
「今回は機械生物を使った実験を行う」
今日は戦場でのスポッターの仕事ではなく、候補生を軸とした交流会らしい。
そういった触れ込みにおずおずとラボラトリールームへと入室するや否や、体のメンテナンスを担当するドクターから言い渡されたのはそのような辞令だった。
ラボの中は緑色の液体に封じ込められた大きな試験管の中に色々な生物がいた。どれも候補生のような人材を作るため、人間以外の生物を利用した大々的な実験が行われていることを知ったのは数日前のこと。
交流会とは名ばかりの薬品のにおい漂う最中、ご覧と指し示された大きな試験管の前に立つ。
一見すると犬のようだった。
プラグ状の尾とバイザーのようなグラスアイが目元を覆い、母胎にうずくまるようにして四肢を折り曲げた狼のような何かだ。
何か、などとあいまいな表現を呈してしまうのは少女の語彙力が少ないからではなく、所々機械部品の装着面が見えていて、生体部品だけでも数種類の動物が混ざっていることが伺えるからだ。何でも形容できるがあえてをつけるなら、そういった言葉が相応しい。
体毛や尾の作りは狐と犬のようで、鋭い足は獅子ににていた。かろうじて昔見た動物図鑑の記憶を頼りになんとか動物らしい観点を見出していると、横からドクターが声をかけてくる。
「これは機械と生物のキメラだ。生体と疑似関節を使用した新兵器でな。検体名をトーヴとした」
「トーヴ」
旧世代の童話に出て来る名状し違い獣の名だったか。タヌキとトカゲと栓抜きをかけ合わせた、よくわからない生物。獣の複合体だ。
「君にはしばらくの間、彼と行動を共に生活して貰う。護衛や警察犬のようなものだと思って使いたまえ」
「あの……動物を飼ったことがありません」
「交流会と称したのはそのためだ。キメラとはいえ脳は獣がベースだ。よく動き懐きお前に従うようプログラムしてある。存分に使い倒したまえ。嗚呼一応大切な検体故、乱暴には扱わないように」
「……了解しました」
意図を掴みかねず続けて質問しようとしたが、言い切られて少女は押し黙り頷くことしか出来なかった。
「……おいで、トーヴ」
首輪を必要としないだけマシなのかもしれない。
自由気ままに動くこともしないトーヴと呼ばれた検体は、少女の声に応じてきしきしと歩み寄る。
暫くの間は実地任務も単発の仕事しかない為、仕事が終わって宿直先の居室に帰るとトーヴが出迎えるのが日常になっていた。暗い部屋の中、玄関の前でひっそりと建ち続けて待っていた姿を最初にみた時には驚いたが、もうすっかり慣れたものだ。
トーヴはバイオ燃料を必要とするのか、主食はトウモロコシだ。芯を丸ごと飲み込んで排熱する姿は狼というより蛇に近しい。
瞬間的に食事を終えた彼に続くように、少女も配給された完全栄養食を口にする。
プラスチックの食器の上に乗せられた、べたついたペースト状の良く分からない何かを温めたミルクで飲み干す。顎の力を衰えさせない為かエネルギーを効率よく摂取できる固形栄養食を指定された回数をよく噛んで食べる。
10歳にもなって離乳食かポストアポカリプスめいた食事しか体感できないこのご時世、仕方がないとはいえ少女もまた彼と同じ検体なのだ。調子を崩されたら困るし、毎日同じ食事を摂ることでコントロールできるこの手法は理にかなっている。
そう自分に言い聞かせることで、今の現状を無理やり納得させる。少女に出来るのは抵抗ではなく落ち処を見つけることだ。子供なりに納得して、嗚呼それもそうだと諦めさせるための諦観に近い。
生体パーツが使われているトーヴの毛並みを優しくなでながら、ふと呟く。
「……お前は自由で良いな。私には自由が無い」
彼に意思があるかは分からない。もしかしたら心の奥底に自我というものがあるのかもしれない。
されどそれは憶測の範疇だ。飼われ、作られた生命体はその意味を持って作られたのだ。
最初から人間として生まれ、このように実験体と同レベルの扱いを受けることは人間にとっての不本意だ。同列に扱われることを今更拒絶などしない。なるべくしてなった結果なのである。
「いつかお前のように自由に考えられたら良いな……」
ぎゅっと腰を抱き据えて抱え込むようにソファーへ寝転ぶ。物怖じも怯えも暴れもしない機械生命はこういう時に便利だ。
辛くなった時はこの愛玩動物が吐き出したものを受け止めてくれる。少しくらいの弱音ならば吐いたところで問題はあるまい。
次第に少女の瞼は重くなる。
嗚呼、明日は任務だったなと逡巡した後、女の意識は遥か彼方へ遠ざかって行った。
――あと2130日だ。