
自分がおかしくなっていく前後の記憶はあまりない。何度も何度も死を重ねる度に、記憶が崩れていく量は増えていった気がする。
だから、今の自分は生きてる頃に近いと、そう思っている。
生きてた頃の記憶は、どんなに死んでも失われることは無かった。今の記憶がおぼろげになるほど、過去の記憶がくっきりと脳裏に浮かび上がる。
仲間だと思ってた相手から裏切られ半死半生になり、命を懸けて愛そうと決めた相手を守れずに失って、それからは録に味方なんていなかった。
自分を慕うように仕立てあげた子と、変わり者の協力者が数人。
親しかったかどうかはもうわからない。けれど、裏切られるような事だけはなかった。
それをしたところでなんのリターンも無いように、駆け引きをしたのも事実だ。
人となにかをするのに損得勘定を抜いた事なんて、あの頃の自分には出来る筈もなかった。
「……」
ヒノデコーポレーションでの一件を終え、また変わらぬ赤い空の下を歩きながらフェデルタは小さく息を吐いた。不意に思い出した過去の記憶が、今のままならない自分にピッタリでここまできてもまた、自業自得なのだと嫌でも理解した。
今の自分を端的に理解してもらえるようにまとめる力もなければ、黙って信用を得られるような行動もしていない。
ここでも、動けば動くほど空回りしていくのを感じながら止まることを許されていない、そんな状態だ。
「……おじさん」
「……」
「フェデルタおじさん?」
「っ、あ? なんだ?」
唐突に名前を呼ばれたフェデルタは、ハッとして足を止め、声の方を振り返った。
そこには、前を歩いていたと思っていたグノウと迦楼羅の姿がある。
「休憩だよ。聞こえてなかった?」
「……、ああ、悪い、聞こえてなかった」
フェデルタは、考え込み過ぎて聞こえてなかったらしい事にようやく気が付いた。軽く謝罪の言葉を告げれば、そのまま近くの瓦礫の塊に背中を預けた。
迦楼羅はほっとした様子で視線を向けてくるが、その側にいるグノウの表情は険しい。
煙草を吸う事が多いから、いつもこの時間は距離を取っていた。
「……」
「……」
沈黙が耳に痛い。距離をとって向かい合わせになってはいるが、フェデルタとグノウは目も合わせず、ただ迦楼羅だけが不安げに視線を配る。
その間を風が吹き抜けて、砂埃が舞った。
「……俺は、お前達に迷惑をかけた」
フェデルタが不意に口を開く。視線を向けないまま、独り言のように。
グノウはそれに一瞥もくれず、迦楼羅はほんのすこし驚いた顔でじっと視線を向けた。
「あの最初の時、誰でもいいから助けてほしかった。流れとはいえ、吉野俊彦の事を知ってるのも、都合がよかった……カルラもガキだったし扱いやすいと思った……実際はそんなことなかったけど」
何となく反応がある気配がする。それは思い込みかもしれないが、とにかくそれでもフェデルタは視線をあげるでもなく、ずっとひび割れたアスファルトを見つめたまま独り言のようなつぶやきを続けた。
「……自分勝手なのも、その通りだ。俺は、俺がどうしようもないクズでクソ野郎だって自覚はある。……お前達にもここにいる理由があって、都合があるんだろう。カルラにも、従者にも。それを、俺の勝手でとりたくもない選択肢をとらせた事は……その、」
言い淀む。
今更、この言葉に意味があるのか、そもそも自分の言葉に意味があるのか。
その瞬間、脳裏で過去の記憶が呼び起こされた――
『あのね、悪いと思ったらちゃんと謝らないとだめよ?そうしないと、伝わらないでしょ?』
『はぁい。ねえ、謝っても伝わらなかったら、どうしたらいいの?』
『ええっ? むずかしいなあ……ねえ、あなた、どうしたらいいかしら?』
――妻と子の何気無いやりとり。
子に言い聞かせていた言葉がそのまま今の自分に向けられたようだった。
フェデルタは背中を瓦礫の塊から離して二本の足で立って、真っ直ぐ迦楼羅とグノウを見た。今にも泣きそうな程の情けない顔で、震える手のひらをぐっと握りしめて、そしてようやくゆっくりと頭を下げる。
「すまなかった……」
僅かに声が震えていたのが情けなくて、言いながらフェデルタは目を閉じた。
漸く出せたこの言葉だって、自分が言わないと苦しいから吐き出していのだろうか。この行為すら自分勝手で、気持ちを押し付けているのだろうか。
どうしたら、自分勝手じゃなく"誰かの為"に動けるのだろう。
吉野俊彦の記憶にはあるのに、それが出来ない。
「……邪魔したな」
頭をあげて、今更平静を取り繕って、コートのポケットから煙草を取り出しながらそう告げて、一瞥だけをして背を向ける。
何かを言われるよりはやく、二人から離れたかった。
「おじさん」
しかし、去ろうとした背中に真っ直ぐな声が投げ掛けられる。今のフェデルタにそれを振り払う気概は残されていなかった。
足を止め、半身まで振り替える。眩しいものを見るかのようにその目は細められた。
視線の先にいる少年は、声と同じように真っ直ぐにフェデルタを見ている。
その傍らにいる従者の表情は眼鏡の反射でよく見えなかった。
「あのね、僕は僕のことしかわからない。スズヒコさんやフェデルタさん……グノウのことだって全部わからない」
フェデルタが足を止めたのを見れば迦楼羅はゆっくりと話し出す。フェデルタはそれを真っ直ぐに見返す事は出来なかったが、せめて、視線はそのまま迦楼羅を見つめていた。
「だから教えて、おじさんのこと何でもいいから。少しずつでもなんでもいい」
「……」
「僕もね、言われるままで知ろうとしてなかったから……おじさん達のこと知りたいんだ」
この少年は不協和音を鳴らす大人の背中を見て、何を感じていたのだろうか。
フェデルタは、はじめから彼らの事を知りたいとか、わかりあおうとか、そんなことは考えてなかった。
何より、そんな事は出来ない。精々、仮初の協定が結ばれる程度だと。
だからこそ、こうして素直に頭を下げることすら時間がかかった。少しでも、優位にたつことばかりを考えていたから。
迦楼羅は知りたいと言った。理解することで変わる何かがあるのだろうか。フェデルタにはわからなかった。
「……俺と、あの人……スズヒコの目的はアンジニティから出ること……イバラシティに行くんじゃない、別の世界に行きたいんだ」
それでも、わからないけれども、求めた事に応える事が今できる一つの償いなのかもしれない。そう思えば、元の場所に戻って瓦礫に背中を預ける姿勢を再び取りながらフェデルタは口を開いた。
「……多分、従者は少しは聞いてるんだろ。俺達は自分達が生まれ落ちた世界じゃ遥か昔に死んだ事になってる」
グノウが迦楼羅に話したかどうかはわからない。けれど、彼がスズヒコに"触れた"からには、それくらいは知っている筈だ。
「……ただ、俺はその後も何度も何度も死んで、生き返ってを繰り返している」
「何回も、死んだり生き返ったり、してるの?」
「……ああ」
不思議そうな顔をする迦楼羅にフェデルタは頷いて見せた。
「言葉の通り、としか言いようがない。だからこそ俺は、対価に差し出せるものが無い。俺は、命にすら価値が無い」
グノウの方に視線を向けて彼に言葉を投げた。迦楼羅は不思議そうに互いを見ていたが、グノウから何かが返ってくる事は無かったし、フェデルタも何か返ってくる事は期待していなかった。自分とあの男とは、相容れないものが多いというのは何となく肌でわかっているから。
「……スズヒコは、今、多分、苦しんでる。そもそも、俺達は身体や能力だけが化け物じみただけで、精神は人間のままだ。……そのバランスに精神の方が耐えられなくなってきた。……ってのは、まあ、俺を見てたらわかるだろ。スズヒコも、表向きお前達には恐らく見せないだろうけど、同じようなモンだ」
そこまで話して、フェデルタはふと眉を寄せるとぐ、と胸を押さえた。うつむき、急に激しくなる呼吸を抑えるようにゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「……おじさん?」
「……、言っただろ、限界なんだ。いや、コレでお前達に迷惑かけねえよ……そろそろ、進もうぜ。話はまた今度だ」
不安げに声をかける迦楼羅にフェデルタは首を軽く横に振り、今度こそ背を向けて歩き始める。胸の奥で燃え続ける炎が、これ以上激しくならない事を願いながら。