
「ドクターは嘘吐きだ」
少女は憤慨していた。携帯していたハンドガンと工作用の通信機を握りしめて悪態をついていた。
最後の手術を終えてから、初忍務として市街戦の真っ只中に放り込まれた。町は少女が生まれ育った故郷によく似ている状態で、硝煙と砂埃が漂い、旧時代の石畳の建物が散見される。
『中央』の拠点を離れた末端中の末端の小競り合いをしている武装した少数派民族による反乱軍と現政府軍との戦いを行っているというのが事前のブリーフィングで判明している。
反乱軍が使っている中古のロボット兵器が織り成しつつ現地にいる兵士がこのただ中にいた。
少女が民営の傭兵会社より派遣された正規軍兵士としてもぐりこんだのは今から18時間前の事だ。
目的は現地の地形調査と兵士観測。可能な限りの武器情報を入手して欲しいというのが初仕事と相成った。
戦地で華々しい活躍をすれば人らしい生活が出来るやもしれんとドクターは言っていたが、実際は工作にスニーキングがメインで銃撃がご法度になっている戦場に回された。
崩落した建物のがれきの間をすり抜け、薄闇の奥底から銃口を煌かせながら厳重に警戒する。こうした狭い場所で伏せたまま状況把握を行うのは少年兵の利点である。初任務ということもあり程度の軽いものから始めた方がコスト運用としても気軽で良いというのは上の方針らしい。
少女はただの少年兵ではなくサイボーグ兵士の候補生である。その体には技術の粋を集めて作られた細胞が詰め込まれており、そう簡単に使い棄てられては困るのである。
死んだらそれまで、されど丁重に。現場の人間はきっと頭を痛めたに違いない。
だからこそこうして死ににくいポイントマンとしての役割と状況分析の仕事に当てたのは悪い判断ではなかった。よく積み荷を積んだ旧式のカーゴの通る道路の間をすり抜け、武器などの情報を写真に収める。
コンテナや兵士、銃火器に種類。敵対勢力の動向、車載物の確認、人員の把握。時間ごとの人数の変動。
あらゆる状況を把握し続け、つい寝落ちしそうになる体を瓦礫に押し付けて無理やり頭を起こした。
瞬間、耳に押し込まれた通信機から通信が届く。こちら側を観測している少年兵の総括局のオペレーターだ。
「おい、激突音にバイタルサインの乱れがあった。どうかしたか」
「あ、あの……寝そうになって」
「呑気だなオイ。お前が拠点にしている瓦礫も崩落しかけているんだ。榴弾が当たれば圧し潰される危険性も考慮しろ。建物の中も安全じゃないぞ」
「……承知しました」
「既にスポッターとして派遣した兵士が何人かが寝ているところを狙撃で死傷している。お前も気を抜くな」
とはいえ動くにも限度がある。下手な銃火器を使用すれば銃声で位置が特定され、薬莢を残したら種別が割れ、弾痕を残したら警戒される。
よりにもよって無人機蔓延る都市部相手だ。ここらは人の眼が比較的少ない代わりに監視カメラの間をすり抜け、無人機によるサーチライトを掻い潜って進むしかない。熱感知に生体認証システム、様々な科学技術が敵対してくるのだ。
少女にとっての戦場は無人兵器との戦いだ。いかに情報を引き出し、有能な彼ら兵器に対抗するかがカギとなる。
旧世代的な銃を扱わせるだけの歩兵とは違う次元の低コスト且つ情報戦を有利に進める駒。少女の行った実験もその一つ。この実地訓練もまた同様。
今回のプロジェクトが成功すればよりやりやすいビジネスになる。
……反吐が出る。
「……ちくしょう」
砂埃を被って、日がな一日寝そべるように双眼鏡を覗き込んで、敵地への潜入と調査を繰り返す。持たされた不味いレーションを食い漁って排便して寝て、砲撃音と敵の怒号にビクついて起き上がるのにももう慣れた。
数日経って帰還命令が出た。情報を割り出し終えたとのことらしい。
こんなものかという感慨と、呆気なさに胸を撫でおろす。やっと終わった。
「こちら…………」
己の名を呼ぼうとして――嗚呼、しかしこちらの名前は相手に伝えていないのだ。どこの誰が通信をしてきたのかと怒られたらどうしよう。そもそも、名前を使うなと怒られないだろうか。
様々な思惑が胸中に渦巻いて女は言葉を止める。直後にあちら側から無線が通じた。
「嗚呼、お前か。指定した合流ポイントに向かえ。そこまでの比較的な安全なルートはもう割り出している。すぐに帰投しろ」
「りょ、了解……」
「数日間よく耐えた。お前の情報は今後の戦闘に役立つことだろう」
「は、はい。ありがとうございます」
通信を切って、塒にしていた瓦礫の隙間を抜け出す。携帯したハンドガンを構えながらクリアリングを欠かさず、事前に指定されていた合流地点にたどり着いた。
戦場用のサバイバルベストを着た浅黒い男と粉塵を防ぐマスクを被った兵士が複数人いる。
「『中央』所属の兵士です。帰投しました」
瞬間的に銃を構えられそうになったのを見て怯えつつも、銃を即座に捨てて所属部隊を記したドックタグと肩のワッペンを見せながら手を上げる。
実験施設に連れてこられる前の出来事によく似て、兵士は無情にも目を見せて貰えず一方的にしげしげを見遣られている。
動悸がする、目眩がしそうになる。どこか安堵しかけている自分がいる。
ややあって、少女は猜疑の目から逃れることが出来た。
「ご苦労だった。エリアTX10/99が調査区画だったな。無人機や監視カメラの多い区画だ。人はいないが待ちの多い場所だな。退屈だったんじゃないか?」
「とんでもありません。私、いつ死んでもおかしくなくて……」
「寝落ちするような輩だからな」
そうして笑いあげる声で気付く。
「あの……オペレーターさん」
「なんだ」
「い、いえ……今回の総括局の、それもオペレーターがなぜこんな現地に……」
「ロボット兵器の調整と下見だよ。話ならいくらでも出来るからそれよりはやく乗れ」
カーゴの中へと背を叩かれながら少女が車内へ入り込む。「黒いマスクの男達に脇を固められながら発進する。
揺れ動く車内は決して快適とは言えないが、ようやく安心できる場所に戻ってこれたことを実感して、少女はうとうとと寝落ちしそうになって舟を漕いだ。
「……また寝落ちか?」
「は、……すみません何度も……」
「いや良い。年は10くらいか。女だてら数日間もあそこにいたのに根性ある」
「……恐縮です」
「根性っていうより、慣れてるのかもな。こういう世界だ。まともな感性してるかも怪しい」
隣にいたマスクの男が軽く口を叩いているのを諫めるよう、目の前のオペレーターは訝しむ。
「その感性も戦場では必要だ。究極的には統制できた方が楽だが肉体はともかく精神の規律は無くしたらならない」
――どうせこれも戦場の駒としか見ていないはずなのに、何を言っているのだろう。
微睡んできた意識の中で、少女は口にせず頭の中でごちた。段々と眼を垂らして頭を上げて、背に持たれてばかみたいな寝顔を晒すまでには時間はそう掛からない。
本格的に寝ようとする少女に、両脇の兵士が呆れたように笑う中、確かな声が聞こえてきた。
この車内で誰がそう言ったのかは分からない。
「まるで猫みたいだ」
――キャット。
その言葉がひどく頭にこびりついていく。刷り込みをされた雛鳥のように、爆撃とともに名を四散した己には丁度良い響き。彼らは冗句のたとえで言ったに違いない。何でもない言葉の筈だ。
この数日を気儘に住み、食って、忍び込んで隙間を潜った。それがひどく猫と同じように思えた。己は度重なる改造を受けた改造人間で、人たるシンボルはあれど真人間ではない。
嗚呼ならば、人ならざる猫と言う在り方も悪くないのかもしれない。
そうして少女は夢の中へと飛び込んでいった。
――あと2143日だ。
「名はなんと言ったか」
イバラシティに潜入した5年の間に多くの出来事があった。
特筆すべきはよりにもよって学院の教師と言う立場に潜り込んだことだ。15歳のシルバーキャットの選択なのか上の命令かはともかく、下手をすればすぐにバレるような年齢詐称と相まって、とりつく島もない中よく隠し通せたといっそ感動的だ。
シルバーキャットにそこまで名演の才があるのなら女優にでも転職したらどうだとからかわれそうだ。
最も面倒なのは名を思い出すことだ。この五年で関わった数百はくだらない生徒や卒業生の顔と名前を必死に思い出しつつダウンロードした記憶と照合させて話を合わせなければならない。他人事のような言動と相まってそれはひどくいびつな言葉になるが、すべては些事だ。
パーティとしてチームを組んだ中にも見知った顔がいるという記憶はあるが、こちら側のシルバーキャットにはなじみが薄く、やはり他人行儀になってしまう。
シルバーキャットという役割を演じるには五年と数時間では時間の重みも掛け方も異なる。
いかんともしがたい、しかしする必要性もない。
ワールドスワップが発生してからこの地には猶予がない。早々に調査の足を進めねばならない。
親しき者が敵であったり、愛する者が敵であったり、一目見ただけの存在が味方だったりとこの街はせわしない。
横断歩道ですれ違っただけのような他人も敵で、また味方だ。
調べねばならない、解明しなければならない。侵略行為を抑止しつつ彼らを狩り、調べ尽くして献上しなければ。
通信回線は相変わらず滞っているが、データの送信は出来ている。獲得した情報を送るだけ送っておけば、あとは誰かが引き継いでくれるに違いない。
ここで死しても代わりはいる。シルバーキャットは改造を受けてパッケージ化された兵士にすぎない。
だからせめて、猫の名を今暫し謀つらせてくれ。