
イバラシティはマシカ区、その隅に立つスタジアム。そこで行われるのは、学生たちの春の祭、荊闘乱祭だ。
長い時間をかけて沢山の競技が行われ、そろそろ宴もたけなわ。陽も暮れ、あとは結果発表を待つだけとなった頃。
広い会場の中ではフォークダンスの曲がかかり、参加者や来場者は思い思いの相手と手を取り合って踊っていた。
先輩に呼びつけられ、一般の来場者として会場を訪れていた金糸エリは、指先で膝をとんとんと叩きつつ、観客席から人々の様子を見つめていた。
彼女が手持ち無沙汰にしている理由はひとつ。彼女がここに居るそもそもの理由である先輩が、ふらりと何処かへ消えてしまったからである。
別に何も言わずに帰っても良いといえば良いのだろうが、それを本当に実行できるほどエリという人間は不義理にはなりきれなくて。
結果、こうして待ちぼうけを食ったような状態になってしまい。朝に買った屋台の飴をつまんでいるうち、大分その数を減らしてしまった。
「……はぁ」
ため息を吐く。あの先輩は他人の事をどう扱いたいのか、いまいち判断がつかない、と。
親か姉妹かのようにくっ付いて来たと思えば、曖昧な顔をして誤魔化したり、今日みたいにどこぞへ消えたり。
別にそういう部分を美点だとは思わない。ただ、先輩との友達付き合いを断絶するほどのネックではない。
……そんな事を思ってしまう時点で、彼女に絆されてしまっているのかもしれないな、と。今しがた暗い息を吐いた口許を抑えた。
さて、そろそろヨーグルトの飴も切れそうだ。エリが最後の一つを口に入れようとした、その時。
いつの頃からか夕焼けばかりであった彼女の視界に、ふと、人ひとり分の影が差した。
「……ごめん。待たせたね」
その声にエリは顔を上げる。一体どういった罵りの言葉をぶつけてやろうか、と。
しかし。目の前に立っている先輩——神実はふりの表情が、適当に揶揄ってやるにはいたく真剣で。
その服装が、先までのラフなパーカーではなく。どこかドレスのような、優雅なそれであれば。
「ええ、随分と。散々待たせてくれて。それで、私に何か言いたいことでも?」
そんな気はまるで失せてしまって。エリはただ、じっとはふりの金の瞳を見つめる。
後輩の様子に安堵したのだろうか、はふりは穏やかに傅いて、エリの細い手を取った。
「ああ、勿論あるよ。——私と一曲踊りませんか、マドモワゼル」
エリは思う。返す返すも、この先輩は分からない人間だ、と。
いつか何処かへ融けて消えてしまいそうな、冬の雪にも似た朧げな雰囲気を持ちながら。
誰にでも等しくけらけらと笑いかける、夏の太陽のような明るさを見せることもあって。
それらの丁度境目で暮れていく陽を追いかけるような、秋の短い夜のようにも思えて。
たった今のように、誰かの隣で暖かく存在したいと願うような、春の花でさえある。
「喜んで、マイディア。陽の落ちる前に、どこまでもこの手を引いて下さいな」
エリは朗らかに笑って、その冷たい手を握り返した。
何処の誰とも知らない旅人。明日には目の届かない深い闇へと沈んでいてもおかしくはない存在。
そんな彼女が、自分の熱を求めてくれているという事実が、ただ嬉しくて。
そうであれば。『王子様』が少し遅れて来たことくらいは許すのが、『お相手』の仕事だ。
「ありがとう、エリちゃん。……さあ、スポットライトの下で踊ろうか。
きっと世界が終わるまで、今日のこの日は私たちの舞台さ。だろう?」
そう言いながらはふりが手を持ち上げるのに合わせ、エリはふわりと立ち上がった。
それから、その言葉に同意を返すようにして、スカートの裾を摘み、お辞儀をする。
きっとその動作が終わるよりも、手を引くはふりが歩き出すことの方が早かったのかもしれない。
二人の足取りは、そう、どことなく走っているようにさえ見えた。
——はふりとエリはくるくるとただ踊る。きっと誰も、彼女達のことを見ていなかったとしても。
いいや、その逆だ。はふりとエリにとっては、彼女達以外の人間など、視界から消えてしまっていて。
夕陽を編んだ影踏みのようなステップと、互いの体温。それに、存在の証明、他人の許容。
たったそれだけの、シンプルに組み替えられた世界。二人のステージは、きっとそこだったのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「——下らない」
思考がハザマへと接続され、記憶が神実はふりの脳内へと流れ込んでくる。
闘乱祭での華やかな時間。たくさんの人の熱気。後輩であるエリと踊ったこと。
何よりも——向こうの神実はふりが、それを好いと、楽しいと思っていたこと。
邪念を払うように、握っていた無銘の刀を一度振るう。
白刃が閃くと、心の奥底がすうっと冷えていくのが分かった。
そうだ、この凍える体温だけが、『私』なのだと。
「……」
そうだ。私は他人の熱を啜り、奪うことでしか生きていけない存在なのだ。
言ってしまえば——アンジニティの樹木の化生が言っていたのとまるで同じ、『生きるために必要なこと』。
それについて、善だ悪だと論じる余地は無く。そもそも、その事について考えるのは、私の埒外である。
黙ってただ目的を果たすだけ。……そうであれば、こんなにも心がざわつく事はなかったはずなのに。
「違う」
足下に落ちていた小石を思い切り蹴飛ばす。それは崩れた建物に当たって、鈍い音を立てて落ちた。
違うのだ。『それ』は、救いではない。神実はふりという存在の求める幸福の形ではない。
そんなものを求め続けたって、私はどうにもならないし、凍えが収まることも、普通の人間になることもない。
永久に大人になれない私には、今以上の未来なんて無い。
「……っ……。……いい加減に、しろよ。本当に……うざいな」
何時頃からだったろうか、私は頻繁に頭痛に襲われるようになった。
それはきっと、このハザマの昏さが原因なのだろうと、分かってはいながらも。
どうせ目を逸らすことはできないのだからと、気にしないつもりではいたが。
……それにしたって、こうも続くと、鬱陶しい。
けれど、そんな事を言ってもいられない。ゲームはこれからターニングポイントを迎える。
これから初めてかぎ君以外の戦力を加え、新たなる守護者との戦いへ赴くのだから。
がん、と。煮え切らない感覚を蹴りとして地面へぶつけてから、三人のもとへとゆらり歩いていく。