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風凪にフラれたあの日。
自分がしたこととか、判断や行動に、何一つ言い訳はしない。
結果としてそれが風凪のためを思ってやったことだろうが、
どうであろうが、あいつにとっては知ったことではない話で。
あいつが今それに触れない以上、もうこの話は終わった話だ。
それが決定的に俺たちの間に存在する距離のようなものを形づくったのだとしても
まあそれはそれで仕方がなかったのだろうと、俺は思う。
……俺は風凪とカフェで会った翌日、右目の眼帯を今の拘束帯に変えた。
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自分が眼帯を変えたのと同じように、
俺らの関係も大きく変わるものと思っていた。
……普通よ。
自分フッた相手とか、袖にせざるを得なかった相手というのは、
例えば気まずくなったり、距離を置いたり、
どちらともなく疎遠になったりするもんじゃないんだろうか。
……ぐいぐい来やがる。
前にも増して、だ。
学校の違いも、学年の違いも、性別の違いもひょいと飛び越えてくる。
同学年の友達がいないのかとも不安になったが、
話に聞く以上どうもそうでもない辺り本当に理解できなかった。
マジで理解できなかったので恐怖すら感じた。
女ってこういうもんなのか?
ただ、関わり方の質みたいなものも少し変わったように思う。
なんというか、こう、からかわれているというか? 面白がられているというか?
今まではまだ互いに檻を挟んだ節度ある鑑賞が行われていたが、
今は何というか芸を強要される室内飼いと言った方が正しい。誰がペットだよ。
本人が楽しそうにしてるならまあいいか、と思っていた思考は一ヵ月もしないうちに、
本人が楽しそうにしてるからまだいいか、に変わり、
本人が楽しそうにしてるからマジやべえ、に変わりつつある。
ただそれは大きな変化というよりは、今までの関係の延長戦上にあるもので、
それが風凪マナカと親しくしていれば訪れる関係だったといえばそうであり。
だからこそ、あの夏休み前の告白玉砕がその線上にあってのそれは、
俺にとっては理解できず、困惑を齎し、前述のように常識を疑うことになった。
順当にいけばあった関係は、順当にいかなかった自分たちには訪れないのが正常だろ?
それと同時に、自分の中で色々な疑念も少しずつ膨らみ始めて、
あいつをどう扱っていいのか一番分からなかった時期でもある。
本人に聞くわけにもいかねえし、だ。
多分俺、若宮線引はまあ風凪マナカにフラれていて。フラれたことになっていて。
あいつがフるくらいにはそういう関係を求めてないなら。
あいつが詰めてくるこの距離って何なんだ……?
『そういうのじゃなくないですか?』
………。
………。
………。
――じゃあどういうのだ?
……どういうのかはさておき。
翌年度、風凪マナカは当たり前のように相良伊橋高校へ入学してきた。
当たり前のように入学してきた風凪の髪はばっさりと肩口で切られており、
割と多様な髪型を見てきた自分にとってすら違和感は凄かったが、
まあそういうこともあるだろうと思って言わないでおいた。
あいつが俺の眼帯が変わったことに一度も触れてこないのと同じようにだ。
ただ、何かことあるごとにふらっと顔突き合わせてきたせいで、関係自体に目新しさはなかったが、
もしかすると一年でかなり外見的には大人びたと言っていいのかもしれない。
まあただ、中身の方は一年やそこらで大きく変わることなく、玉砕直後の関係のまま今日に至っている。
センパイ、上、と声が掛かれば水たまりを踏み、
センパイ、下、と声が掛かればサッカーボールが頭を直撃し、
センパイ、前、と声が掛かれば後ろから自転車に突っこまれる。
センパイ、後ろ、と声が掛かり流石に騙されるかと前を向けば後ろから自転車が突っ込んでくる。
決まってあいつはこういう。
大丈夫ですか、不運でしたね、と。
そうだな、素直に注意喚起してくれる後輩がいないことは俺にとっては運がないと言えるだろうな。
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――昔話はこれくらいにしよう。話せるのはこの辺までだ。
そこからの線は今俺たちが歩いている今に繋がっている。
ハザマ。
アンジニティ。
どんだけ波乱万丈だよ、俺の人生と思う。
そしてこの異界かつ、非日常かつ、異常事態においても、
風凪マナカが変わらず傍に居て、
そして元の世界と同じように存在しているのはどんな業を背負った人生の来世だよと思う。
世界観が変わっても距離感は変わらないのは異常じゃないか?
まあ、いい。考えるべきはこれから先のことだ。
この異常な状況に一人考えて立ち向かわなくていいのには救われる部分もある。
一人でできることには限界があるが、それ以上に一人で決められる決断に早く限界が来る。
今回ばかりはこの状況で少なくとも信頼できる相手が傍にいるのはありがたいと思う。
……俺が一通り考えて、この世界で分かったことは、
どうにも一定時間刻みに、経験や体験が上書きしていくということだ。
どうも俺たちはこの世界に閉じ込められたというよりは、
この世界で一定時間が経つと元の世界に戻されるが、
そちらにこちら……ハザマ世界での活動の記録は持って帰れないらしい。
4/20に浜辺で目の前を進む風凪の誕生日を祝ったことは覚えているし、
それ自体が自分の体験であることの実感も記憶もあるが、
それと数時間の間風凪とこちらの世界をさまよい歩いているという記憶が並列同時に存在している。
『浜辺で風凪の誕生日を祝っていた自分』はこちらでの騒動に気づく様子もないし、
覚えてすらいなかった。覚えていたらあんな会話などしている場合でもない。
記憶の中にある、元の世界で出会った誰もがそんな感じであるし、
ハザマの世界で会った人間も元の世界では普通にしていたところを見ると、
誰もがその記憶を元の世界に持ち帰ることが出来ないらしい。
或いは、アンジニティと呼ばれる存在だけは、それを知ってて秘匿して活動しているかのどっちかだ。
アンジニティ。
一人だけ、それが確定している人間がいる。
にわかには信じがたいが、それを偽る理由もないのだから、それは真実なのだろうと思う。
風凪には言っていないが、その人のことを思うと、胸に鈍い痛みが走る。
風凪自身にそれを伝えていない。
もしかしたら俺が隠していること自体に勘づいていてもおかしくはないし、
俺より頭のいい風凪なのだから、俺が思いついていることくらい思いついているだろう。
――この世界で出会う誰かは。
もしかしたらその全てが侵略者である可能性がある。
主要な知り合いに、先んじて連絡を入れたのはそのためだ。
そいつらがもし、アンジニティだったとするなら。
少なくとも警戒をしておく必要はある。
誰もが自分たちに交渉を持ち掛けてくるような相手とは限らない。
一番のショックが先に来てくれてよかった。
割と仲いいと思っていた彼女がアンジニティだったことで、
他に対する覚悟が一人で勝手に決まった。
ただその覚悟を、風凪と共有する気にはなれなかった。
こいつにはこいつの交友があって、
その交友の一端がそういう形で崩れる瞬間こそ、
きっと、他でもない俺にだけは見られたくはないだろうから。
ただ、なんとなく、
なんとなくこの状況でも変わらない風凪マナカの姿を見ていると、
もしかしたらそういう状況でも案外事実として受け止めるのかもしれない、とも思う。
飄々と、俺なんかより上手く世の中を渡っていくこいつなら、俺より上手く折り合いがつけられるのかもしれない。
ただそんな状況でも変わらないなら、
……こいつが変わるのはどんなときなんだろうとも、冷静に思う。
俺の疑問を他所に、振り返り、風凪が言う。
「……センパイ、足元、危ないですよ」
どっちだ、と思ったが、尖った石が足元にあり、
ホントのやつだなと避けた先に溝があって足を取られた。
「相変わらず、ついてないですね、センパイ」
そうだな。俺も、そう思う。