そんで?そんでて何や、あとはお前が知ってる通りやろ。
師匠について、10年……いや、もうちょい早かったか?
一人前になって、鵠様に名前を貰ってよ。
お前と会ったんは丁度そん頃やから、別にもう、話すことあらへんやろ。
何やな、話せってか?
お前ほんまに、ええ趣味しとるわ。
つっても、何から話したらええんやろな……。
とりあえずよ、お前のことは
……まあ、顔は良いと思ったよ。
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「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」 |
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「吐きそ……」 |
深谷
26歳。つい最近一人立ちし、名を貰い受けた退魔師。
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「……いい加減帰らねえと、見つかったらまずい……」 |
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「あ、無理。動くの無理。吐きそ……」 |
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「…………?」 |
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「お」 |
目が合った。
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「あの」 |
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「お兄さん、この前屋上に登ってたよね?」 |
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「知りません人違いです」 |
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「怒らないから。どうやって登ったか聞きたいだけ」 |
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「……そりゃあ。階段を上がってよ」 |
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「はいはいそういうのいいから。 な、ん、で。上がったの?」 |
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「…………狩り場やからさ」 |
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「うわ、変な訛り」 |
…………
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女性はここで働いているらしかった。
早朝。妖怪が弱る、つまり妖怪狩りに適した時間と、彼女の出勤時間が近いらしい。
絶好の狩り場を捨てるわけにもいかず、深谷は、彼女と話すようになった。
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「それで、妖怪狩りって何するの?テレビの撮影とかじゃないの?」 |
警備員に言いつける気配も、深谷を怪しむ様子もない。
一度警戒を解いてしまえば ——神社の事を何も知らない——彼女との会話は不快ではなかった。
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「……別に信じんでもええぞ」 |
神の存在は秘されている。
社殿で働いていない人間は、神のことも妖怪のことも知らないのだと、教わったときは驚いたものだ。
人が人を統べるためか、神が人に飽きたか、近代に流入した海の向こうの神の教えのせいか、科学が世界を支配する為か。
そのどれでもあるし、どれでもないかもしれない。
兎に角も深谷の生まれる前から、神だ妖怪だと白昼堂々口にする人間は「怪しい人間」だったのだが。
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「信じるよ。お兄さん、怪しすぎて逆に怪しくない」 |
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「あっそ」 |
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「あっ、お兄さーん!狩り捗ってる?」 |
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「おう」 |
朝日に洗われる窓の前で、動かないエスカレーターの途中で、深谷と女性は幾度も言葉を交わした。
従業員はともかく、片や不法侵入者である。
ごく短い会話しかなかったが、回数を重ねれば、それなりに親しみも湧く。
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「さてはお前、おれに惚れたか?」 |
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「え、お兄さんあたしに惚れたの?」 |
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「何でそうなるんだよ!」
「おれはな、顔の良い女やねぇと……」 |
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「………………」 |
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「な、なに?」 |
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「お前結構可愛いな」 |
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「今更だけどさ、お兄さん何て名前?」 |
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「ほんと今更やな。深谷や」 |
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「苗字?名前?」 |
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「……どっちでもあらへん、神に頂いた名前やから」 |
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「ふーん。本名は何て言うの? |
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「なんやなお前。おれこの名前気に入ってんねんぞ……」 |
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「でも私は神様とか関係ないし、変な感じがするし。 絶対呼ばれたくないってなら、それでもいいけど」 |
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「……三劔司」 |
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「いい名前じゃない」 |
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「いい名前?これが?」 |
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「親から貰ったわけでもねえのにさ。 多分、ろくな命名じゃねえぜ。巫女とかが安直に付けたんだ」 |
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「なんでそんなに捻くれるかなあ……」 |
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「つるぎ、って、強そうでいいじゃない。それで狩りなんてしてるんでしょ? 名は体を表すっていうじゃない。カッコいいよ」 |
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「あっ、私は千塚ね。千塚沙耶」 |
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「ああ、そう」 |
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「…………」 |
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「良い名前だな」 |
千塚 沙耶
当時25歳。好奇心旺盛な女性。大型ショッピングモールにある雑貨屋の店員。後の三劔 沙耶。
享年27歳。
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四角く、ハザマの赤い空が切り取られている。
黒い街の黒い建物、壁も窓枠も黒い中に浮かぶ赤は、鮮やかとは程遠い印象を与える。
聞こえてくるのも、ラジオやスピーカーを通した途切れ途切れの音楽や声、
街の立てる硬質な音ばかりだから、癒しというものがろくになかった。
今、深谷と清がいるのは狭い部屋で、深谷は獣の四肢を折って床に座り、
赤い表紙のノートを手繰っている。
この黒い街で拾ったものだ。
あらゆる家具が床や壁に張り付き動かせない中、この日記だけは持ち運ぶことができる。
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深谷 「化け物から、手に手を取り合って逃げる……か」 |
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深谷 「美しい話だなあ、清よ。 聞いてるか?」 |
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清 「…………」 |
聞いていないことを解って尋ねている。
清は今、机に向かって休みなく手を動かしていた。
黒い机に黒い椅子。椅子は床に張り付いたように動かないから、
清は身を乗り出すようにして紙に筆を走らせている。
正確には、常に持ち歩かせていた筆ペンを。
形代は使い捨てだ。だから何枚も書いて用意しておかなくてはならない。
ハザマと言えど生き物は溢れていて、だから死霊にも事欠かないのは幸いだった。
紙だって、ペンだって、朽ちた家々を回れば、あちらこちらで手に入れることができる。
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深谷 「おーい」 |
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清 「うるさいな。そんなに暇なら、紙を探してこれば?」 |
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深谷 「嫌だね、そんだけあったら十分だろ」 |
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清 「じゃあ形代作ってれば」 |
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深谷 「お前、この手でペン握れると思ってんのかよ」 |
そもそも何故ここにいるのか忘れたか……とは、言わなかった。
それを言えば、また癇癪を起こされることが解っている。
通信が送られてきた。
複数の通信と油断、衝動のままに叩きつけた言葉は、
そのまま自らの弱みを晒すことに繋がった。
これ以上の情報も材料も誰にも与えてはならないと、こうして狭い部屋に引き篭もる事になっている。
cross+roseは、ハザマで起きるあらゆる事象を観測する。
敵味方の別のない監視の目から逃れるには、見通しの悪い場所に陣取るしかない。
言ってはみても出掛けるつもりはないのだ。
深谷はまた手帳を開き、1ページ1ページ、爪で引っ掛けるようにしてページを手繰る。
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深谷 「……やっぱりさ、お美しいよなあ」 |
友情、愛情。
どちらも美しいと言われる。
友を、人を愛することは幸せな事だと。
本当にそうなのか、深谷には解らない。
深谷は初め、神を愛した。
父も母もない分、それらに向けるはずだったものを全て神に向けて、
そして、同じものが返ってくることを望んだ。
神は絵本を読んではくれない。頭を撫でて、お前は良い子だ、なんて言ってはくれない。
信心薄いものを社から追い出しても、わざと自分の身を落としてみても、
神の愛は、人の愛とはどうしようもなく隔たっていた。
それでも自分が在るのは、神の慈しみのゆえだ。
そして次に、人を愛した。
師に連れ回されて夜遊びを知り、かなり頻繁に騙されて、それでも楽しかったように思う。
最後に、騙される事にも飽きてきたころ。
一人の女性を愛した。
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深谷 「……清」 |
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清 「今度は、なに?」 |
苛立ちが募る。黙って読んでいられなくなって、
深谷は、止せばいいのに、またこうして声をかけてしまう。
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深谷 「お前って馬鹿だよな」 |
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清 「馬鹿にするの、やめてくれない?」 |
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深谷 「おれが馬鹿にしなくたって、お前は馬鹿だよ」 |
清は愚かだ。
愛も恋慕も、楽しいことだって、
何もかもを薪のように怒りにくべて、そうして燃やし続けても灰も残らない。
イバラシティで得たものは、何も残したくないのだろう。深谷と同じように。
だから清は、世界で二番目に愚かだ。
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深谷 「おれはその馬鹿っぷりを褒めてんの」 |
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清 「ああ、そう」 |
全身で拒絶を示しながら、清はまた机に向かう。
そして今度こそ、振り返らなくなった。
深谷はここを離れない。
自分がいなくなれば、清は今度こそ一人になる。
そうして一人で、どこまでも沈んで行こうとするから。
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愛
そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持ち。かわいがり、慈しむ心。慈しみ恵むこと。また、大事なものとして慕う心。