山道というには少しばかり緩やかで、しかし丘というには険しい…
獣道のような道が下り始めて、ミランはこっそり安堵の息を吐いた。
チナミ区からヒノデ区へと向かう道すがら、本来はあり得ない山を踏破することになったわけだが、予想とそう差はなく越えられそうである。
細い道がまだ新しいのは、恐らく自分たちと同じルートでヒノデ区へと向かった人たちがいるからだろう。
多少踏み固められた道は予想していたよりも歩きやすくなっていた。有難いことだ。
「館長、もうちょっと我慢してくれよ…」
「ぎゃ゙~゙ぃ゙…」
胴を抱え、嘴を軽く上腕で挟むような状態で館長を運ぶミランが声を掛ければ、運搬されることを仕方なく許容しているのがありありと分かる返事が返ってくる。
そこまで険しくはないとはいえ、ペンギンの短い脚では山道を人間に合わせて歩くことが困難であったための緊急措置である。
館長はアデリーペンギンで、ペンギンとしてはちょうど中間くらいの大きさらしいが、その体重は5㎏ほどある。
ミランがトレーニング時に持ち上げるダンベルやバーベルはもっと重いが、抱えて歩くとなると結構大きな負荷だ。しかも動くしつつくしフリッパーのペチペチは意外と痛い。お陰でうっかり何度か落としかけたり、実施落として後ろを歩く少女に間一髪キャッチされたりといったハプニングもあった。
仔羊の運搬なら経験のあるミランだが、四つ足の動物と鳥類では大分勝手が違うし、館長も不慣れなミランの運搬はあんまりお気に召した感じではないので早いところ山を下りて地に足着けたい。お互いのために。
砂利が多く少しばかり滑り安い下り坂を、抱えた館長を落とさぬようにと歩いていたミランだったが、見晴らしのいい場所に出たことで足を止めた。
山裾が見え、どうやらまた道路に出るようだ。おそらくあと20分も下れば下山できそうである。
しかし、それ以上に目を引いたのが水地から広がる湿地のような一帯だった。
「えらく水辺が広がってるな…湿地…いや、沼…?」
水辺ではあるが渡れる場所があるようで、そこそこ大人数が列をなして進んでいるのが見える。
なんでまたわざわざそんな場所を…と視線を進めれば、水辺の中に一か所だけ陸地が残っており、何かがあった。
「あれは…もしかして…?」
目を細めて見れば、この世界に来て間なしに立ち寄った街のような場所と似た作りであることが窺えた。
あの場所がチェックポイントなら安全に体を休める場所があり、物資の補給も可能ということだ。
移動による体力の消耗と食糧が手に入りづらいことを鑑みると、一度立ち寄って行くべきだろう。
「サツキちゃん、あそこ見てみな」
一旦館長を下ろし、少女を手招くと沼地を進む人々の列を指差す。
「多分、あそこがチェックポイントだ」
「ああ、それであんなに人が…」
「この状況だし、安全地帯と物資の補給はしたいだろうからな…あとは、情報とか」
「情報…」
「人の集まる場所は情報も集まる」
「…はい」
情報収集のためにバイトを始めた少女には、その意味はきっとよく分かるだろう。
次元タクシーから降りた場所で必死に誰かを探していた彼女の求める相手もいるかもしれない。
「…俺たちも行こう。今後のためにも、食料と情報を仕入れとかないと」
少しわざとらしい振りだったかと少女を見下ろせば、必死な眼差しと共にこくりと頷いた。
一生懸命で、だからこそこの少女は気付いていない。
自分がどれだけ不安な顔をしているかも、どれだけ疲労の色が濃いかも。
難しいかもしれないが、どうにかして休ませないと緊張と不安でヒノデ区に入る前に倒れそうだ。
(どうしたもんかなぁ…)
ジタバタと暴れる館長を何とか抱き上げながら内心で独り言ちる。
焦っている状況下では、心も体も休むということを拒否しがちだ。
頭では分かっているつもりでも、心が急いて居ても立ってもいられない…焦りとは、そういうものだろう。
それが分かるのに、上手い言葉が見つからない。
これが軍隊なら、それこそ倒れるまで進んで自分の限界を知るという方法も取れるだろう。
だがここは、ハザマの世界は、訓練場ではない。
身の安全も後方支援も保障されない状況下で、一般人の少女には荒療治が過ぎる。何より危険だ。
彼女が状況によってはその危険を厭わない性格であれば、なおさら。
(どうにかして説得できればいいんだけど…あー…困ったな…)
山道の終わりを睨みながら、ミランは短い金髪をガシガシとかき回すのだった。