
ベースキャンプにて――
 |
蒼歌 「……卒業しても。ここではこの姿のままなのね」 |
イバラシティでの月日の移り変わりを感じ取りながら、
彼女は一人ぽつりと、そう呟いた。
***
私は"Cross+Rose"を通して、ハザマバトルの進行を見守っていた。
白南とエディアンの会話。ロストの情報……梅楽園?
この『ハザマ』という場所は、やはり現実のイバラシティとの関りが深いようだ。
気になっていることは、色々とあった。
そもそも、この争いが望んで引き起こされたものでないならば
本来どうにかするべきなのは敵勢力ではなくあの開催者なのだと私は思う。
あの女性の様子は普通ではなかった。
だからもし、この戦いそのものを止められたなら――?
……ても――
 |
蒼歌 「(私が此処で出来る事は……きっと、おそらく何も――)」 |
私には、異能が無いから。
それなのに――
どうして私がこの空間に呼ばれてしまったのだろう?
私、ここで一体何をすればいいのだろうか――?
ここに来て最初に私が選んだ行動は――
弟を含めて、多くの闘志に満ちた異能使い達が次々とこのベースキャンプから発っていくのを、
ただ、隠れて遠くから見送るという事であった。
そしてそれからこの数時間……
この『ハザマ』の事を自分なりに調べながら……
同時に、現実での出来事の記憶も取り込みながら。
私はずっと、考えていた――
 |
蒼歌 「…………」 |
正直――
白南という男からの連絡を最初に受けた時、私は少し思っていた。
もしかして――この私がイバラシティから居なくなることが出来るのであれば、
それは別に悪くない事なのかもしれないのではないか。と――
私は……やはり一族にとっては重荷になることしか出来ない存在だった。
子は宝だと、命に代わる物はないと幾ら綺麗事を並べたとしても、
一族を取り巻く特殊な環境の中において、
無力である私を今日まで限りなく平穏に生き永らえさせる為に、
両親や従者の皆が背負ってきた負担が計り知れないものであることを私は嫌というほど知っていた。
そしてこの家が特殊である故に、これからもずっとそうであり続けるとわかっていた……。
そんな自分自身に――負い目を感じずに生きられる方法は、
まだ。見つかっていなくって。。。
それでも――
 |
蒼歌 「(やっぱり、駄目――)」 |
このイバラシティが侵略されてしまうなんてことはあってはいけない事だと、
今ではそう強く思うようになっていた。
『ハザマ』という名から、
この荒廃した景色が両世界の中間を表しているだろうと推測出来た。
つまりは『アンジニティ』という場所は恐らくきっと此処よりも――
竜次楼は、大丈夫かもしれない。
でも、自分は勿論のこと。
きっと多くのイバラシティの人たちは少なくともそのまま生きては居られない――
そして、そんな場所に居た人たちの一部が入れ替わりでイバラシティに来るなんてことになれば。
きっと、それは――
私たちが居なくなった後の世界が。とても恐ろしいことになってしまう。
それは、やはりあってはならないことだ。
私は……生きていて今まで起こった沢山の出来事と出会った人々のことを考えた。
人に言いたくても言えない悲しいことは色々とあったけれど。。。
でも――思い返せばそれに負けないくらい良いこともちゃんと沢山あったと思うようになった。
家から"隔離"する為であることは当然知っていたけれど。
それでもブランブル女学院で過ごした12年というのは本当に楽しくて充実していた日々だった。
最後の最後に色んな人に迷惑を掛けてしまった事を、今もとても後悔もしているけれど。。。
でも、出来ることならそれも何時か、何処かで、償うことが出来たら――
……その為にも、まずは私がちゃんとした大人にならなければ――
その為に、私は何をすればいいだろう?
私の何を、変えれば――?
あの日以来、それをずっと、ずっと、私は考えていて。。。
そして、私は……。
沢山の人々が、私に不自由な思いや不幸な思いをさせないために尽くしてくれていた。
思えば……今まで異能を持たない事を誰かに辱められた事もなかった。
きっと、家の人以外の皆もそれとなく気を遣ってくれていたのだろう。
やはり私は――恵まれているのだと思う。
だから、やっぱり他人に辛い顔は見せられない。。。
でも――
それでも、どうしても辛いときがあって――
そんな時に私は……母上が一人で居る時にそっと抱き着くのだった。
母上は、いつもそんな私を優しく抱きしめ返して。頭を撫でてくれた。
母上はイバラシティの外からやって来た異邦人であり、勿論異能も持っていない。
でも――異能のある世界に興味を惹かれてやってきた母上と。
そして何よりも父上の愛人である母上と。
ここでは当然のように存在する筈の異能を何も持たずに生まれた私とでは、立場が違った。
それでも、母上は私の気持ちに最大限に共感を示してくれて、
いつだって私の味方で居てくれた――それだけは間違いないことだと思っている。
「お母さん……ねえ、変かな?
私もう今年で19歳なのに、こんな事をしてたら。。。」

「何をいうのですか蒼歌。大学生になったって何歳になったって、
これからもずっと私は貴方の母ですよ。
どんな理由であっても。本当に辛い事と苦しい事は我慢してはなりません」
私が一族の異能を引き継げなかった事は、母上が望んだことではない。
だから、母上にまで謝らせるようなことはさせたくはなかった。
そして母上はきっとそれもわかっていた。
だから母上は――いつも優しく励ましてくれるだけだった。
でも"貴方の頑張りは決して無駄になる事はありませんよ"と最後に必ずそう言ってくれていた。
……気休めなのかもしれないけれど、それで十分だった。
この悩みの答えは、自分で見つけ出さなければきっと意味がないだろうから――
きっと、母上が居たお蔭で、私は今日まで頑張ってこれたのだと思っている。
そして……卒業が間近になった頃。
私は勇気を出して父上に幾つかの頼み事をした。
正しい事かどうかは、何もわからなかったけれど。
今なら出来る。今だからしておきたいと、そう思った事を――
そのうちの一つ。
私はイバラシティの色んな場所に、自分の足で行くことに決めた。
……白崎家の一員である以上、
常に何者かに狙われている可能性がある事を前提に置かなければならない。
だから、御守りは必ず付き添う事になる。
それは承知の上であった。
……きっと、従者の皆は大変なのだと思う。
私、やっぱりわがままなのかもしれない。
わがままで、本当にごめんなさい――
でも……もっとよく知りたいと思った。このイバラシティの事を。
異能がある世界というものを。
それは只の知識や勉学や教養としてではなく、もっと肌で、身近に、
良いことだけじゃなくて、全部をちゃんと感じてみたくて――
それが正しい事か、必要なことかは分からないけれど。
それでも私は――このイバラシティがやっぱり大切なのだと感じていた。
……苦しくなったり、悔しくなったり、涙が溢れたり、後悔したり。。。
それらは全て、自分が生きていて、
自分をずっと取り囲んでいるこの世界が、大事で。
そしてきっと、好きなのだから――
こんな私でも今日までちゃんと生きてきて、
卒業だってちゃんとして大学生にだってなれた。
それまで支えてくれていた皆に――
家族、従者の皆。そして学院で出会ったかけがえのない友人たち、先生。
色んな仕事をしてキラキラに輝いている沢山の人たち――
それらと、もっとちゃんとまっすぐに向き合える為に。
私は私と、この世界をもっとよく知る為に。
その為に、これからこのイバラシティで生きていたいと、そう思った。
……そして、そんなイバラシティを。侵略から守る為に――
その為に此処でこの私が、するべき事とは――?
……そうして、私は改めて考えを巡らせていた。
私には。闘う術が無い。
あってもそれは異能を使う人に比べればとても限定されたものだと思う。
でも――そうだ。
私は戦えなくても、
私にはたった一人の、かけがえのない――
***
蒼歌にとって見慣れた黒い車が、次元タクシーに乗ってベースキャンプに戻ってきた。
そして車からは竜次楼が下りてきて彼女のほうへと歩いていく。
もう既に隠れることをやめた姉の存在を察知したようであった。
 |
蒼歌 「(そうね……それでこそだわ)」 |
そして――お互いの顔がよく見える距離まで来た所で、彼が口を開いた。
 |
竜次楼 「……姉さん……」 |
 |
蒼歌 「りゅうちゃん、おかえりなさい。それと――お疲れ様」 |
 |
竜次楼 「……ハザマに居たのなら。どうして教えてくれなかったんだ。 "Cross+Rose"があれば何時だって出来た筈だ」 |
 |
竜次楼 「どうして――存在を隠していた?」 |
 |
蒼歌 「…………」 |
 |
竜次楼 「姉さん、まさかとは思うが――」 |
 |
蒼歌 「……竜次楼。 その"眼"で、私をよく見て……?」 |
 |
竜次楼 「――」 |
その言葉を聞いて、竜次楼の"眼"が発動した。
2色のその眼が、姉――蒼歌の身体を隈なく見透かし、そして――
 |
竜次楼 「(…………ああ、間違いない……)」 |
 |
竜次楼 「(この目の前の女性は、間違いなく姉さんだ。 異能を何も持たない。本当に何の変哲もないただの人間の――)」 |
 |
竜次楼 「――――」 |
竜次楼は人の気持ちを慮る事を苦手としていたが、決して鈍感な人間ではない。
ここは、ハザマなのだ。イバラシティとアンジニティの2つの勢力が存在を掛けて、
お互いの持つ能力をぶつけ合って戦っている真っ最中の場所だ。
……そして、ここで異能を持たないということはつまり……
竜次楼は彼女が紛れもなく自分の姉であることと同時に、
彼女が存在を隠そうとした理由も察するに至った。
 |
竜次楼 「……姉さん、ごめん」 |
 |
蒼歌 「いいのよ、竜次楼」 |
姉はそう言って弟をそっと抱きしめた。
 |
蒼歌 「貴方は、それでいいのよ――私はね? ちょっと迷っちゃってたの。それでね――?」 |
 |
竜次楼 「姉さん……」 |
弟には、これ以上掛けてあげられる言葉が見つからなかった。
だが――
 |
竜次楼 「……大丈夫だ、姉さん」 |
抱きしめられたまま、静かに告げた。
 |
竜次楼 「姉さんには……俺がついている」 |
 |
蒼歌 「うん……」 |
姉は、その言葉を聞いて深く頷いた。
蒼歌にとって、弟の存在は何よりも特別なものだった。
自分が与えられなかったものを弟は全部持っていた。
己とは何もかもが違う。一族として背負う使命。期待。
生き方、考え方、取り巻く環境……そして、産みの母すらも――
それでも――
自身が姉であろうとするのと同じくらい、
彼もまた己の前では只の一人の弟で居てくれる存在だと感じていた。
彼は……一族の未来を担う為に、その手を汚すことだって厭わない。
でも彼女の前では――とても不器用で、でもちゃんと優しい心も持った、たった一人の弟だった。
蒼歌は――そんな弟の事を強く愛していた。
 |
竜次楼 「ねえ、竜次楼。この後また――」 |
 |
竜次楼 「ああ――次からは、姉さんも一緒に来てくれ」 |
 |
蒼歌 「……ええ……!」 |
力強く答える。
 |
蒼歌 「私も、ちゃんとイバラシティを守る為に何か出来ることを探したいわ」 |
 |
竜次楼 「ああ……頼む。俺は、その分戦う」 |
…………
こうして二人は、手を繋いで歩き始めた。
見慣れた車のあるほうへ。
仲間たちが、居るほうへと向かって――