「いとはさんのところに持っていったチョコ、喜んでもらえてよかったわね。
いとはさんのお友達とも知り合いになれたし」
「ごんになった私が、ちゃんとバレンタインやクリスマスを楽しめていてよかった。
あのひとが言っていた、『一時的に記憶・姿がイバラシティに適応したものに置換される』ってこのことなのね、きっと。
私、ごんにバレンタインのことなんて教えてないし」
「私は……イバラシティにいるごんは、確かに『妖狐』であって、『人ではない』けれど、もう何にも化けることはできない」
「ごんが……本物のごんが、私になると言ってくれたから。
もう一緒に遊ぶことのできない、もう布団から出ることのできない、もう後はしんでいくだけの私の代わりに、世界を見てくれると言ったから。
広い世界で、私の代わりに友達をたくさん作ってくれると言ってくれたから。
私の姿をしていれば、二度と私のことを忘れることはないからって。
私の顔で、私の姿で友達を作れば、友達の心の中にも私が生きてくれるからって」
「今も、ここではないどこかにいる本物のごんが、最後にそう言ってくれたから」
「その言葉がうれしかったから。
そんなことを言える、そんなことを言ってくれるあの子がまぶしかったから」
「羨ましかったから。
だから私はあの子に――」
「ほんとうに?」
「ほんとうよ」
「でもいいの。ほんとうのことは」
「ほんとうのことより、侵略しないといけないの。
ほんとうにするために、侵略しないといけないの」
「戦える。侵略できる。倒せる。
排除できる。退けられる。拒絶する」
「ああ、ああ、こんなにたくさんの言葉があるのね。
誰かを倒すためにこんなにもたくさんの言葉があるのね。
地獄に来て、新しい言葉を覚えることになるなんて思わなかったけれど。
地獄に来て成長できるなんて思わなかったけれど」
「これは成長と呼ぶのかしら。
これをせいちょうと読んでいいのかしら」
「ええ、そうね、ここは地獄ではなかった。
ここはもう地獄ではなかった。
イバラシティとアンジニティのあいだの世界。はざまにある世界」
「あのひとたちと戦えばいいのね。
あのひとたちが、イバラシティ側なのね。
ええ、わかる。わかるわ。
大丈夫。だいじょうぶよ。戦える。
私の力で。私の寿命を奪ったこの力で、戦える」
「焼くことができる。
ああ、そうなのね。焼くということも戦うための言葉になり得るのね。
私の体を焼いていたように、あのひとたちを焼けばいいのね」
「私は戦っていたのね」
「ずっと」
「ウミネコさんは探偵なのね。
まだ子供なのに探偵しているなんてすごいわ。
探偵さんが出てくる本、よく読んだっけ。
楽しかったなあ」
「探偵さんが事件を解決してくれるのがすきだったわ。
見えないものを形にしてくれるのが好きだったわ。
私には何も見えなかったから。
目が見えないわけじゃないけど、この赤い目には見たいものは何も見えなかったから」
「ううん、ごめんなさい。
違うわね。
何も見えなかったわけじゃなかった。
ごん。あなたが見えたもの。
妖狐になったばかりのあなたが見えた。
何も持っていないけれど、何にでもなれるあなたが見えた」
「何にでもなれる!」
「何にでも! 誰にでも……!」
「私は何かに……」
「侵略する」
「そうね、そのための侵略だものね。
そのために焼けばいいのね」
「ウミネコさんは、強いひとだなって思ったわ。
やさしくて、強いひと。
きっとあのひとなら、この場所……ええと、そう、『ハザマ』でも、自分が探偵であることを忘れずに探偵業を始めるんだとおもう。
いえ、きっと、もう始めているわよね、きっと」
「おじいさまはここにいらしてるのかしら。
いとこの……そう、キャロルさんはいらしてるのかしら。
3人で来ていたら、きっとみんなで助け合っているわね。
だって、3人は家族ですもの」
「助け合う家族ですもの」
「おじいさま。私のおじいさま。ウミネコさんのおじいさまと、顔は似ていないけれど、でも、どこか似ている気がする」
「ううん、そう思っているだけなのかもしれない」
「私が思い込んでいるだけなのかもしれない」
「憧れていたから。
憧れの関係だから」
「おじいさまの仕事を、孫娘が手伝う」
「私にはできなかった。
私はおじいさまの期待に応えられなかった。
お母さんもお父さんも、そんなことはないと言ってくれたけど。
踊りも、神事のお手伝いも、元気になってからがんばればいいと言ってくれたけど」
「あたたかいほうじ茶」
「その機会は失われてしまった。
心配と期待をいっぱいいっぱい注いでもらったけれど、その全ては焼き尽くされてしまった。
私が焼き尽くしてしまった。私が」
「ほうじ茶の湯気みたいにじんわりあたたかいウミネコさんとおじいさんの声」
「もう叱られながら踊る必要はない。
傷みをこらえて正座をする必要はない。
大好きなおじいさまに心配かけることもない。
大好きなおじいさまを失望させることもない」
「香ばしくてふんわりとしたサンドイッチ。
一口食べるだけで、レタスやきゅうり、エビや貝のおいしさが広がっていく。
一口ごとに食感が変わる感じがして、ときどきぴりっと胡椒が主張したりして。
食べることって、こんなに楽しかったかしら」
「けれど、その記憶は私の中に残っている。
全て焼き尽くされてしまったはずなのに、それが燃えたということだけは残っている」
「だから、だから、戦える」
「まあるいタルト。ベリーとクリームがたっぷり乗っている。
食べてしまうのがもったいないくらい。
甘くて、酸っぱくて、甘酸っぱくて、やさしくて、おいしさが弾ける」
「もし相手がウミネコさんでも、戦えるわ」
「隣にはあなたがいる。
おいしそうにタルトを頬張るあなたがいる。
カウンターの奥にはおじいさんがいる」
「おじいさんがいても、戦えるわ」
「ウミネコさん。あなたは私の憧れだから。
あなたと友達になれるから。
あなたを見ていると、胸がいっぱいになるから。
あなたがすてきだから、『すてきだ』と思う私を思い出してしまうから。
私が『期待に応えられなかった私』なのだということを、思い出してしまうから」
「ああ。あなたはどちらなのかしら。
あなたたちもアンジニティの人間であってほしい」
「また、あの喫茶店に食事をしにいきたいもの。
おじいさんも、また来ていいっておっしゃってくださったし。
ウミネコさんとも話したいし」
「ごんも妖怪退治をがんばりたいって言ってたわね。
ただあの子、妖怪探しが得意じゃないのよね」
「ウミネコさんは探偵だから、きっと探すのは得意よね。
妖怪を探すのも得意だったりするかしら。
妖怪はさすがに探偵が探すものじゃないと思うけれど、ウミネコさんが探して、ごんがやっつけて、みたいなこともできたりするかしら」
「どちらかしら、ウミネコさん」
「わからなかったら聞けばいいのよね。
わからなかったら調べればいいのよね」
「ウミネコさんがイバラシティの人間だったら、戦わないといけないもの」
「戦えるけれど、戦うなら早いほうがいい。
時間が経って、決意が『鈍らない』ことが怖いから。
どれだけ友達と仲良くなっても、どれだけ同じ時間を過ごしても、『戦えない』と思えなかったら」
「決意が変わらなかったら……」
「……」