
「っっっくしょぇおぁっあーーいッ!! あ゛ーーー…」
AAA医務室。
ストーブの前にパンツ一丁の男が座っている。
先ほどの盛大なくしゃみはこの男によるものだ。
4月も半ば過ぎだが、まだまだ肌寒い日々が続く。
伊雲 安納弥(いぐも あなや)
AAA所属 ヒーロー名:イグアナイト
12月下旬、XYZ幹部メガリスサイズと思われる怪人と遭遇、交戦。
その際に海へと落下。
捜索は行われたが何も見つかることはなく、打ち切られた。
MIA -Missing In Action- 戦闘中行方不明扱いと処理される。
AAAヒーロー名鑑からイグアナイトの項目が外された。
冬が過ぎ、春を迎える。
縁者や同僚たちには状況的に半ば死んだものと諦められ
そうして慌ただしい日々の中で忘れかけられていた。
しかし、彼は生きていた。
漁船の網にかかり水揚げされたのが今朝。
当初は水死体かと思われたがそれにしては腐敗の様子もなく
港へと戻る間に目を覚まして船員たちを困惑させた。
どうやら、異能により仮死状態で眠り続けていたらしい。
危機的状況に対し、冬眠に近い状態にすることで生命を維持。
後は救援が来るか、魚のエサになるかが先の賭けだ。
港に着くと風呂に入れられ、服を与えられた。
元々着ていた衣服は戦闘のダメージ等で
ダメージジーンズを通り越してただの襤褸同然となっていた。
さっぱりすると、空っぽの腹が盛大な音を鳴らす。
哀れに思った船長たちのおごりで飯をたらふく食った。
金は……無い。
変身解除させられ、海に落ちた際に財布類は紛失している。
そこに入っていたカード類はもちろん使えない。
スマホも無い。バイクや部屋の鍵も失った。
社会的には、死んでいる。
人間としては身一つで他に何も無いに等しい状態だ。
「やべぇ。やべーな…全っ部、海の底かよ。マジかよ。
やっちまったな……クソっ!
許せねェ…マジ許さねーからなァ、メガリスサイズゥ…!」
否、まだその闘志は胸の内に燃え残っていた。
AAAシステムも、エラー混じりで不調だが壊れてはいない。
食って、寝て、また食って。体力はそれなりに回復した。
サインだとか手形の色紙だとか、金にならない物を作って押しつけ
親切なおっちゃん達に何度も何度も礼を言う。
そうして、ミナト魚市場を後にした。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
子供の悲鳴が響き渡る。
突然、不審な男に腕を掴まれ、少年はそのまま引きずられる。
少年は暴れ、抵抗していたがそれは効力を成さず、パニックに陥る。
暫くして手を離した男により苛立たしげに突き飛ばされ、尻餅をつく。
男の左腕が唐突にぐにゃりと崩れ、伸びる。
「うるさいなァ…これだから子供は嫌なんだ。ちょっと黙ってよ?」
それは太い青みがかった褐色の大蛇に変わり、男の顔も鱗で覆われる。
蛇腕で締めつけられると少年は意識を失い、ぐったりとしてしまう。
蛇腕から解放された少年が力なく地面に倒れる。
鱗に覆われてはいるが人型のままの右腕で少年を抱え上げる。
あちこちに焦げ跡のある蛇腕の怪人が、子供を小脇に抱えている。
焦げ跡は、異能による抵抗の痕だろうか。
しゅうしゅうと音を立て、鱗が落ち、生え変わろうとしている。
「ま、ま、待ちなさい! その子をどうするつもりですか!」
そうして少年が怪人に連れ去られようとした現場に
武岩 冴珀(たけいわ こはく)は居合わせてしまった。
運は良かった。こうして誘拐を未然に足止め出来ている。
しかし運の悪いことに、周囲に他の人は居ない。
建物の陰となり、人通りの少ない道だ。
車が一台、近くを通ったがそのまま速度を上げて走り去ってしまった。
見て見ぬふりをしたのだろう。厄介ごとにわざわざ巻き込まれたくないものだ。
蛇頭が大きく口を開き、冴珀を威嚇する。
冴珀は蛇腕の怪人から視線を外さないようにじりじりと足を運ぶ。
冴珀は蛇の腕が届かない距離をどうにか測ってキープしている。
それ以上近寄れば、自身も巻き込まれてしまう。
少年が怪人と密着しているので石を投げたりするわけにもいかない。
そもそも女子高生の細腕でそんなものを投げたところで
怪人に対してはそれほどの効果は無いだろう。
この場で取るべき行動は、AAAへの連絡だ。
冴珀はAAAの協力者ではあるが、それは治癒の異能によるものであり
戦闘能力は無い。交戦も許可されていない。
しかし、連絡のためにスマホに触れようとすれば蛇腕がのたうち、迫ってくる。
その蛇体で弾かれて砕けた小石が散弾のように鋭く跳ぶ。
身を守るために構えた冴珀の腕を打ち、切り傷を創る。
血の滲む傷口から蜂蜜色の粘性流体が生じ、塞ぐ。
自身の傷ならば意識をせずともこうして半自動的に治せる。
守りと回避にさえ集中していればどうにか捌くことは出来る。
一度に大きなダメージさえ受けなければ、時間は稼げる。
(痛い。怖い。けれど、ここは私が…私が、どうにかしないと。
あの子は私が守る。連れていかせない。私だって……AAAの、一人だ!)
しかし怪人を相手に、しかもサシでは体力と集中力がどれほど続くだろうか。
邪魔者に対し、蛇腕の怪人は当初は面倒臭げに対応していた。
やがて、サディスティックな愉しみへと切り替えていく。
血と苦痛に歪む女子高生の顔を見ていたぶるのは
小脇に抱えている子供などより、よっぽど甘美で、好物だった。
「おい」
背後から、男の声。いつの間に?
蛇腕の怪人が振り返ろうとしたところを狙って足を払う。体勢が崩れ、倒れる。
蛇頭のすぐ後ろを勢いよく踏みつける。
そのまま両足で蛇腕の上に乗り、動きを封じる
男の腰にバックルが浮かび上がる。
そこからベルトがぎこちなく展開し、体にぴたりと装着される。
懐から一枚のカードを取り出した。炎の意匠の緑の色褪せ、欠けのあるカード。
バックルの上部がなかなか開かない。
そこにカードが強引に差し込まれ、収納される。
AAAシステムがカードを認証。機械音声が鳴り響く。
─── Ready! Flame Up. ───
「イグニッションッッッ!」
男の全身が緑の炎に包まれる。
踏みつけた蛇の首を炎がじりじりと焼き焦がす。
緑を基調とした騎士のようなスーツ。鱗のような装甲が煌めく。
緑炎の騎士、イグアナイト。
「な、なんだお前は!? くそっ、汚い足をどけろ!!」
「あ゛ぁ? 誰の足が臭いってんだよ手前ェッ!」
バックルにスキルカードを1枚走らせ、スキャン。
ソールから凶悪なスパイクが飛び出す。
イグアナイトの武装のひとつ、イグナイトスパイクだ。
これは任意の部位に任意の数だけ灼熱の鋲を生やすことが出来る。
足を上げる。
下ろして踏みにじる。
足を上げる。
下ろして踏みにじる。
足を上げる。
下ろして踏みにじる。
高速で、繰り返す。鱗と肉の焼ける、嫌な臭いが辺りに漂う。
傷口が焼け、ぐちゃぐちゃになり、再生能力が追いつかない。
「止めろ!? 止めろ!! やめ、止めてくれェェェェェッ!」
蛇腕の怪人が悲鳴を上げる。
抱えていた少年はその隙に冴珀が救出していた。
イグアナイトは大戦経験者であり、AAAのベテランヒーローの一人だ。
蛇の異能を持つ怪人の相手は経験済でその対処も心得ている。
蛇の骨が露出し、蛇腕の怪人はすでに激痛でダウンしている。
バックルにスキルカードを追加で走らせる。
─── Flame Charge. ───
「はああ……せいッ!」
上に高く飛ぶと、両足を揃えて回転。そのまま蛇腕に着地し、その根本を踏み抜く。
抉られた蛇腕が千切れ飛び、バウンドすると爆発した。
蛇腕を失った怪人は意識を失い、痙攣している。
「…っと。やれやれ、こんなもんかァ?」
変身解除し、ダルそうに首を回す。
そこに冴珀が駆け寄る。
「あ、あの! ありがとうございます!
ああ、その人も生きてるんですね……よかった」
「おう、いいよいいよ。俺ぁ、通りすがりのただのAAAだからよ。
それよりさぁ、メガネの嬢ちゃん。…金貸してくんね?」
「……は???」
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
少年は最寄りの警察へと届け、親元へと帰された。
蛇腕の怪人は拘束した後、AAAに接収され、取り調べが行われたが
記憶の一部が欠如しており、有力な情報は得られなかった。
AAAへと復帰した伊雲も経過観察中だが、特に問題は見つかっていない。
金銭的な問題の方が大きく、行方不明になっていた間に仕事はクビになり
部屋も追い出されて荷物も処分されてしまったので当面はAAA本拠地暮らしだ。
パンツ一丁でうろついては怒られているのでそのうち追い出されるだろう。
彼のAAAシステムは先の無理な使用で本格的に壊れてしまったので
現在、修理中となっている。
「失礼しまー……」
AAA医務室のドアが開く。
部屋の様子を見て、眼鏡の女子高生が無言で閉めた。
医療系異能の研修や手ほどきを受けている都合上
パンツ一丁の男ぐらい見たところでべつにどうということもないのだが
それはそれとして、用もないのに見たいものではなかった。
むさくるしいし、好みでもない。怪人から助けられた恩はあっても
冴珀がそういった感情をこの男に抱くことはなかった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「…ボアナエが捕らわれてしまいました。
申し訳ありません。自決する間も与えられず…」
「わかった。残念だが、今回は仕方がない。
その調子で適度に試練を与えておくように。
くれぐれも……死なない程度にな」
「は! 心得ております!」
Lemonによる通信と報告が終了。
その暗い海のような灰色の瞳は特に感情を示すことは無かった。