事な事？」
《ええ、とても》
　通信機の向こうからは、水の流れるような音が聞こえる。どうやら彼女は、水辺にいるらしい。
《この死体は、セイレーンです》
　――セイレーン。それはメルンテーゼ内部"星屑の小川"において、マーメイドとの双璧となって語り継がれる、美しき魔物。
　見た者全てを魅了し、そのまま永遠の虜にしてしまうという話は珍しくもない。
「そうかい。水辺だからね、珍しくもない」

　そう。セイレーンだけならば、何も珍しくはないのだ。
《珍しいのは人魚ではなく、その死体です》
「ほう？」
　エヴォルは、思わず口角が釣り上がったのを感じた。
「人魚は、後天的な吸血鬼でした」


第三次報告書
　第一フェーズにおいて様々な懸念を残した今回の計画だったが、第二フェーズへの移行は恐ろしい程に思う通り進んだ。
　ミラルカ・ハウダニットは、吸血鬼と化したセイレーンの血を摂取。現在も尚、調子を崩す事なく一揆を続けているようだ。

　あの様子では、第三フェーズもそう遠くはないかもしれない。経過観察を続ける。


　　　　†

第四次報告書

　これだから実験は止められない！

　ミラルカ・ハウダニットと名乗る個体は事もあろうに、堕天使と接触を果たした。
　それも凡百の堕天使ではなく、サタン級の因子を持つ者相手に、だ。

　驚くのはここからだ。
　ミラルカ・ハウダニットは、今後大量の吸血生物の血を吸い（或いは吸う事が出来ずに飢えを感じ）、最終的には人間の吸血鬼化と、食事を同時に行えるようになる予定だった。
　しかし想定に反し――ミラルカ・ハウダニットは、サタンの因子持つ者――パロロコンの血液の、魔力の一切を乱す事なく吸血行為に及んだのだ！
　今後も彼から目が離せない。


　
「ん、ボクだ」
　今度は上機嫌な様子で、通信機に手をかけるエヴォル。
《今度も悪魔相手の吸血行為です》
「そうか！　最高だね！」
　エヴォルが手を叩いて喜ぶと、通信機の向こうからは、困惑するような声が聞こえた。
《……一つ、妙な事が》
「妙な事は大歓迎さ」

《ミラルカ・ハウダニットが、光の技を扱えるようになりました》

　――光の技を扱う吸血鬼。
　エヴォルはこの時、計画が失敗するのではないかという不安に襲われた。

少し考えるそぶりを見せると、頭を振って

　鎧の胸部に握りこぶしを当て、続ける。