「侵略が成功すれば、私はごんのままでいられるのね」
「ここが地獄なの? そう、アンジニティ……想像していたところとだいぶ違うのね。
空も、大地の色も」
「苦しい、苦しい……。ここではもう死ねないのかしら」
「そのためなら、どんなことでもするわ。
私が私でなくなるためなら」
「みかん。折り紙、美術館。
昼から夜へと変わる瞬間。黄昏。
夜になっても光が消えない街」
「猫の匂い。会ったことはないけれど」
「小さな本屋さん。静かで穏やかな空気」
「我は草なり 伸びんとす」
「折り紙で作られたいくつもの星。部屋に散りばめられた星」
「そう、そうだったわね。
私は侵略する。
侵略する」
「クリスマスツリー。星。いくつもの」
「私が、私でなくなることができるのね」
「おじさま。店員さん。おいしいラーメン。お仕事を手伝わせてくれた。」
「私でなくなることが」
「お賽銭。葉っぱのお金じゃなくて、ほんとうの」
「ほんとうの」
「私でなくなることができるのね」
「侵略すれば。侵略に成功すれば」
「いくつもの星。光」
「侵略に成功すれば」
「大掃除。びぃ玉。ころころと転がって、世界を写す。
私だけの部屋。自由に動ける部屋。
動いても、動かなくてもいい。
動くことを選べる。
選べることがうれしい」
「あまいホットケーキ。誰かが作ってくれた。
お礼を言わなきゃ。ありがとうって、おいしかったって」
「侵略する。記憶を消す。『私』を消す」
「喫茶店。私と同じくらいの店員さん。
一人で働いている。私と違って。
自分の力でお金を稼いでいる。助けられるだけの私じゃなくて、助けてもらうのを待っているだけの私じゃなくて」
「風車。大きくて、ゆっくりと動いている。
ずっと眺めていた。
風を受けて。
首が痛くなるくらい。
そんなことも許されない自分がきらい。自分の体がきらい。運命がきらい」
「きらい。きらい。きらい」
「侵略する。侵略する。侵略する」
「年越し準備の商店街。
帰り道を急ぐ人、ゆっくりと買い物を楽しむ人たち。
寒いけれど、その寒ささえ心地いいと思える体。
寒いのに熱くて、動けないのに常に震えている体とは違う。
だって、深夜に出歩けるのよ。
人間じゃないから、妖怪だから。
ううん、人間か人間じゃないかなんてどうだっていいの。
だってごんは人間の私と友達になってくれた。
お稲荷様は、人間の私にやさしく声をかけてくださった。
だから、いいの。
どうだっていい」
「ううん、違う。
私は憧れていた」
「『ごん』は……ほんとうの私は、あのいとはさんというひとに懐いてるみたいね。
そうね、あのひととのお話、楽しかったものね。
大きな岩に腰掛けて、神社のお話、神様のお話を聞かせてもらって……
ほんとうにすてきなお話だったわ。
うち以外の神社のお話、生きているときはちゃんと勉強しなかったから。
だって、よその神様になんて会いにいけないもの。
会えないもの。
私にとっての神様はうちのお稲荷様だけ。
でも、ごんとしていとはさんのお話を聞くのはとても楽しかったわ。
巫女としてでなく、どこにも行けない私としてではなく聞くお話だから、新鮮な気持ちで聞けたのかもしれないわ。
なにより、いとはさんの話し方が、やさしくてすてきだった。
私が小さいから、あまり難しい表現は使わないようにしてくれたし、話すペースもゆっくりで丁寧だった。
ときどき私の目を見てくれたのは、私が話についていけているかどうかを確認してくれていたのかしら。
ごんの耳が私の耳より大きくてよかった。
いとはさんの声を聞き漏らさずに済んだもの。
いとはさんのお話、もっと聞きたいわ。
いとはさんが、あなたのことを知りたがって、あなたが頭が痛いって言い始めたときはすこしびっくりしたけれど。
あなたはごんなの。
私は、ごんなの。
あなたは、私のことなんて思い出さなくていいの。
いいわね、ごん。
あなたは、あなたなの。
他のだれでもないのよ。
あなたはあなた……ああ、なんてすてきな言葉なのかしら。
あなたが私に関係することを思い出そうとしたら、頭が痛くなるということをいとはさんは知ったわけだし、これからはあなたがどこで変化の術を覚えたのかとか、あなたがそもそも誰に化けているのかとか……
そういうことは聞いてこないのじゃないかしら。
いとはさん、やさしいもの。
あなたも、そういうことを聞かれたら頭が痛くなっちゃうんだと思えば、あんまり聞かれたくないって思うでしょう?
だからごん、これからも、故郷のことなんて気にせずに、いとはさんと仲良くね。
『ごん』としての記憶が一気に流れ込んできたときは……まだ……すこし、頭の中がかき混ぜられているみたいな、車酔いしてるみたいな気分だけど……
でも、こんなの、なんでもないわ。
あの熱、あの暑さ、あの息苦しさ、あの悪い夢に比べれば、こんなもの、なんでもない。
むしろ……楽しんでいる「自分」の記憶が流れ込んでいるんだもの。
こんな「酔い」なら大歓迎だわ。
「自動販売機でジュースを買うの、楽しそうね。
桜の下で、毎日違った味が楽しめるのもすてきだし……それに、そう、ひよこ。
ひよこ、とってもかわいいわ。
「侵略する」
「私を消す」
ひよこが缶の中から出てきたときはびっくりしたけど、あの後何事もなくどこかに行ってしまったから、慣れてるのかしらね、ひよこ」
「おうちでご近所さんに挨拶したり、お話したりするのも楽しいし。
ひとりで家にいるときに「私は侵略する」
「いるときに」
「いないときに」
「侵略する」
「侵略するってことは、戦う必要があるのよね。
いとはさんとは戦いたくないわ……
だって、
いとはさんがアンジニティのひとだったらいいのだけど……
もしいとはさんがイバラシティの陣営?のひとだったら、アンジニティ陣営が勝ったら、アンジニティに送られちゃうのだものね。
せっかく仲良くなれたのに、戦いが終わったら会えなくなっちゃうなんてさみしいわ。
いとはさんがどちらの陣営か調べる方法ってないのかしら。
きっとあるのよね。
そうじゃないと、アンジニティ陣営同士で戦うことになっちゃうし……」
「……私、戦える?
……もし、相手がごんの友達でも」
「戦える。
戦えるわ。
侵略できる。
侵略できるわ。
だって、戦わないと。勝たないと。
私がごんになれないもの。
私が、私として、残ってしまう。
私なんかが、私として、残ってしまう。
私が消えるためなら、友達と戦うことだって『しかたない』と思ってしまう私なんかが残ってしまう。
そんなに自分が嫌だったら、自分で自分の命を断てばいいのに、それだけはしようと思わない私なんかが残ってしまう。
だから、できるわ」
「そう、そうね。
自分で自分の命を断つことはできなくても、私ごと世界を終わらせることならできる。
だから、戦えるわ。
誰かと戦えば、一番向き合いたくない相手と向き合わないでもいいのだもの」
「誰かともっと仲良くなれば、その人のことを考えていれば、自分のことなんて考えている暇なんてないものね」
「だから……」