そこには人だかりができていた。
ある一本の木を取り囲むようにして、人々は口々に何かを話し合っている。
だがその表情に悲痛は見えない。みな薄笑いを浮かべ、中央にある『それ』を嘲笑うかのようだ。

「ここではこれぐらい、些細なことだろう」
「弱者が野垂れ死んだだけだ」

メルンテーゼは戦乱に混迷を極めている、それぐらいはイリスも知っていた。
ただその戦乱の恐ろしさを、自ら飛び込んだにもかかわらず肌身に感じなかったから、意識の彼方に忘れただけで。
人だかりの向こうの光景は、想像がついた。
ついたのに、イリスはついその中央を見るため足を進めた。

「死んで当然だろう」

へらへらと笑いながら誰かが茶化すように言った。
なぜかそれは、死者ではなく自分自身に向けられた気がして。

「だって」

そうして視界に飛び込んできた死者の姿に、イリスは息を呑んだ。





いやな夢を見た。
泉のほとりで裸足を水面に躍らせながら、イリスはぼんやりと空に浮かぶ月を見ていた。
ぱしゃり、ぱしゃりと足先で音を立てれば、飛沫は月光を受け輝きながら宙を舞う。

「ミス・ゼペット」

背中越しに掛かった声は、イリスのよく知る人物の声だ。

「起こしてしまったかしら」
「いえ。私に睡眠は不要です」

振り返ることなく言葉を交わす。
失礼だとわかっていても、イリスは今アエレアへ自分の顔を見せたくはなかった。落ち込んだ、情けのない顔だから。

「モニターの数値に極端な触れ幅を感知しました。ご気分が優れませんか？」

けれども、彼女にはそんなことをしても無駄であることをイリスはその言葉で悟った。
自分の感情の変化は、どういうわけかすべてお見通しらしい。『もにたー』とやらが一役買っているのだろう。

「……えぇ。少し。大丈夫、こんなにきれいな月が見えるのだもの。しばらく眺めていれば治るわ。せっかくだからアエレア、あなたも少し眺めてみてはどう？」
「はい。そうさせていただきます」

静かにひざを崩して、自分の隣にアエレアが腰を下ろしたのが音でわかる。

「ねぇ、アエレア」

そうして二人して無言のまま月を眺めていたが、先に沈黙を破ったのはイリスだった。

「はい、ミス・ゼペット」
「貴女は夢を見たことはある？」
「レム睡眠時に出現するとされる、幻覚症状のことでしょうか？」
「……詳しいことはわからないけれど、寝ている間に見るもの……あぁ」

問いかけを続けながら、イリスは苦笑する。
自分に睡眠は不要だ、先ほどアエレアはそう答えたばかりではないか。

「ごめんなさい。貴女は眠る必要がなかったのよね」
「はい」
「もし、貴女が眠らないから見ない物、それでよければ。……少し聞いてもらっていいかしら」
「よろこんで、ミス･ゼペット」

ぱしゃり。
何かを払いのけるように、イリスは水面を蹴る。

「幻覚症状だと貴女は言ったけれど、あたしはあれがただの幻覚じゃあないのではないかとも思うのよ」
「それは、なぜですか？」
「夢に見たことが、本当に起こってしまう。そういう経験が実は一度だけあたしにはあるの。他愛もない出来事よ。家の庭で従者と、お茶をしている夢。ふと塀の上を見ると白い猫が鍵尻尾を立てながら優雅に歩いていた。その日、起きてすぐふっと窓から庭のほうを見たの。そうしたら」

ぱしゃり。

「居たのよ。塀の上に白い猫が、夢みたいに鍵尻尾を立てて、優雅に歩いてね」

“だからね”と前おいて、イリスはアエレアにやさしく言い聞かせるように続ける。

「たまには未来に起こる出来事を、夢は見せてくれるのではないかとあたしは思うの。それに気づいてから、あたしは夢を見るのが少し怖くなった」

アエレアは何も答えない。
少し長いぐらいの間をおいてから返してくるのは、イリスもよく知っている。
だから、今だけは一人で好きに喋って、聞いてもらう。

「今日見た夢は、ここみたいな森の中。ここみたいに、少し開けた広場。その一角に人だかりができていたの。みんな何かを囲んで、口々に言うのよ。『ここではこれぐらい、些細なことだろう』。『弱者が野垂れ死んだだけだ』。……誰かがそこで死んでいる。あたしは、それを一目見ようと近づいた。そこに居たのは」

イリスは両の手に確りと納めた、土に、血に汚れた元は純白であったであろうシュシュを握り締める。
あの水浴び中の一騒動の後、ロイとマオと三人で食材を採りに行った時に見つけた品。
従者が身に着けていたそれとそっくりな、装飾品。

「あたしの従者だった。血まみれで、虚ろな目を開いたまま、死んでいた。シュシュはやっぱり、着けてなかった」
「ミス･ゼペット」
「もしもの話よ。もし、今日見た夢が、いつか見た白い猫の夢と同じように、なってしまったら」

アエレアの言葉を遮りイリスは続ける。苦しい胸の内を吐露したくて、何時もなら絶対にしないほど強引に。

「だから、気分が優れないの。それを思うと寝付けなくてね」
「ミス･ゼペット。貴女は庭で眠るのですか？」
「……はい？」

そして、思いがけないアエレアの質問に思わず上ずった声を出してしまった。
顔を赤らめながら口元を押さえるイリスに、アエレアはやはり構わず言葉を続ける。

「庭で眠るのですか？」
「……自室のベッドで眠るけれど」

アエレアはイリスの答えに軽く頷いて、更にこう続けた。

「先の貴女の考えは、細かな点を検証すれば、やはり間違っているのではないかと考えます」
「なぜそうと？」
「確かに一見よく似た状況です。しかし、その白い猫を見た場所ははっきりと違う事がわかります。夢の中で見た場所は、庭です。しかし貴女が現実に見た場所は、自室の窓からではありませんか」
「その通り、だけど」
「その場にミス・ゼペットだけだったというのも、やはり夢のなかでの状況とは違いがあります」

頑ななまでに合理性を追求するアエレアの考えに、ため息をつきそうになる。

「その差異を見逃しては、正しさが損なわれてしまいます。よく似た結果ですが、確かにそこに違いはあったのです。その点を省みると、今回貴女が見た夢もやはりどこかで差異が出るものと考えます」

しかし続いて紡がれたこの言葉に、イリスははっと気づいた。
アエレアの言う差異、それは今日見た夢に当てはめれば、もしかすると。

「……変な話をしてしまって、ごめんね。アエレアの考えはわかったわ」
「お役に立てましたか？」
「うん。……少しね」

イリスも自分の夢の内容が本当になってほしいなどとは露ほども思わない。
それが嫌だから胸を痛め、こうしてアエレアが変化を指摘するまで心を乱したのだから。
故に彼女の言う差異に、望みを掛けたかった。
何度も何度も、従者はどこかで無事に居るのだと言い聞かせ、続けるうちに心はようやく落ち着いて。

「気分も落ち着いたわ。もう一度寝ようと思う」
「はい。おやすみなさい、ミス･ゼペット」

イリスは濡れた素足をハンカチで拭い、サンダルを履いてテントへと戻り始める。

「……訂正するわ、アエレア」

そんな自分を見送るアエレアに向き直り、イリスは彼女へと近寄って。

「すごく役に立った。……ありがとう」
「はい。どういたしまして」

確りと抱きついて、できる限りの感謝の念を彼女に伝えて、今度こそ踵を返して寝床へと戻るのだった。

「貴女も、月を眺め終えたらテントに戻ってきなさいね。傍に居てくれるほうが、嬉しいわ」
「はい」

木の枝にスズメがとまってこちらを見ている。

突然、脳内に言葉が響いてきた。

どうやら、声の主は木の上のスズメらしい。

語彙が不足気味で、すこし分かりにくいが、どうやら人間にとても興味があるようだ・・・。

少し首を傾げてイリスの顔を見つめるとそう問いかける。

→情報交換

砂地の隠し階段の話については狼耳をぴんと立てて身を乗り出し。

内緒話をするように声を潜めてそう言うと、くすくすと悪戯っぽく笑った。

そう言ってヒナカは手にしていた棒状のデバイスに何事かを呟き、槍へと変形させてみせる。

＞あなたはアエレアの申し出を快く承諾する。
　アエレアはあなたの頬を恐る恐る触れ始める。その掌は、
　指先は体温を感じさせず、冷たいものだ。触れ合えば目の前の機械人形が
　明らかに異質なものだという事を理解する事は容易かった。
　血の通いを意味する、温もりが存在しないからである。
　そしてそれが、あなたとアエレアの明確であり絶対な違いなのだ。

タオルが外れないよう固定して、少し引っ張って確認。
さらにマントを顕現させ、背後からは見えないようにする。
これで完璧、大暴れできる。