
今回の日記は前日談である
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からの続きとなっております。
また同時間軸でEno.77様との合作となっております。
【Side イバラシティ】
2月13日。聖ヴァレンタインデーの前日。
聖ヴァレンタインデー
元来は聖人が亡くなった日だとかで、チョコレートは一切関係が無く。
時を経るうちにお菓子メーカーの戦略によってチョコレートを贈る日として定着したとかなんとか。
例年の私であれば、ちょっとだけ浮かれた気分で煌びやかなチョコレートを買込み、体重計を睨みつけたり、
当日が過ぎた後に少しだけお安くなったチョコレートを買い込み、体重計を睨みつけたりしていたはずだ。
しかし今年は違う、違うのだ。
手帳を開き、週末を確認する。
赤いペンで花丸が記され、走り書きで『バレンタインデー(一日遅刻)』の文字。
不思議と思わず笑顔になる。
今年は体重計を睨みつけなくて済むからだろうか。
っと、そんなことしている場合ではない、今は場に相応しい格好を考えないといけないのだ。
パタリと手帳を閉じ、クローゼットに挑む。が、
「……なるほど、これもダメね」
クローゼットから取り出し、袖を通したその時点でわかる。自身に貫禄という名の余計なものが増えていることが。
わかっていただろうにという幻聴が聞こえる。
仕事一辺倒で服のアップデートを怠った者が、斯様な結末を迎えることなど容易に想像ができることだったのだ。
しかし、私とてなんの手立てもないままドレスコードに挑み、そして倒れるわけにはいかない。
上司としての威厳とか、円満な職場関係とか、そのほかにも色々、……有り体に言えば面子がかかっている。
「……かくなる上は、行かなくちゃならないようね」
しかし、どこに、どこにだ?
今までの人生で中々こういったシーンに遭遇して来なかった故、パッと思いつかない。
恐らくはブティックと呼ばれる類の店、攻撃力の高い店員が構えているあの類の店だ。
普段ならば攻撃力の高さゆえに近付き難いと感じるだろうが、勝手のわからない今回はありがたさを感じる。
近くにあるブティックを探す。幸いなことに数件該当があり、徒歩圏内にもある。
「よし!」
漠然とした『しっかりした女性』のイメージを当日の格好に落とし込むべく、彼女は街へ繰り出した。
「いらっしゃいませー」
若い女性店員の明るい声に怯む。
この店に至るまで数件めぐってきたが、アイテムの年齢層が合わなかったり、好みでなかったり、サイズが合わなかったりと服選びの難しさというものを思い出させられる結果となっていた。
「(怯んでる暇はない、今すべきことは……!)」
そう思い直し、サッと店内を見回す。
……年齢層は大体合ってる、極端にキラキラしていたり、シニア向けだったりしない。
それに、好みの色合いと作りだ。落ち着いているというべきか。
「(これなら、ここなら)」
「何かお探しですかー?」
「はいッ!」
思わずいい返事をしてしまった。やはりこういうお店の店員はコミュ力、……攻撃力が高い。
店員の試験にきっと攻撃力の項目があるのだろう。そうでなければこんな……。
「はーなるほどホテルでお食事、ですか。でしたら……」
そんな無駄なことを考えている間に、どうも私は店員に必要条件を伝えていたらしい。
店内をパタパタと機敏な動きで一回りし、数着取って戻ってくる。
「こちらなんていかがでしょう、……でしたらこちらも、……あ、でしたらこれを合わせるとグッと」
正直マネキン状態だ。だが、今この時、ものすごくありがたい。
一通りの合わせが終わり試着室へと通される。……伝えた覚えもないのにどういうわけかぴったりサイズの服が試着に用意されている。
「……この店、恐ろしいわね」
用意された服に着替え、試着室内の姿見を確認する。
……悪くない。いや、むしろいい気がする。
「失礼しまーす」
シャッとカーテンが引かれ、お店の方が確認をしてくれる。
一頻り着心地と感想を聞かれ、フワッとした答えを伝えるとまたしてもパタパタと店内を駆け回り、数点の小物を持ってきてくれる。
あ、これ、凄くいい。
………………
…………
……ハッと気がついたときには会計を済ませ店外に出ていた。
ほとんどトータルで揃えてもらったわけだが、想定より少しお安く収まり、かつ次回来店時に使えるクーポンまでしっかり貰っている始末であった。このお店はヤバい。良いお店だけど、ヤバい。
意味もなく振り返り、本当に意味もなく店の看板を睨みつけ、次は負けないと、意気込んで帰路に着くのであった。
2月14日。聖ヴァレンタインデー当日。
……なんだかよく覚えていない。
お互い、なんとなくそわそわしながら業務をしていたら1日が終わっていたのだ。
終わり際にかけた、明日楽しみにしてるわねの一言は余計だっただろうか。
2月15日。聖ヴァレンタインデーの翌日。
私に、私たちにとっては当日に該当する。緊張しないと言えば嘘だ。明確に緊張している。
思えば、友人の結婚式以外のお呼ばれでそういったところに行ったことがあっただろうか。
今更、当日になって本当に今更だが、自分でよかったのか疑念を抱く。
些か浮かれすぎてはいないだろうか、気持ちも、格好も。
集合時間が近づく、集合場所が近づく。
何となく集合場所へ近づくに連れ足取りが重くなるような気分。季節柄か周囲にカップルが多いのも足取りの重さに拍車をかけているのだろう。
お呼ばれの予定でなければ、一人で美味しいものを食べにきているのなら、このカップルの多さに怯んで帰路に着くところだ。
今回は違う。待ち人がいる。件の集合場所が視界に入る。当該の人物が目に入った。
不思議と、抱いた感情は安堵であった。
自然と早足になり、集合場所を目指す。チラリと時計を確認するが、まだ集合時間の十分前だ。
……つまり、彼はこの状況で一人、最悪あと十分も待つ覚悟をしていたといこと。
履き慣れないヒールがカツカツと早足の音を立てる。
……その音、だろうか。助手がこちらに気づいたように顔を上げ、そして表情が凍りついた。
……ちょっと待って、格好、おかしかった?
「ごめんね、待たせちゃったかしら……どうかした?」
「あ。いや、いえ、えーと……僕は大丈夫です」
随分とおかしな事を言う。今、明らかにこの場から逃げたそうな気配を放っているというのに。
やはり格好がふさわしくなかっただろうか?いやそんなことは……。でも僕は大丈夫ってことは私は大丈夫じゃない?
いや、しかし、今はいい、無事に合流できた。ならば向かうべきはひとつだ。
「……それで? 会場は向こうよね?」
「会場は向こうですが……それで、といいますと?」
「もう! 今日は貴方の予定でしょ。ちゃんとして貰わないと困るわよ」
腰に手を当て、嗜めるように口にする。
あ、やってしまった、と思ったらときには遅い。今日は完全オフなのだから、上司っぽい振る舞いをする必要も必然も一切ないと言うのに。
そして、私の言葉に当惑して考え込んでしまった。……場所がわかってるなら、素直に行きましょうって言えば良かったかな。
「……アレですね。分かりましたーー」
あ、でも良かった、わかってくれーー
「今日はありがとうございます。一日だけ……当日その場限りではありますが、僕とあの、カップルを……演じて、いただいて……」
わかってなかった!!
脳天をハンマーで引っ叩かれたような衝撃が走る。
薄々気づいてはいたが、やはりただの『同行者』ではなく『カップルプランの相方』として、お声がけがあったのだ。そしてあの日にそれを言い出せずにいて、答えを出すように私に言われて、そしてここに至った、と。
……いや、今それじゃない。そこじゃない! 何とは言えないが、そうじゃない!
この場は聞かなかった事にしたい、サラリと流したい。しかし……
「えっ、いや……そういうのは、もっと、あとで、ちゃんと聞きたかったんだけど……」
自分でも自分が動揺しているのがよくわかる。中々にしどろもどろだし、顔が熱い。気まずい沈黙。
というか、つい言ってしまったがあとでちゃんと聞いて大丈夫か? もう一回修羅の門をくぐるつもりか。
「ええと、じゃあ。えー……本日はヴァレンタインということで、不肖私めがエスコートさせていただきますね……みたいな感じですか?」
そうして、無理にかしこまった風にエスコートの言葉を口にする。
ここにたどり着くまで紆余曲折あったのもあり、それを聞いたら何だかおかしくなって
「そこ、それを聞いちゃったら台無しじゃない。でも、良いわ。今日はお誘いありがとう。……エスコートしてくれる気なら、楽しませてね?」
「……私を楽しませろって言い換えると急にラスボスっぽくなりますね」
「もう、茶化さないでよ。……あんまり茶化すと本当に立ちはだかっちゃうわよ?ラスボスみたいに」
軽口を叩いているうちに時が来る。続きはケーキを食べながらと会場へ向かうことにした。
道すがら談笑をしながらすれ違う人の服装を確認してみたが、……大丈夫、かな。多分大丈夫。
なんとなく、周囲の目線を感じるの気がするのだが、気のせいだ思う事にした。
周囲からどう見られてるのか等々、考えると顔が熱くなりそうで。止めよう、止め止め。
出てきたケーキは抜群に美味しかった。
カップルプランで席を取っていたのだ。そうなることはわかっていたが当然のように向かい合わせの席に通され、
絢爛という言葉がふさわしかろうケーキからは得も言われぬ"圧"のようなものを感じたが、
目の前で笑顔でケーキを食べる助手と、楽し気な会話も相まって、味もロケーションも抜群に味わい深いものであった。
ケーキはいつだって幸せを運んできてくれる。気の置けない相手が一緒なら、もっと楽しくなる。
新たな知見、いや、知識として知ってはいたが実体験として得た、心にの残る一日であった。
さてさて、美味しさに目が覚めたというべきか、最初から気づいていたのを見ないようにしていたというべきか……。
そう、立場が逆なのである。
本来、いや、本来は聖人の命日なのだが、チョコレート的な意味での本来、チョコレートは女性から男性へ贈り物をするが一般的である。
それが何だこの体たらくは、助手にエスコートされ、あまつさえお代を割り勘にすることすらかなわないではないか。
このようなことはあってはならない、礼節に欠く行いであると、私は断じる。つまり、
……多少遅れても、今からでも、チョコレート渡したら、喜んでくれるわよね……?
いや、実際のところ、送るチョコレートの目星はつけていたのだ。
ただちょっと、何となく渡しにくくて保留にしていたところ、助け舟のようにあちらからお誘いが有っただけで。
今なら、このタイミングなら! 食事のお礼ということでスマートに渡せるはず!!
あとは、送るアイテムに添えるメッセージだ。さんざん悩んだ、というかこれがボトルネックで贈れていなかったとまで言える。
『たくさんの感謝を込めて』
……何も間違えていない、過も不足もない、筈。
……あの煌びやかなチョコレートケーキの後では、どんなチョコレートでも力不足だろう。
それでも、彼女は自分の中にある、贈り物への思いを無碍にしないため、そっとメッセージを添え、箱を閉じるのであった。
【Side ハザマ】
3度目の時点で記憶が流れ込む感覚にはある程度慣れ、次は大丈夫だろうと予想していた。
しかし予想なんてものは、ことごとく打ち砕かれるのか常なのだ。なんだ、これは、一体。
明らかになったことがある。これまでも薄々感じていたが今回はっきりしたことが、一つ。
あの街の私は、強い。……戦闘とか、そういう言った意味でなく人としての成り立ちがだ。
私からすれば改竄だが、あの街の私からすれば確かな過去、その部分が私より豊かなのだ。
4度目となる嫌な汗。だが、これまでとは明らかに質が違う。これは一体どうしたらいい。
余計なことは考えたくない状況なのに、あの笑顔があの街の私とこの私の心から消えない。