暴力的な表現や倫理観の欠けた表現がございます。ご注意ください。
「――アタシ生まれ変われるの?」
怪人に改造する。そのおぞましい提案を受け入れ、案内されるままに研究室へと足を踏み入れる。薄暗い部屋の中には様々な生物のサンプルがあるという話だったが、私には難しくてよくわからなかった。準備のために麻酔が必要かと聞かれたから、聞いてくれるなら使ってくれと伝える。痩せ細った腕に針が突き立てられ、遠のくに任せて意識を手放した。それはきっと、家を出て以来はじめての、安らかな眠りだったろう。
心地良い微睡みから醒めると、液体の中に浸かっていて少し驚く。培養液と呼ぶらしい。様々な機材が私の体に繋がれていて、声を発することはできなかったが向こうにはちゃんと意思が伝わっているようだった。そんな状態で他愛もない話や、いくつかの質問に答えた。見せられた中ではクラゲが綺麗だと思ったことや、山と海なら海が好きってことや、星空が好きで手が届くんじゃないかと異能を使ってうんと手を伸ばしたこと。冗談で金髪碧眼にして欲しいなんてことを伝えたら、いいよと言われてしまって少し面食らった。なんでも伝えてみるもんだ。逆にしたくないこと、なりたくないものはあるかと聞かれ、質問に被せ気味に『親という生き物になりたくない』と答えた。
そうして再び微睡みに身を任せ、目覚めたときには改造は終わっていた。一糸まとわぬ肌が外気に触れると、夏だというのにひどく寒く、そのことを伝えたところどうやら改造も大成功ではなかったことがわかった。同時に、適正がなければ肉塊や液状になっていたであろうことも知った。『選ばれた』と思った。この日のために生まれ、耐え延びてきたのだと思った。人類真化がどういうことなのか、正しくはわからないけれど。そのひとりとして選ばれたのだと。寒さの核は下腹部の――子宮のあったであろう場所にあった。そこに今の『自分』がいると、漠然とした確信がある。いつか星空にそうしたように、外に出ようと手を伸ばす。腹を突き破るように『私』の腕が飛び出し、裏返るようにその身を転ずる。哄笑を響かせ、怪人ルナリウムが産声を上げた。
サツキ
怪人1年生。
よく遊び、よく食べ、よくいたずらし、よく笑う。
すくすく育っている。
落ち着いて眠れる場所。落ち着いて取れる食事。むっしゃむっしゃとご飯を食べながら、家にいた頃よりもいい生活をしているなと思った。あれから少しずつ色々なことを教えられたり、怪人としての活動をしたりしている。いずれ学生としてどこかの学校に潜入する予定があるらしく、遅れていた勉強をさせられたり、自分の怪人態の性質について少しずつ把握していったり。いわゆる犯罪行為にも手を染めたが、元々手癖の悪かった自分には特に気負うこともなかった。すり減っていた心も調子を取り戻したのか、陽気な様を周囲に振りまいていた。やはり、すっかり生まれ変わったのだと、新しい人生は希望に満ちていた。ただ、少しだけ胸に引っかかるものがあったが、しばらくはそれが何かわからずにいた。
ある日ハカセのちょっとしたボヤキを耳にした。曰く、新しい実験体が欲しいとのことだった。自分が探してくると伝えたところ、『いなくなっても大丈夫なヒト』を選ぶようにと指示を受けた。なぜ自分から申し出たのか?それはハカセにお礼をしたかったこともあるが、それとは別に胸の引っかかりの原因はこれだという確信があったからだった。私は
私の世界から『いなくなっても大丈夫なヒト』を、探しにいくことにした。
男
サツキの父親だった。
娘の逃亡後も酒に溺れ続けている。
最近若い女を部屋に連れ込んでいる。
久しぶりに顔を見せ、自分だと気付いたときの曖昧な態度がひどく滑稽だった。野垂れ死んだと思っていたのだろう、少し動揺してから落ち着きを取り戻すと、高圧的に上からモノを言ってくるものだから、笑い飛ばして部屋の奥に蹴り飛ばしてやった。女の悲鳴が聞こえたから自分も中に入って見てみたら若い女が怯えた目でこちらを見ていた。連れ帰る予定も、見逃すつもりもなかったから、そこで怪人に転じて、私の姿を見て上げた悲鳴をすり潰すように、触腕で女の頭を潰した。潰れたトマトのようになったそれを見て、父親だった男は態度を一転して命乞いをし始めた。おとなしく付いてきて改造されろと伝えたところ「バケモノが馬鹿にするな」と激昂しバットで――きっとあの時のバットだったのだろう――殴りかかろうとしてきた。触腕でバットを奪い取ると、そのままそのバットを振り抜いて顎を砕き、昏倒したところをラボへ連れ帰った。
女
サツキの母親だった。
離婚後新しい相手と再婚した。
現在妊娠している。
最後に会ったのは父親よりも前だったのに、私だと気付くのは母親の方が早かった。そのことが気に入らなくて、突き飛ばして尻餅をつかせる。倒れるときに腹を守るため体をひねるのを見て、舌打ちが漏れた。再婚したらしく、その腹は随分と大きくなっていた。旦那は不在のようで、頼る相手もおらず怯えたような死線を私に向けた。ずいと近寄り見下すような角度で、改造するためにおとなしく付いてくるよう伝える。混乱した口から出てきたのは「あなたお姉ちゃんになるんだから、こんなバカなことはやめて!」なんて言葉だった。何がお姉ちゃんだ。何がお姉ちゃんだ!
なりたくねえよ。そんなもんなりたいなんて、思ったこともない!頭に血が登って何度も何度も、何度も、何度も、執拗にその腹を蹴り飛ばした。腹を守るように体を丸めるのが、よりいっそう怒りに火をつけた。私を見捨てたヤツが、まっとうな母親のふりをするんじゃあない。肩で息をしていることに気付いて、舌打ちを重ねる。怪人に転じ、胸ぐらを掴み無理やり私の姿を見せる。怪人の姿を目にすると、ヒュッと息を呑み、体を慄きに震わせながら、絞り出すように母娘としての断絶の言葉を私に浴びせかける。私は冷えた気持ちで、触腕でゆるやかに首を絞め意識を奪い、ラボへと連れ帰った。
怪人改造を終えたあとのある日、ハカセに名前について聞かれたことがあった。偽装した戸籍を用意するから、希望の名前はあるかと。私は少し逡巡してから、『サツキ』がいいと答えた。それは私がヒトだったときと
同じ名前だった。未練があるのかと問われ、笑い飛ばす。私は真化に選ばれたが、それまでの理不尽を許すわけじゃない。私を苦しめたヒトへの憎しみを忘れないために、ヒトとして生きていたときの名前で、ヒトの世に溶け込む。この名は憎悪に火をくべる薪だ。憎しみがなければ、この新たな命に満たされてしまうだろうから。
そしてこれは、彼女がもう思い出すことのない記憶。ずっと幼い頃、まだ家族が家族のカタチをしていた頃。母親が彼女の名前の由来を聞かせていたことがあった。「私の一番好きな季節に生まれてくれたから、その月の名前を付けたのよ」そんな単純で、けれど確かな愛があったことは、憎しみの感情に塗りつぶされて隠されてしまった。愛されていた証は、その由来を見失い、憎しみの象徴となった。暦の月は失われ、狂気の月が昇った。
連れ帰った二人をハカセに引き渡し、培養液の中で改造されていくさまをぼんやりと見つめていた。途中で飽きたので終わったら呼んでと退室する。昼寝をしているところを起こされ再びラボに向かうと、ゼリー状になった肉が2つ転がっていた。適正がなくて失敗したようだと、ハカセは残念そうに言っていた。私は胸のつかえがとれたのを感じていた。ああそうだ、
ずっといなくなればいいと思っていた。ヒトへの憎しみだけを残して、過去の自分との最後の繋がりが断たれたのだ。その夜、久しぶりに星空を眺めることにした。いつの日か陰っていた雲はなく、満天の星空だった。幼い日にそうしたように、うんと背伸びをして空へ手を伸ばした。異能を用いてもまだまだ届かなかったが、いつか届くかもしれないという希望が、胸にあった。
月が、満月が昇る。煌々と輝いて、近くの星の輝きを飲み込んで。
怪人ルナリウム――裏辺彩月が、真に生まれた日だった。
Luna-rium Origin 3/3
"Moon rises"