
10を数える前、親は金と引き換えに手放した。
10を数える頃、研究者は繰り返し使える実験体として扱った。
15を数える前、―――世界というものに放り出された。
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自分の生い立ちと名前を知ったのは研究レポートから。
それが事実だと受け入れてはいるが、両親の顔も10歳以前の記憶も一切が思い出せない。
いや、一つだけ思い出せるのは自分を売った金でしばらくは遊べると喜んでいた両親の姿だったか。
各種の実験の記憶はこびりついており、それらは鮮明に思い出せる。
ただ、それだけだ。
この記憶には、『自分がどのような口調で話していたのか』、『自分の名前』……。
つまり、『自分』を構築するための部品が足りなかった。
16を数える直前に、実験施設が解散させられたことにより世間的に俺は助けられた。
金という点ではその際に慰謝料との名目でそれなりの金額はもらったものの、それ以外は何もなかった。
自分というものが何をどう考えてどう話していたのか、全てがなかった。
口調は研究者のものを流用した、一人称も同様。
であれば次は、自分が何をどう考えるか。
それを「作る」しかないと思い立った。
『正義』について自分はどう考え、思うのか。
『悪』について自分はどう考え、思うのか。
『動物』について自分はどう考え、思うのか。
『建物』について自分はどう考え、思うのか。
『人物』について自分はどう考え、思うのか。
『勉学』について自分はどう考え、思うのか。
『空気』について自分はどう考え、思うのか。
『空』について自分はどう考え、思うのか。
『地面』について自分はどう考え、思うのか。
『電気』について自分はどう考え、思うのか。
『町』について自分はどう考え、思うのか。
『世界』について自分はどう考え、思うのか。
『文字』について自分はどう考え、思うのか。
『悔恨』について自分はどう考え、思うのか。
『英語』について自分はどう考え、思うのか。
『死』について自分はどう考え、思うのか。
『命』について自分はどう考え、思うのか。
『信頼』について自分はどう考え、思うのか。
『信用』について自分はどう考え、思うのか。
まるで辞書を作るかのように、自分の中に構築していく。
小さな塵を積み上げて一つの山を築く様な作業だった。
思索に思索を重ね、一年が経ってようやく。
俺は、俺となった。
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侵略について思いを馳せようとしたらずいぶんと自分の根本にまで思いを飛ばしてしまった。
ただ、あの時の思索の結果作り出された今の俺は、それに対してシンプルな答えを出している。
過去の記憶、残っている記憶から、俺は一つの意思を持ち、それに向けて己を鍛えていた。
『理不尽に抗う』
理不尽は前触れもなく何かを奪い去っていく。
俺の場合は、10年以上の記憶と元の姿。
他の人の場合はもっと別の何かを奪われていたかもしれない。
前の自分は力がなかったから抗うことすらできなかった。
だが、今の俺は、果たして侵略という理不尽にどこまで抗うことができるのか。
一年少し積み重ねてきた自分は、どこまで通じるのか。
「ああ、なんだ」
そう考えれば少し愉快な気がした。
この場は己を試す場だと、そう認識してしまえば。
「余計な力は、入りはしないか」
そう呟いて、見知った顔がある方へと歩を進める。