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http://lisge.com/ib/k/now/r142.html
より。
渡辺慧の場合 2/2
「つまりですね、……「一人じゃ怖いから一緒に来て欲しい」ってことですよ」
少しだけ、ほんのちょっとだけ躊躇いが見える。わざとかもしれない。わざとでないのかもしれない。それでも、嘘ではなかった。鏑木ヤエという女の頭の中がこじ開けられて、誰かにメチャクチャにされていて、思考を弄られることがなければ、これは紛れもない真実だ。そして、鏑木ヤエという女の異能は、ありとあらゆる外部からのバイアスを無視する、という明日の飯の種にもなりやしない異能であるわけだが。誰よりも、ただこの場においては女の異能は雄弁にものを語る。
「それじゃあ、理由には足りねーですかね」
女は笑う。馬乗りになったまま。……一緒に、悪魔の証明をしないか、と。端的に語って。
「怖いならやめればいいんだよ、そんなの。……俺みたいにさ」
瞼を一つ閉じ乍ら、思い返すように嘯きながら、或いは自身のそれを認めてしまいながら。自由という意味をはき違え、そんなもの何処にもないのだと認める事が出来ないまま。
でも、と。それは充分な理由にたると。己には何の意味もないはずのそれが、己に理由を与えるのだとするならば。
「なぁ」
質問を質問で返す不作法だ。
「俺達は似ていると思うか?」
「ちっとも」
「似てねーですよ」、と声色だけ笑って、いつも通りの仏頂面で、女は言う。「それでも」。まあ、深夜のコンビニにアイスを買いに行くみたいに。昼休みに学校を抜け出してゲーセンに行くみたいに。寝起きのまま、ゴミ捨て場にゴミを捨てに行くみたいに。そんな気軽さで。
「心中の相手にはぴったりかな、とは思いますね」
「だよなぁ」
小さく笑う。いつもの雑談のように。日常の延長線上のように、くすりとしてしまうような事を聞いたように。それは異能が成す物なのか。だが、異能とはその人物に宿る、一つの性質に過ぎない。ならば、どちらにせよ鏑木ヤエという人物が成す性質に他ならない。
自身の視線は自身の視線のみに存在する。この女の視線は、何処から来ているのだろうか。ほんとうの自由なんてものが、もしかしたらそこにあるのかもしれないと。
「底で君が何を見ているか位、教えてくれよ」
それは理屈をつけるには、丁度良すぎる位、耳障りの良い肯定だった。
「それじゃあ、そういうことで」
女は、ちっともその声音は笑っていない。至極冷静に、なんでもないように。特別なことなんかではない。「アンジニティ」というレッテルの正体を掴むには、自らがその立場へと赴くことが最も手早い、と。故に、女は心中を誘った。どうなるかもわからない。帰ってこれるのかもわからない。それでも、見たことがないのであれば、この無気力でどうでもよさげな彼が目を輝かせるようなものがあるかもしれないと。
「……これ、ヤエだけ死んだりしねーですかね? 心中って、生き残るの……大体男ですけど」
下らない一言を付け足して――鏑木ヤエは、緩く表情を和らげた。彼に馬乗りになったまま。
「大丈夫だろ」
そうなったらそうなっただ。という響きを含ませながら、男は気だるげに笑った。
「ああいうのは実行側が男のが多いってだけだろ。それなら死ぬ奴は、俺だけで済む」
最期の一言がこの一言ならば。それはさぞかし彼女の目から見れば喜劇なのだろうなと、男は内心、一人笑った。