
今から18年前の某日――白崎 蒼歌はこのイバラシティに生を受けた。
白崎家の現当主・白崎 紅鱗が外世界で出会い、
恋をし、苦楽を共にしやがて結ばれた最愛の女性・藍涙との、愛すべき娘の誕生である。
四神の蒼龍に因んで授けられた『蒼』の文字は、彼女が白崎家の一員であることを印す証として。
またそれと同時に、母の家系に代々伝わってきた名付けの風習に従うものでもあった。
"お嬢様!"
"お嬢様!!"
――そしてそれから2年後。
……実際にそのようなやり取りがあったわけではない。
勿論、誰かに言われたりしたわけでもない。
しかし彼女は自身をとりまく環境に、そして弟を取り巻く人々に対して
何も感じ取らずに生きていられるほど鈍感な人間では居られなかった。
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…………たぶん。
私は悉く自由で、恵まれている人間なのだと思う。
欲しい物といったものは大体何でも買い与えられた。好きに使っていいお金もある。
お世話をしてくれるメイドさんや黒服さんが居て、お願いも幾らでも聞いてくれた。
大体何をしても皆褒めてくれる。
護衛は付くけど、行きたい場所にも好きなだけ行ける。
でもそれは――私がこの家の中において一切の事を期待されていないという事の裏写しでもあるのだと。
……そう、理解するのは難しい事ではなかった。
愛されていない? ううん、そうではないの。
お母様は家の中でいつも書類やお客様達と向かい合ってて忙しそうだったけど。
私が甘えたい時、何時だってそうさせてくれた。
家に殆ど居ないお父様も、何でもさせてくれるだけではなく。
私が間違っていると思った時にはちゃんと叱ってくれる人だった。
勿論、普段はそれの何十倍だって褒めてくれた。
……多分それは、普通の家庭であれば。何処にも非の打ち所がない、
完璧に近い環境なのだろう。
そう、普通なら――――
御爺様やお父様、そして弟のみならず――
この白崎家に関わる人たちは、
お母さまと私を除いて、みな優れた異能を持つ人たちばかりであった。
「まあ、絵を描いたのですか? お嬢様」

「え、すっごいじゃないですか!! 本当ですよ??」
「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいですわ」
……褒められるのは嬉しい事であり、そこに偽りはなかった。
ただ――これは懇切丁寧に教えてくれた絵画の先生のお陰なのだと。
感謝しなければと、同時にそう思った。
気を遣われている――
何かを話す度に、何かをする度に、私はそれを痛い程に感じていた。
少しでも明るく振る舞う人になろうと。そう決めた。
家族や、家の皆を悲しませることはしたくなかった。
特に、弟である竜次楼の事は。。。
そんなある日。11歳を迎えようとしていた位の頃だった。
白崎――いや、もっと旧姓までさかのぼる一族の情報にありついた。
……ありついて、しまったのだった。
分厚い書物の山、複雑な旧漢字や難解な記号まみれの記述の内容を理解すると予想されていなかった。
弟が修行に明け暮れていたこともあって、この家が尋常ではない事は十分に理解していたつもりだった。
でもそこで……一族がかつては異能を受け継がなかった。
異能の発現が弱い子孫を間引きしていた事実があることを私は新たに知ってしまった。
私は……何も見なかったフリをしようとした。
けれどそれから数時間後に――私は突然血反吐を吐いて、そこで気を失った。
事態を知ったお父様が私の怯え切った表情を見て……
いつも無表情な顔を今まで見たことが無い程辛そうに歪めた時、私は死ぬほど後悔した。
隠すつもりはなかったと。もっと分別が付く頃になったから時間を掛けて教えるつもりであったと。
私が気が付くのが、あまりに早過ぎただけだ――
謝らないで、お父様――
ごめんなさい。ごめんなさい………………
……結果的には、私は一族の事を色々と知ることが出来て。少しだけ安心を得た。
わからないことがわかるようになるというのは、安心することだった。
それもあって、私はその後も努めて明るく振る舞い続けた。
私をこんなに大事にしてくれているお父様にも、少しでも安心して貰いたかったから。。。
……与えられたものを少しでも返せる人になりたくて、自ら色んな事を学ぼうとした。
習い事は数知れず。器楽演奏、歌唱、ダンス、芸術――
乗馬にアーチェリーに護身術にメカニック――
ただ華々しいだけと思われてはいけないと思って淑女に似つかわしくない事にだって手を出した。
……実際、十分な環境のお陰で。
多くの事は師事にあたる先生が驚く位には上達することが出来た。
でも、それは同時に――その先で異能という壁にぶつかる事を意味するものであった。
"君は十分凄い。よくやったよ"
どうして――
私は、生まれた時からそうなるしかないの?
どうしてなの――
……恵まれているという自覚があるから、辛い顔は出来なかった。
きっと、大半の人に羨ましがられるような暮らしだ。
本当の不幸を知らないからそんな事を思えるのだ。と――
誰かにそう言われるのが、怖かった。
どうしてなの……?
家族を憎めばいい? ……とんでもなさすぎる。
だって家族も、従者の皆も。皆みんないい人ばかりだもの――私は、皆を悲しませたくない。
頑張ることを止めればいいのだろうか……?
でも。そうしたら私はきっと本当の意味で、この家の只の――
そうなってしまうのは――――こわい。
きっと、わかって貰えない……
どうしたらいいのか、わからない――
そもそもこんなことで苦しむのが間違っているの?
私は……わがままなの?
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――荒れ果てたイバラシティの景観が広がるハザマ空間。
そのベースキャンプの片隅に今、一人のブランブル女学院の制服の少女の姿があった。
彼女は、ハザマ空間の海の先を一人眺めている――
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蒼歌 「……………………」 |
そろそろだ――なんとなく、判る。
"竜次楼…………"