親愛なるワトソンへ
拝啓ワトソン様。
日増しに暖かくなり、早春の息吹を感じるこの頃です。お変わりございませんか。
……止めだ。手紙の最初は時候の挨拶から、というルールはこの手紙内に於いて無効とする。
だいたい全然ちっとも日増しに暖かくなってない。今日のイバラシティは極寒だぞ。嘘はナシ。
ハローワトソン。調子はどうだ。お前ヒーターの前から微動だにしないけど生きてるか。
家の中をひっくり返して探したけど、あの妙なメモのヒントになるようなものは見つからなかった。
おかしいな、こんなの本当に書いていないはずなんだけどな。でも事実としてメモは手元にある。
メモを筆跡鑑定に出して本当に俺の字なのか確かめてみるのも一手かもしれない。
まあ金がかかるからそれは後の手段にとっておくとして。
変な夢はあいかわらず続いている。荒廃したイバラシティを友達と歩く夢。
何度も何度も同じ夢の続きを見るのはちょっと気味が悪い。
だが、これといって実害もないので対処はしていない。放置するしかないってのが本当のところ。
放置以外にとれる手段がないんだよな。夢に変化が起きることを待つしかない。
奇妙な夢とは真逆に、現実のイバラシティの生活はすこぶる順調だ。
毎日が新鮮で刺激的で楽しくて…………うん、楽しい。
楽しい、と形容していいのかわからないけど。きっと合ってる。
夜眠る前に明日が来るのが待ち遠しいんだからこれは「楽しい」で間違ってないだろ。
友達と遊んで、勉強して、眠って。そうして日々が廻っていくことが楽しくて嬉しいんだ。
以前の俺なら考えられないって先生は笑うかな。笑うというより嗤われそうだな。
先生はいつも俺の事を嘲るように嗤っていたから。
いつかワトソンにも紹介してやるよ。イグアナ紹介するって言ったら爆笑されそうだけど。
でも、俺の恩人なんだ。良い人なのは保証する。
それじゃあまた、気が向いたらお前に手紙を書こう。
2020/02/20 菱形世論より
PS.俺の手に食いかけの小松菜を吐き出すな。嫌いなら嫌いでいいから。ゲーッてするな。
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菱形世論 「ワトソン?」 |
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菱形世論 「……寝てるか」 |
見れば時計の短針はもう零時を越えている。
カーテンを少しだけ開けてガラス越しに見る、冷え切った二月のイバラシティ。
外気温はまだまだ厚着が必要になる低温をさまよっている。
ふーっと息を吹きかけて指で文字を書いた。
忘れるな。
くせのある崩れ方。やっぱり俺の字だ。
しかしそれが分かったところで今抱えている疑問に答えをくれないのを知っている。
忘れるなと俺は言う。何を忘れてはいけないのか、それすら忘れているのに。
どうしろというのか。わからない。わからない。世界はわからないことだらけだ。
考えても分からないことはそうやってウンウン唸ってても解決しないぞ。
とっとと寝て、頭を休ませる方が幾分かマシってもんだ。
恩師の言葉がふと頭をよぎった。手紙に先生の事を書いたからかな。
じゃあそのありがたい御言葉に従って今日のところは寝るとしよう。
布団が冷たい。肌が粟立つのを我慢して、目を閉じて。
それから。
瞬きのあとに見た世界は異質だった。
目を開ける。
ハザマに転移していた。もう四度目だ。いちいち驚きはしない。とっとと探索に出発だ。
順調にいけばおそらく、この時間帯中に一つ目のチェックポイントに到達する。
山岳ばかり歩いて足が疲れた。次はもう少しルートを考えて進むことにする。
そういえばロストの情報が開示されたから整理しておこう。
アンドリュウ、ロジエッタ、アルメシア、ソージロウ、フレディオ、ミヨチン、マッドスマイル。
外人らしき名前から日本国籍を感じさせる名、果てはあだ名らしき人物まで。ざっくばらんだ。
姿形は人間のようだが共通点も一貫性もない。
てっきり各区に存在するのかと思っていたがロストは七名だ。
誰もいない区もあれば一区に二人いる可能性もある。情報が出るまではひたすら探索が必要そうだ。
アンジニティの連中と影響力争いをするたびに。
イバラシティの知り合いのうち何人が向こう側にいるのか考えて、考えて、考えたくなくなった。
毎日が楽しい、その言葉に嘘偽りはない。
けれど肝心の楽しさが虚像なんだから俺の日常はどうしようもなく空虚だ。
この街の争奪戦に勝っても負けても喪失する友がいると思うと少しやるせなかった。
共存の道を模索しようと容易く掲げるには、どちらの陣営も抱えるものが大きすぎる。
向こうの大半はこの街を欲し、俺達はこの街を失いたくない。
必然残るのは争いの道だけだ。
叶うならば、後悔しない終わりが待ち受けているのを願う。
2020年02月某日――探索継続中。