
あの一件の後、俺は親父の言う通り通信制の高校へと編入し、
その傍らで異能矯正センターでカウンセリングと異能の訓練をすることになった。

羽柴は異能発現をしたあの日から俺の担当医になった。
いつ見ても寝て起きてそのまま来たようなくたびれた衣服に、ぼさぼさの頭。
医者にもカウンセラーにも程遠い見た目をしていた。
「そんじゃ、始めようか」
それが本来の素なのか、年の離れた俺に気を使ってなのかはわからないが、
二人きりの時は、随分とくだけた物言いをする奴だった。
そして、吸っている姿を見たことはなかったが、いつも煙草のにおいがした。
最初は、俺の話からだった。
俺がどんな思いで無能力者として生きていたのか。どんな扱いをされていたか。
どんなに異能持ちが憎くて羨ましかったか。
家族や沙和子にすら言えなかった言葉が、不思議と羽柴の前だと流れる水のように口をついで出た。
というのも、羽柴は目の前にいるのにどことなく存在感が薄くて、
ひとりごとを言うような、そんな気楽さがあったからかもしれない。
胡散臭い見た目とは裏腹に、羽柴はいつも真剣に俺の話に耳を傾けてくれていた。
メモなどは取らず、膝の上で細長い指を組み、鳥の巣みたいなぼざぼさの頭を揺らして何度も相槌を打つ。
でも同情や悲観するということは、決してしなかった。
俺はてっきり、カウンセリングというのは「辛かったね」「大変だったね」なんて言葉を
ひたすら浴びせられるものだと思っていたから、少し拍子抜けだった。
羽柴はただ「そうか」と短く一言だけ掠れた声でこぼすか、掘り下げるための質問をするだけで、主観的なことは何も言わなかった。
「じゃあ、異能についての基本的な話からしよう」
俺の話を一通り終え、羽柴が切り出した。
最初のカウンセリングで、まず羽柴に言われたこと。
「今話してもらったとおり、お前はついこの間まで異能力者が憎かっただろう。
無能力であることを呪っただろう。だけどな、全ての異能力者が幸せで恵まれてるだなんて、思わないことだ」
静かなその言葉に胃の奥がぎゅ、と雑巾みたいに絞られるような小さな痛みを感じた。
「もちろん、能力を誇示して危害を加えたり、無能力であることを蔑むなんてことはあっちゃならない。
だがそれは異能力者以前に人格に問題があるだけで、異能力者は全員そうだとひと括りにしてもいけない」
ふと、沙和子と親父の顔が浮かんだ。
たった二人だけど、確かに《そうじゃない異能持ち》は俺の周りにいた。
「異能力者でも、辛い思いをしてる人はいる。……能力の副作用で日常生活を送るのが困難な人。
他人から偏見を持たれる人。周りに望まない影響を与える人。
そういう問題を抱えた異能力者もいることを、ちゃんと覚えておけ。
無能力者が望んでそうなったわけじゃないのと同じように、異能も望んで与えられるわけじゃない。
それについては、獅童ももうわかってると思うけど」
────望まない異能。
俺の異能力は《鳥獣に変化する、または鳥獣の能力を使用する》というものだった。
字面だけ見れば、なんのことはない便利なものかもしれない。
だけど発現した時──人でも獣でもない、化け物じみた自分の姿を見たあの日。この能力はそんな軽いものではないと咄嗟に理解し、同時に嫌悪した。
「異能力っていうのは、精神面に大きく影響されやすい。特に負の感情にな。
怒りとかストレス……極限状態に陥ると意図しない形や規模で、能力が制御できなくなることがある。
それが”異能力の暴走”。お前が以前なったのがそれだ」
暴走。鳴海の事件と、その後に起きた事を思い返す。
どちらもトリガーは羽柴の言う通り、怒りとストレスだった。
羽柴が俺にしたアドバイスは二つ。
「自分の感情をコントロールできるようにしろ。それからストレスを溜めないこと。
少しでもしんどいとか、イライラすると思ったら、俺の所に来るか、なるべく人に会わないようにするんだ」
とはいえ元々短気な性格でもあったせいで、少しでも動揺したり怒りを感じると、勝手に耳や尾が生えてきたり、牙や爪が鋭く伸びるようなことが続いた。そんな自分の姿や動物、挙げ句には刃物を見る度に、事件の景色がフラッシュバックして寝付けなくなったり、動けなくなる。
気分転換に外に出ようにも、異能の副作用により五感が獣並みに強化され、多すぎる感覚情報が津波のように襲ってきた。まだ情報の取捨選択ができなかった俺は、人の多い場所に赴くたび度に軽くパニックを起こした。
パニックを起こすたび、痛みに逃げようと自分の腕に爪や歯を立て、それを羽柴に指摘されると、今度はピアスを開けるようになった。
────家族。クラスメイト。鳴海。俺自身。
何を恨み、何に後悔したらいいのかわからないと、自問自答を繰り返す日々。
「ずっと考えてるんだ……俺は、あの時どうしたらよかったのか」
避けていた鳴海の話題を出すと、羽柴は唇を軽く結んだ。
「……止めないで、死なせてやればよかったのか…って」
────死なせて欲しかったのに。
「獅童はどういう気持ちで、幸田君を止めたんだ?」
羽柴が静かに問いかける。
俺はその問いにすぐに答えられなかった。どんなに考えても、言い方を変えても、行き着く答えは一つしかなくて。
「……俺が……嫌だったから」
自分本意な答えしか出てこなくて。そう考えると、俺の選択はやっぱり間違っていたとしか思えなくて。
その事実から目を背けるようにゆっくりと項垂れ、俺は両の手で顔を覆った。
「どうして、嫌だったんだ?」
「……自分が無力だって、知るのが怖かった…」
あの瞬間。鳴海の淀んだ目が、確かに言っていた。
────獅童に俺は助けられない。
────もう、獅童は必要ない。
「本当に助けられたかったのは、俺なんだ…」
鳴海を助けることで、自分が救われていた。沙和子を守っていた時と同じように。
薄っぺらい善意。見かけだけの救済。全部、自分のため。
「……獅童。あまり自分を責めるな」
羽柴の静かに諭すような声が、暗い視界の中で聞こえる。
「自分のためでもなんでも、他人のために身を挺して動ける奴はなかなかいないよ」
空気を切り替えるように、羽柴が一つ咳払いをする。
「だけど、従姉のこともそうだけどな。自分が救われたい……そのために自ら他人の痛みを肩代わりするなんて矛盾した行動は危険だ。…ハッキリ言うがそれは、遠回しな自傷行為に過ぎない。続けてたら、いつか身を滅ぼすぞ」
自傷行為という、俺の行動原理を明確にしたその言葉に顔を上げる。
羽柴が小さく息を吐いて、前髪がわずかに揺れた。
「人を助ける前に、お前自身を助けてやれよ獅童。誰かを助けてもお前がボロボロじゃ、その人も辛くなるだけだ。しっかり、自分の足で立て。そのために俺がいるんだからな」
じわりと滲んでいく視界の中、傷だらけの手に顔を押し当てて。
俺はただ黙って、何度も頷いた。