
小さな破裂音。
赤黒い汚泥がひとつ、世界に別離を告げた音。
グラフトバベルはそれを気に留める様子もない。
それよりも自身の動作の違和感を気にしている。
自分で組み上げてきた身体は自分で把握している
……はずだった。
ハザマに再び踏み入ってから以前は感じることの
なかった違和感を自身に強く感じ、確認をしつつ
原因を探っていたが現段階では特定にまでは
至れそうにはなかった。
どこか頼りなさを感じるものの、その代わりに動作に
いつもよりキレがあることなどの長所も確認していた。
(この感覚をある程度残しつつ、本来の俺へと近付けて
いけばいいだろう。鍛錬と思えば悪くもない)
思考を一旦打ち切ると、周りを見渡した。
荒れ果てたチナミ区の風景。
そして3体の部下の姿。
その内の一機が土煙を上げて走行しているのが見える。
斥候として偵察に出ているBtEx(バイタルエクス)だ。
その姿は傍目には無人のバイクが自動で走行している
ようにしか見えない。
グラフトバベルの携帯端末に着信音が短く鳴る。
BtExからの報告だ。
XYZ謹製端末「Lemon」の専用電波はここ、ハザマでも
使えることは確認されている。
時折、チカチカとヘッドランプが何かの合図のように明滅し
その度にLemonにメールが届く。
付近の状況、道路の状態、敵性勢力の有無などなど。
今のところはこれといって注視するような情報もなかった。
もう少し先の区域まで見たら一旦戻ってこい
と、グラフトバベルがメールに返信する。
その指先は荒々しい石材のようなそれではなく、人間のもの。
今のグラフトバベルは人間態である武岩 至牙(たけいわ とうが)の姿だった。
ハザマではどちらの姿が楽かと言えばそれは出自にもよるので
それぞれの個体と趣向による、としか言えない。
彼の場合は本来の姿である怪人態のほうなのだが
敵対勢力を無駄に刺激せず、ただの人間だと思わせて油断させるため
イバラシティでの時と同様に戦闘時以外は人間態で過ごしているのだった。
油断、とは言ったもののこのハザマに居る時点で他者というものは
戦う以外の関係性はほぼ、無いだろう。
味方勢力以外は全てが敵だ。
味方勢力ですら、信用していいようなものではない。
武岩の傍らに、少女たちが待機している。
少女、という非力な姿もハザマでは油断するべきではない。
それが毒を有するものならば尚更だ。
ラピアクチュールの人間態は毒島 百香という高校生だ。
武岩の娘の古くからの友人で、父親という立場上
それなりに顔を合わせる機会もあった。
しかし、今ではまるで意味合いの異なる関係に変化してしまった。
武岩がどう考えているのかは表面上はわからない。
何食わぬ顔で昔のように挨拶をするような歪んだユーモアも
持ち合わせてはいない。
むしろ、そうしてくれたほうが百香にとっては
今まで自分を騙し続けてきた「裏切り者」として
糾弾しやすかったかもしれない。
武岩がその関係性の変化になにかを思うとすれば
それをどう娘から隠しておくのか、その対処に苦心する程度だろう。
残るもう一人、狐嵐華丸の人間態……らしき少女が
落ち着かない様子で辺りを見回している。
狐というよりは栗鼠のような印象だ。
あまり見ていると、睨んでいると思うのか
目に見えて顔色が青くなり、動きがギクシャクするので
なるべく長くは視線をやらないようにしていた。
小動物をストレスで殺さないように。
(……やはり、これが何か企んでいるようにも思えん。
恐らく、無害そうなのを表舞台に立たせておいて
その陰でなにやら動く腹積もりか。
こいつは遠隔操作用の端末ぐらいに考えておいたほうがいいな
なにかあれば簡単に切り捨てられる立場だろう)
代わりに、同性としていくらか心の許せそうなラピアクチュールに
その少女の面倒を見ることと、監視をメールで伝える。
そしてBtEXにはその二人の監視を。
レポートは定期的に蛙沼博士に送信するようにと添えて。