02:棘 [トゲ]
【 Type:Sa 】
何処かで鐘が鳴っている。
ハザマに飛ばされて1時間。
何となく嫌な予感がして先程から身構えていたのだが。
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雫 「………?」 |
だが特に変化は無い。
視点の切り替わりもない
先程と何も変わらない
繋ぎ目はない
1時間前に此処へ飛ばされてから依然変わりなく継続して此処に居る。
白南海から記憶の更新の話は聞いていた。
記憶が上書きされるのだ、その瞬間は凄まじい負担が掛かるのではと危惧していたのだが。
だが何事もなくその瞬間を迎えてしまった。
いや。
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雫 「………?」 |
違う、と改める。
変化がないのだ。
"何の変化も無い"。
記憶がない。
『 記憶が上書きされていない 』
白南海の話では、『毎回飛ばされたタイミングまでの記憶』を持つのではなかったか。
周囲を見渡す。
最初のチェックポイントをひたすら南下した地点。
エリアE-10と区分されているこの場には、現在数多くの探索者が滞在している。
一つのエリアと言っても範囲が広く、流石にひしめき合っている訳ではないが、
それでもいくらかの人影を肉眼で捉える事は出来た。
困惑した様子で周囲を見渡す者
落ち着いた様子で仲間と話す者
陰気な顔でその場に佇む者
遠目に観察しただけで直接彼らに確認した訳ではない。
だが、いずれも記憶の更新は問題なく行われている様子だった。
少なくともあれらは『想定外の現象に困惑している』様子ではない。
むしろあれは記憶の更新が行われたからこその反応だ。
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雫 「……どういう事?」 |
伊予島
現役セレブサバゲーマー66歳。戦闘大好き♡
TRPGをすると周囲の忠告を無視して無謀な行動を取る。最々序盤で窮地に陥り、何とか救済出来ないかとKPやGMが頑張る。
雫
元裏社会住人の世話役55歳。非戦闘員。
TRPGではキャラシ作成の時点で躓いてしまうタイプ。そもそもそういう空想遊びを素直に楽しむという事ができない。
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雫 「八ー重子♡」 |
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伊予島 「! なぁに?雫ちゃん!」 |
機嫌が良さそうだ。
雫に呼ばれ、伊予島もまた嬉しそうに顔を上げた。
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雫 「これなーんだ。」 |
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スッ… |
雫の手にはボロボロになった手袋が握られている。
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雫 「ねぇ これ何。」 |
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伊予島 「そ それは」 |
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雫 「…質問を変えようか。 「不思議な牙」が見当たらないんだけど、あんた知らない?」 |
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伊予島 「ごめんなさい」 |
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雫 「これは?」 |
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伊予島 「ゴミィ…ですかね…。 遊…作製していたらそうなりました。」 |
思わずセルフで地面に正座。
装飾を作るつもりが武器を作っていた。
貴重な初期素材が1時間でうんこに!
PTならともかく、ソロでこのクソ失態は致命的。
当然やらかしコミュにも入らなければならない。入った。
(前回のあれは振りではなく別の補修ロールをここでやる予定だった)
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雫 「物壊して寝床に隠す犬かよ。 あのね 失敗したことを怒ってんじゃないの。 ガキじゃあないのよ。失敗したならしたってそう報告して。 それをサポートするのがあたしの仕事なんだから。」 |
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伊予島 「ごめんなさい…」 |
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雫 「よろしい。」 |
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雫 「ほら、手ェ出して。ったく、やっぱり荒れてる。 素手で廃墟探索する馬鹿はそういない。」 |
替えの手袋は一旦小脇に抱え、先に消毒液とハンドクリームを塗りたくる。
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雫 「あんたはあたしに安くない金払ってんの。 その分を有効に使わない奴は無能のレッテルを張られても文句は言えない。 この無能。」 |
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伊予島 「うっ…」 |
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雫 「効くでしょ、その言葉。あんたには。 …奇遇ね、あたしもなの。」 |
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雫 「 あたしを無能にしないで。」 |
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伊予島 「……ごめんなさい。」 |
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雫 「いいよ。」 |
クリームを塗り終えれば、ようやく新しい手袋を伊予島の手に着ける。
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雫 「はい終了。 締めて2万4千ってとこね。」 |
高い。
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伊予島 「まぁ!とってもお手頃価格ね!」 |
高いぞ。
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伊予島 「しーずくちゃん♡」 |
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雫 「あ?」 |
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伊予島 「うふふ♡ 私ね、とってもいい事を思い出したの!」 |
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雫 「オーケィ、聞こうか。」 |
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伊予島 「『身の安全の確保において最も重要なのは情報。情報の収集が一番大事。』って 雫ちゃん前に言っていたわよね?」 |
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雫 「言ったね。」 |
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伊予島 「私知っているの、聞いた事があるのよ。 今の私達のこういう状況って『異世界転生』って言うんですって♡」 |
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雫 「ほぉ。色々突っ込みたいけど、まぁいいや。続けて。」 |
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伊予島 「そこではね、ある魔法があってね。『ステータスオープン』って言うの。 その魔法でみんな情報を収集したり、ステータスの数値を見て俺強いわね!って言っているそうよ。」 |
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雫 「それで?」 |
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伊予島 「私がその魔法を使ってあげる!雫ちゃんの役に立つわ!見ていて!」 |
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雫 「おー」 |
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伊予島 「行くわよぉ…『ステータスオープン』!」 |
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伊予島 「あら?」 |
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雫 「知ってた」 |
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伊予島 「ま、待って!? ちょっと、こう…発音?発音がいけなかったのかも! もう一回やるわね!?見ていてね!?」 |
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伊予島 「ス…スティ… ステェェィ…タァス…オゥペェァン…!」 |
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伊予島 「………」 |
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雫 「あーなんだろこの感じ 全身が痒い かゆっ あー かゆっ」 |
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伊予島 「あ、あら?おかしいわね? ち…違うのよ?本当はね?こう言えば、シュッって……」 |
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伊予島 「シュッ……って…シュッ…… …………。」 |
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伊予島 「し、雫ちゃんも試してみて!」 |
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雫 「何でよ やだよ」 |
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伊予島 「お願い!私には無理でも雫ちゃんなら出来るかもしれないじゃない!」 |
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雫 「本音」 |
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伊予島 「私だけが恥を掻くのは嫌」 |
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雫 「クソババァが」 |
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伊予島 「で、でも雫ちゃんならっていうのも本当よ? 雫ちゃんは優秀な子ですもの、 私に出来ない事でも、雫ちゃんならきっと上手くやれるわ!」 |
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雫 「はい本音」 |
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伊予島 「私に出来ない事は雫ちゃんが全部やって♡」 |
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雫 「やっぱクソババァだわ」 |
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伊予島 「雫ちゃ~ん」 |
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雫 「誰が入力すんの?」 |
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伊予島 「えっ」 |
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雫 「そのステータスとやらの数値。誰が登録してんの?自分? 『俺はマッドサイエンティストだ』とか言って 自分で自分の知力に最大値99とか入力してんの?馬鹿じゃない?」 |
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伊予島 「やめてあげて」 |
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伊予島 「そういうのはね、神様?のような方が入力なさっているみたい?でね、 むしろ本人はMAX99の所が99,999とかになっていて、「えっー!?俺強すぎませんか!?」って…」 |
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雫 「いやそれ普通にバグでしょ? 何で数値自体は合ってるなんて発想になるの?頭おかしくない?」 |
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伊予島 「はい…」 |
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伊予島 「もう!もう!いいからやってよぉ~!やって欲しいのよぉ~! 嬉しい事も悲しい事も二人で分かち合うものでしょう!? お願い!お願い!お願ぁ~い!」 |
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雫 「あーうっさいうっさい! 分かったわよ、やりゃぁいいんでしょうが! それでお互いの傷を舐め合うのよね。そういう茶番がやりたいのよね、了解。 オーケィクソババァ、高くつくわよ!」 |
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伊予島 「きゃあー♡やったぁ~!雫ちゃん大好き~♡」 |
締めて50,500円(税込)である。
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(あーもう さっさと終わらせよ…) |
はしゃぐ伊予島に溜息をつき、咥えていた煙草を一旦手の中へ。
その際に顔を上げた雫の視界に奇妙なものが映る。
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空に何かある。 |
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(…何だアレ…?) 雫 「Status open.」 |
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雫 「ラグが気になるけど、情報ツールとしてこのCross+Roseは優秀。 取り敢えずこれで最低限の備えは出来るか…。」 |
因みに伊予島は既に飽きていた。
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雫 「………。」 |
一つの仮定。
なぜ自分達には"記憶の更新が適用されなかった"のか
では、ない。
もしかしたら。
それが意味するのは。
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雫 「…『適用する記憶がない』という可能性。」 |
そういう事も、あるのかもしれない。
・・・
あちらの自分達は、今何をしているのだろう。
街から出てしまったのか。
それで記憶を繋ぐ導線が切れてしまったのか。
2人揃って仲良く昏睡でもしているのか。
馬鹿馬鹿しい、そんなわけあるか。
もしかしたら既にこの世に存在しないのでは?
だがそれならば、"その"瞬間、直前の記憶までは上書きされてもいい筈だ。
心臓を撫で回されているような感覚。
酷く息苦しく、背筋が寒い。
この感覚には覚えがあった気がするが、どうしてもその名が思い出せない。
特に珍しいものでもなかった気がするが、一体これは何だったか。
自分達はどうなっているのか
調べるべきだ
だが確かめようがない
確認する方法が無いのなら、今更ここで足掻いたって無駄だろう
だが
考えるだけ無駄だ
そうは言うが
考えるだけ無駄だ
無駄だ
そうだ
考えなくていい
それよりも
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伊予島 「雫ちゃん?」 |
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雫 「………。」 |
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伊予島 「どうしたの?お顔が真っ青だわ?」 |
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雫 「………。」 |
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雫 「……いや…」 |
頭の中の雑音が引いてゆく。
強張った全身の力が抜けていく。ゆるゆると。
麻酔が掛かってゆくような感覚。これは安堵か安心か。
いずれにせよ雫の全ては、暖かく心地の良い何かに包まれてゆく。
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雫 「大丈夫…ありがとう。」 |
・・・・
…そう、そんな事よりも。
ふと少し前に伊予島と共に訪れた店の事を思い出す。
古書に溢れた三方の壁。古びたブラウン管のテレビ。手入れの行き届いた札の束。
その部屋で占ったもの。その結果。
十村が自分へ寄越したその言葉。
それが先程から、ちりちりと雫の耳に残って離れない。
大きなもの。代償。
欲しいものを手に入れる為の。
手に入れる為には、甘んじて受け入れねばならないもの。
受け入れて、支払わなければならないもの。
だが支払えば、もしかしたら。
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雫 「……上等。」 |
- TOGE -
欲する という行為には、 常に代償や困難が付きまとう。
ならば君は受け入れるしかない。 真にそれを求めると言うのなら。