「御白様。
いとはさんの神社で祀られている神様だったわね。
いとはさんの神社、蚕福神社。
蚕の神様」
「蚕。
人と人の間で生きる虫。
人に育てられなければ、自分だけでは生きていくことのできない虫。
人に恵みを与える虫」
「人に育てられなければ生きていけないことを、いけないことだとは思わない。
そうすることで、蚕という種は絶えることなく生きていけるのだもの」
「生きていける」
「人に恵みを与えて」
「人に必要とされて」
「人と人の中で生きていく」
「御白様。ねえ、御白様。
それってすばらしいことだと思うわ。
共存しているのだもの。共栄しているのだもの」
「社務所のこたつ、暖かかったなあ」
「私は……
私も、必要とされていた、とおもう。
家族に、ごんに、必要とされていた」
「私なんかを、何もできない私を、大切にしてくれた。
私は子供だから、私は病気だから、そんなこと関係なく、大切にしてくれた」
「私は家族に恩返しがしたかった。ずっと。
何もできない私ではなく、自分でなんでもできる私になりたかった」
「早く大人になりたかった」
「私はチョコを渡しに行ったのに、逆にお菓子やコーラをたくさんいただいて。
とってもおいしかった」
「私がこんなに苦しんでいるのは、私が子供だからなんだと思っていた。
私が与えられるだけの存在だから、それに対する罰なんだと思った」
「大人。大人。大人。
大人になれば、恩返しができる。
だって、それが『大人』だもの。
自立して、自立して、自立している。
自分の責任を、自分で取ることができる。
自分がかけた迷惑を、自分で雪ぐことができる。
この熱くて、気怠くて、重い体を、雪のように濯ぐことができる」
「コーラってあんなにおいしいものだったのね。
炭酸の飲み物は喉がびっくりしちゃって苦手だったけれど、ごんは平気みたいでよかった」
「だから大人になりたかった。
ねえ、御白様。
ごんが、いとはさんからあなたの話を聞かせてもらったとき、あなたのことを『大人』だなって思ったの。
あなたは、自分の愛する馬をお父さんに殺された。
愛する馬の首を切り落とされて、桑の木に括り付けられた。
あなたはそこで、馬と一緒に天に昇っていって、それで神様になったのですよね。
でもあなたのしたことは、それだけではなかった」
「あなたは自分の愛する馬を殺したお父さんのために、蚕を残していった。
桑の葉を食べて、美しい絹糸をもたらす虫を遺していった」
「どうしてそこまで”優しく”いられたのかしら」
「いとはさんの歌、すきよ。
かわいくて、楽しそうで。聞いていると元気になれる感じ」
「私は……私だって、お父さんは大好きよ。
でももし、私のお母さんをお父さんが殺してしまったら。
それでもお父さんを好きでいられるかしら」
「私は……」
「そういえばごんが言っていたわね。
そんな目にあってもお父さんのことを嫌いにならず、蚕を残していくようなひとだからこそ、神様になれたのだって」
「いとはさんは私よりも年上だと思うけど、歌っているときはなんだかちょっぴり子供っぽくて。
そこがまたかわいらしくて。
こんなことを私が思っているなんていとはさんに知られたら怒られちゃうかしら」
「私もそう思うわ。
あなたは神様になって、私は地獄に落ちた」
「私、しぬときに家族に何を残せるかなんて、考えたことなかったもの。
だって、そんなに急に……」
「いとはさん、バンド活動もされてらっしゃるのよね。
名前は……そう、『荊クラウン』。
いつかライブ会場に行けるときがあるかしら。楽しみね」
「ああ、そうか、そうね」
「何も急なことなんてなかったんだわ」
「私には時間があった。
布団の中でただ天井を見上げていただけの時間があった。
眠れず布団の中で呻いているだけの時間があった。
そのとき、家族に何を残せるかということを、一度でも考えたことがあったかしら」
「わからない」
「あったような気もする」
「いとはさんはおばあさまと生活してらっしゃるのよね。
まだお会いしたことはないけれど、優しい方なんだろうなって思うわ」
「気もする」
「恩返しをしたいとは思っていたから、考えたことはあったのだと思う。
でも、具体的に何ができたかしら」
「何が思えたかしら」
「あなたのように、自分以外の誰かを」
「だって、社務所の雰囲気があたたかかったもの。
こたつがあったから、というだけじゃなくて、差し込む光が、なんだかやわらかくて。
ここにいてもいいんだって感じがしたの。
ね、ごん」
「……」
「愛するって、なんだか照れくさいわね」
「愛するって、よくわからないけど」
「大好きとは、違うのよね、きっと」
「大好きと同じところもあるのよね、たぶん」
「御白様はきっと、お父さんのことを愛していたのよね。
牡馬も愛していた」
「だから、牡馬を殺されても、大切なものを奪われても……」
「愛するって、よくわからないけど」
「必要とするのとは、違うのよね、きっと」
「必要としているところもあるのよね、たぶん」
「ごんが誰かに聞いてくれないかしら。愛するって、どんな感じですかって」
「優しくするのとは、違うのよね、きっと」
「優しくすることでもあるのよね、たぶん」
「でも、私がわからないことを、ごんが誰かに聞くことなんてなさそうね」
「あの子、まだ子供だし。狐だし」
「もどかしいわね。
私はイバラシティでのごんが何をしていたか、何を考えていたか、すべてがわかる。
でも、ごんは私が何を考えているのかわからない。
そもそも、私のことなんか知らない」
「”そういうふうに”私が願ったから」
「私も、私のおばあさまのことがすきよ。
折り紙も、あやとりも、おはじき遊びも、わらべうたも、おばあさまが教えてくれた。
お母さんにも教えてもらったけれど、おばあさまの方がじょうずに教えてくれた。
そうよね。
お母さんも、おばあさまに教えてもらったんだもの。
お母さんも、お母さんのお母さんに教えてもらったんだもの」
「そのことを後悔なんてしていない。
今みたいに、すこしもどかしいだけで」
「いつか、誰かに教えてもらえるといいわね。
愛することだけじゃなくて、あなたの知らないことを」
「私の知らないことを」
「御白様に教えていただけたらいいのだけれど、神様ってそんなに簡単に会えるものじゃないわよね」
「私も神様は、うちのお稲荷様にしか会ったことはないし……」
「イバラシティには神社が多いし、ごんはあちこち歩き回っているようだから、そのうち神様にも会えるかしら。
御白様以外の神様にも」
「私は、会えないだろうから。
こんな場所に神様がいらっしゃるはずないものね」
「黄泉でも天つ国でもない、世界と世界のぶつかりあいの中で生まれた、波のような場所に」
「白い泡のような場所に」
「でも、もしかしたら」
「こんな場所だからこそ、いらっしゃるかしら」
「もし会えたら」
「私も、糸が作れたらよかったのに」
「蚕のように、糸を紡げればよかったのに」
「愛するって、よくわからないけど」
「侵略するのとは、違うのよね、きっと」
「そうよね」
「侵略するのとは、違うわ」